The morning-glow ー第六感―

MACK

オーバースキル


 床に跪くのは、動きやすさ重視の軽装の男。闇に紛れるための黒いマントが、夜のごとく豪華な大理石の上に広がる。見目には頓着しないのか、王の御前にあるというのに無精髭が散ったまま。適当に伸ばし、乱雑にくくった黒い髪、長い前髪の隙間からは存外に美しい緑の瞳。


 開けられぬ金庫は無く、盗めぬ物も無いと悪名轟く大盗賊。それがこの男。広間を取り囲む兵士たちは「盗んだものを貧しい人々に振る舞う義賊と聞くが、犯罪者は犯罪者。捕えなくても良いのだろうか」とソワソワしながら槍を揺らす。


 王の頼みの綱は、最早この男のみ。

 悪魔に連れ去れた愛娘。王家の血を引くただ一人の王女。

 王女が閉じ込められている地下の牢までは迷路と罠に阻まれて、奥に進む事もままならず、国一番の力自慢も、知力の賢者も、不屈の勇者も、誰も姫を救い出す事ができずにいる。


「身分も職業も問わぬ。姫を助け出せた者には貴族の地位と、姫が望むなら婚姻も許そうではないか」


 これ以上ない褒賞であるにもかかわらず、それぞれの分野の国一番が挑んで失敗をして来た事から手を挙げる者はなく、ただ一人馳せ参じたのがこの盗賊だった。


「陛下、このような者を登用するなぞ国家の恥ではございませんか」


 恐る恐るビクビクと、勇者が声を上げる。かつて勇猛果敢だった彼は、臆病すぎる一個人になっていた。この発言も、残る人生のすべての勇気をかき集めてきたかのように震えている。

 帰還した勇者のこの変わり様からも、迷宮がどれほどまでに恐ろしいかを如実に語っているようで、挑戦者を益々遠ざけてしまっていた。


「我々が出来なかった事を、この男に出来るとは思えません!」


 次の発言は、力自慢で壁を破壊しながら進んだ戦士。戻って来た時には匙を持つのも精いっぱいという程に、自慢の怪力を失っていた。


「他に手立てはないのだ。この男の手にかかればどのような鍵も開き、罠も通用しないというではないか。迷宮を突破する可能性があるのは、この男をおいておるまい」


 稀代の大盗賊はうやうやしく頭をたれ、王の依頼を引き受けた。



* * *



 迷宮は、その名の通りの複雑怪奇な構造の大迷路。悪魔が作ったとされるだけあって、途中にあるトラップも凶悪なものであった。

 だが盗賊にとってそれらは何の障害にもならない。持前の身軽さで罠をすり抜け、鍛え上げた洞察力でルートを選ぶ。

 運が絡み、知識や経験では判断がつかない場面があれば……彼には神に与えられたともいえる能力スキルがあった。


――第六感。


 五感の全てを総動員しても把握できない何かを、感じ取る力。

 この力のおかげで彼は、右か左かの選択を間違える事もなく、ギャンブルでも負け知らず。勘ともいえるその感覚だけで、今まで世の中を渡って来たのだ。


 易々と盗賊は囚われた王女の牢にたどり着く。

 床を見つめていた王女の蒼い瞳が盗賊を捉える。自分を救い出すのは、国一番の戦士か騎士か、賢者か勇者か、それとも神官かと想像していたところ、そこにいたのは粗野な盗賊。

 だけども王女は微笑んだ。


「まさか、あなたが来てくださるなんて」


 盗賊も微笑み返し、牢に近づいて気付く。どこにも鍵はなく、扉すらないのだ。どうやって彼女をここから出そうかと、牢のあちこちを調べ始めた盗賊の背後から、予想外に美しい声。


「その牢は開きません、僕が消さない限り」

「じゃあ消してもらおうか」


 盗賊は苛立ちににも似た言葉と共に立ち上がり背後に立つ人物を見て、目を見開いた。


 ――これが迷宮の悪魔!?


 銀糸のような長い髪、切れ長の澄んだ空色の瞳。白い衣に鳥の羽根。伝承に伝えられる神の使徒の姿。男女の区別も曖昧な美しいひと。


「その牢を消したいと願うなら、君の持つ能力を返してもらえますか?」

「能力? 返すというのはいったいどういう事だ」


 銀髪の人物は、ゆっくりと語り出す。神がうっかり、本来人に与えるべきではない強力な力を地上に落としてしまった事を。

 それを得た人物は、勇気の尽きぬ勇者になり、怪力自慢の戦士になり、知識豊富な賢者となっていたのだ。そしてこの大盗賊も。


「人には過ぎた力なのです。僕はそれを願い事と引き換えに返してもらうために来ました。そして零れ落ちた過ぎる能力オーバースキルを持つのはもう、君が最後です」

「……なるほど。では返せばこの牢を消してくれるのだな」

「ええ。けれど返していただく事になると、今まで本来人間が使うべきでなかった分を前借していた事になってですね……」


 申し訳なさそうに睫毛が伏せられる。誰よりも臆病になってしまった勇者、匙を持つのも危うい怪力だった戦士、何も考えられなくなった賢者の噂を思い出す。


「先に来た彼らはここに辿りつく事も出来ず、迷宮から外に出してあげる事を条件に能力を返していただきました。あなたが能力を返した場合、勘は一切当たらなくなるでしょう」

「返そう」

「え」


 あまりにも即答だったため、銀髪の人物は驚いた顔をした。

 そして王女も牢に細い指を絡め、心配そうに盗賊を見つめていた。盗賊は王女の傍によると、その白い指に触れる。


「以前、宝物庫に盗みに入った時に会ったよな」

「ええ」

「この国の至宝はあんただと思った。俺はあんたをいつか、盗み出したいと思っていたんだよ」

「えっ」


 王女の頬が一気に染まる。そしてそれは彼女も望む所であった。今まで自分の周囲にいた事のない特別な人。粗野で乱暴者に見えるのに優しく情の深い事が緑の瞳を見ていると感じ取れたから。


「それでは、返していただきますね」


 その言葉と同時に牢は消え失せ、盗賊の中に常にあった”第六感”が薄れ行く。危険な時には必ず警鐘を鳴らしてくれる感覚を失ったが、変わりにふわりと柔らかい感触が抱き着いて来て、失われた隙間が埋まったように安堵した。だから、銀髪の人物の次の言葉に息を呑む。


「あなたの交換の願いは、牢を消す事でしたので。迷宮は自力で脱出してくださいね。それでは僕は帰ります」


 唖然とする二人を残し、ニコリと笑って神の使徒は姿を消す。

 そして管理者を失った迷宮は鳴動し、崩壊を開始したのだ。


「きゃぁ!」


 上からぱらりぱらりと砂粒が落ちはじめ、地面が揺れ、轟音が響く。


「こちらへ」


 力強く盗賊は王女の細腕を引く。複雑怪奇な迷路、凶悪なトラップ。

 持前の身軽さで罠をすり抜け、鍛え上げた洞察力でルートを選ぶ。


 運が絡み、知識や経験では判断がつかない場面があれば……


 目の前にはそんな判断がつかない分かれ道。

 盗賊はぐっと下唇を噛むと叫ぶ。


「右だ!」


 王女は盗賊を信じた。信じてついていく。

 何度もそんな場面を繰り返し、崩れる迷宮の中を二人で必死に走った。

 走り切って、ついには外に飛び出した。


「抜けた……すごい……」


 夜の森、白み始めた空が広がり、澄んだ新鮮な空気を吸い込んで王女が感嘆の声を上げる。そして同時に疑問もわく。


「でもどうして? あなたの人を超える力は返してしまったのでしょう? いくつも勘に頼るべき場面があったわ」


 男の唇は弧を描く。


「俺の勘は絶対に当たらなくなった。なら、右だと勘が告げるなら左に曲がればいい」


 王女は、目を見開いた。


「つまり、これからも俺の能力は変わらないって事さ。そして今、俺の勘は警鐘を鳴らしている。ここにあんたを置いてかっこよく立ち去るべきだとね」

「え、それはどういう……」

「こうすべきって事さ」


 盗賊はすいっと王女の顎を掬い上げる。

 同時に出た太陽の光線が長く伸びる二つの影を作ったが、その影は間をおかず一つのシルエットになった。



―了―

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