第12話 命の際

 入院して初めての週末。見舞いに来た眼鏡に小太りの中年男が何者なのか、恭仁は思い出せなかった。中年男はウグイス色の上着を羽織り、ストーンウォッシュ加工のジーンズと、ウグイス色のクラークスの革靴を履いて、輸入食品店の紙袋を片手に、人好きのする笑顔で手を振った。恭仁は訝しげに会釈で応える。


「よう恭ちゃん、久しぶり。長く見ない間に、すっかりデカくなったな」


 男はニコニコと笑ってパイプ椅子に座り、恭仁と対面する。恭仁は口ごもるような生返事で応えつつ、男が何者か必死に思い出そうとした。男が様子を察し苦笑する。


「長く会わないんで忘れちまったか。善吉だよ善吉。倉山善吉。お前の親父の弟」


 善吉は紙袋から犬マークのフェンティマンス・コーラを取り出し、栓抜きで抜栓し口をつけると、恭仁に肩を竦めて言った。善吉の恵比寿じみた顔はどことなく利義や鉄義に似ていた。恭仁は合点の入った顔で何度も頷いた。


「前に叔父様の名前を窺ったんです。射撃場に行った時でした」

「ヒェー、なんて寒気のする呼び方は止めてくれ。そんな言葉が許されるのはお嬢様だけだぜ。叔父さんと呼びなさい。いや待て、射撃場と言ったか?」


 鉄義や利義とは異なる、善吉のフレンドリーさに恭仁は戸惑いつつ頷いた。


「高校の射撃部の体験入部で、ピストル射撃を少しばかり。僕に射撃のスジがあると言われたんですが、入部は無理と断ったら、射撃場を紹介してくれまして」

「成る程、そういう成り行きで。おっちゃんも今でこそセンターファイアピストルがメインだけど、エアをコツコツ頑張ってた頃は足繁く通ったもんだよ」


 善吉が腕組みして頷き、昔を思い出してしみじみ語る姿に恭仁は微笑んだ。


「で、恭ちゃんもピストルを究めようってワケかい。おっちゃんみたいに」

「どうなんでしょう」


 恭仁の煮え切らない答えに、善吉は頷く準備の整った姿勢でずっこける。


義母カア様と、射撃のことで口論になりまして。お前は本当の子供じゃないと言われ、つい頭に血が上って、自殺未遂を。見舞いに来た義父トウ様から僕は養子だと聞かされ、お祖父ジイ様からは僕のの話を教えてもらいました」


 善吉は溜め息をついて足を組み、椅子に深くもたれて瓶コーラを呷った。


「義母様の怒った理由が分かったんです。銃が殺人の道具って、その時は何をバカなことをって思いましたが、今ではよく分からなくなりました」

「で、恭ちゃんはどう考えてるんだ? 今でも銃が、人殺しの道具だって思うか?」


 恭仁が善吉から目を逸らして曖昧に首を傾げると、善吉はコーラを口にして笑みを浮かべると、明言を避ける恭仁に肩をせり出し、身を乗り出した。


「おっちゃんが答えを教えようか? 。そんな基本を分かってない人間に、銃など持たせちゃイカン」


 善吉は笑っていた。その双眸は爛々と力強い眼光を放っていた。


「剣道や弓道を考えてみろ。辿。殺しの兵法が武道となり、平和な時代において人を殺さぬスポーツへと変わるためには、長い年月と多くの人の手を経た改良、そして非殺傷化が不可欠だ。転じて、鉄砲はどうだ。残念ながらどちらも満たしてはいない」


善吉は聡明な教授じみて、得意分野の熱弁を語り、椅子にもたれた。


。勘違いするな、おっちゃんは射撃が好きだ。デブでも活躍できるからな。おっちゃんは昔からデブでよぉ、鈍臭くて剣道も柔道も上達しなかったが、大学で射撃に目覚めた。警官になったのも正直言ってピストルを撃つためさ。特連員になって存分に撃たせてもらったし、自慢でないが国際大会まで行った。鉄砲遊びが過ぎてこの年でも独身だがな! そりゃ鉄砲関係ねーか!」


 善吉はおちゃらけた顔で言った後、鉄義を思わせる厳格な表情を見せた。


「……いいか恭ちゃん、射撃競技には一生をかけて打ち込む甲斐がある。しかし命の危険と常に隣り合わせなことは、絶対に忘れてはならんぞ。実弾射撃を例えるなら、真剣を使う居合道だ。そんな殺傷能力の高ぇモンが剣道や弓道と同じ土俵に並んで、一般人に受け入れられ世間様に認められるなんてこたぁ、土台無理なのさ!」


 善吉は言いたいことを言い終えてコーラを飲み干し、大きくゲップをした。


「叔父さんが射撃をしていること、お祖父様はどう考えてるんですか?」

「罰当たり程度には考えてるだろうな。まあよ、おっちゃんはどの道、落ちこぼれの末っ子だからどうでもいい。競技で実績も出してるから、誰に何をうるさく言われる筋合いも無いのさ。射撃はおっちゃんの生き甲斐だ、他で何があろうが別問題さ」


 善吉は革靴の黄色い靴底を恭仁に向けて、手持ち無沙汰に空き瓶を弄る。


「とは言っても恭ちゃんにしてみりゃ、自分の家族の不始末だ。おっちゃんみたいに他人事じゃいられねえし、悩むのも無理ねえ。お前さんの義理の母ちゃんが、ああだこうだと口を挟むのも分かる。しかしそれをなにくそと跳ね除けるぐらいの精神力が無けりゃ、競技射撃で天辺は目指せねえんじゃねえのか? それを理解した上でまだ射撃がやりたいなら、好きにすりゃあいい。おっちゃんに言えるのはこの程度だ」


 善吉の講釈に恭仁は聴き入って何度も頷き、善吉に真剣な眼差しを返した。


「叔父さん。ちょっと聞きたいことがあるんですが」

「何だ。女の口説き方以外なら、おっちゃん大抵の質問には答えられるぞ」


 善吉は片手で紙袋に空き瓶を放り込み、大仰に腕を広げて恭仁を促した。


「二階堂さん。僕の、要はお祖父ジイ様とお祖母バア様に会いたいんです。一目会って、話がしたい。連絡先、ご存知ないですか」


 善吉が真顔に戻り、広げた両手を後頭部に組んで溜め息をこぼす。


「参ったなぁ恭ちゃん。そりゃで聞くような質問じゃないぜ」

「お義父様やお祖父様に聞いても、教えてくれないと思って。実際に会ってきちんと自分の目で人となりを確かめたいんです。倉山家は二階堂家と絶縁した。お祖父様はそう言いましたが、それはお祖父様の都合であって、僕には何の関係もありません」


 善吉は険しい顔で腕組みし、片足で貧乏ゆすりしながら深く頷いた。


「成る程な、既にハラは決まってるってことか。親父の判断に逆らって、先方に会いに行くとなれば、只事じゃ済まねえぞ。分かってるだろうな」

「お祖父様とは。僕には知る必要があるんです」

「へッ、頑固なとこもキチッと姉さん譲りってワケだ。厳しいことを言うが、って考えは、心の隅に置いておけ」


 善吉が眼鏡を正し、双眸をギラリと光らせる。恭仁は固い表情で頷いた。


「よろしい、そういう考えなら協力できるぞ。もし相手の家に乗り込んでを繰り広げる気だったら、おっちゃんは手を貸すのを断ってたぜ」

「よろしくお願いします」


 善吉はニヤリと笑って腰を上げると、恭仁の垂れた頭をポンポンと叩いた。


「強いな、恭ちゃん。その根性があれば、射撃の世界でもやってけるさ」


 善吉が紙袋を肩に担いで踵を返し、恭仁が後姿を視線で追い……そうして病室へと歩み入る、ボストンバッグを抱えた短髪の少女の立ち姿に気づいた。リネンの上着に七分丈パンツ、スニーカー。学級委員の伊集院だった。善吉が彼女とすれ違う時に、伊集院が会釈した。善吉は彼女に微笑みかけ、片手を振って応えて病室を立ち去る。


「倉山クン、調子良さそうじゃん。あの人は?」

「叔父さんだよ。ピストル射撃が上手くて、国際大会まで行ったんだって」


 伊集院は瞠目して言葉を失い、善吉の出て行ったドアを暫し見つめていた。


「それより伊集院さん、どうしたの?」

「倉山クン、悠長に病院で寝てて大丈夫? 戻って来た時に勉強について行ける?」


 伊集院は気を取り直して振り返り、バッグのジッパーをおもむろに引き開けるなり逆様に引っ繰り返すと、寝台のオーバーテーブルに大量のノートを撒き散らした。


「あんたさ、トップクラスに入れるくらいだから、多少は勉強できるんでしょ。私のノート見せたげるから、学校の勉強に追いつけるよう少しは努力しなさい」


 たじろぐ恭仁を、伊集院が椅子に腰かけつつ険悪な顔で上目遣いに見た。


「……勘違いしないで。クラスで落ちこぼれを出したら、面倒なだけだから」

「アッハイ、ドーゾヨロシクオネガイシマス」

「それで良し。手加減なくガンガン詰め込んでいくからね。覚悟しなさい」


 国語英語数学公民地理と、恭仁が惰眠を貪って来た期間の授業の内容が、伊集院のノートを通じて、怒涛のように恭仁へと押し寄せる。彼女は記憶の範囲で教師の話も再現し、語り口こそぶっきらぼうだが、効率よく手当たり次第に、ノートに要約した勉強の内容を詰め込んでいく。恭仁は苦闘しつつも、彼女の秀才ぶりに感心した。


「伊集院さん、教えるの上手いね。教師とか向いてるんじゃないかな」

「教師? あんな薄給で扱き使われる底辺職、割に合わないよ。高い給料も必要だし甲斐のある仕事も必要。両方欲しいに決まってるでしょ。ふざけないで」


 口の悪さも相変わらずだ。恭仁は閉口して、ノートの内容に集中する。


「倉山クンこそ、どうなの。何かなりたい仕事とか無いの」

「僕の家は、一族みんな警察官だから。僕もきっと警察官になるよ」

「夢とかとか無いの? 流れに身を任せる人生でいいの?」

「分からない。僕に真剣に聞く人は、キミが初めてだと思うよ」


 伊集院が手を止め、胸を押さえた。何かに備えるように深呼吸を繰り返す。


「……あのね、倉山クン。私も、あるんだ。中学2年の、頃だった」


 恭仁は伊集院の決然と強張った顔を一瞥し、無言で俯いて先を促した。


「私、小学生の頃からずっと塾通いで、友達と遊ぶ暇なんか無くてさ。私もみんなと遊ぶんだって反抗して、大喧嘩になって。お父さんに頭ごなしに怒鳴られたけど私も言い返したら、口答えするなって殴られて。怖かった。悔しかった」


ノートの紙面にぽたっと水滴が落ち、シャーペン書きの文字が滲む。


「夜も眠れないぐらい不安で、それから毎日ずっと苛々してて、頭がおかしくなって病院に行って、睡眠薬を貰ったの。寝る前に薬を1粒取り出して見た時ふと思った。これ全部飲んだら、死ねるかもって。気づいた時には、2週間分の睡眠薬を出して、口の中に流し込んでた。最初はお父さんに復讐した気がして、清々しい気分になってって、って最初は安心したけど、変な汗が出てそのうち息苦しくなって、頭がグニャグニャして、怖くなった。。誰か助けて、私に気づいてよ、って……」


 伊集院は肩を震わせて止め処なく語り、上着の袖で涙を拭い鼻水を啜った。


「……倉山クンは、死ぬの怖くなかったの?」

「僕の場合はからね。死ぬのが怖いとかそんな悠長なこと、考える余裕すら無かったね。痛くて痛くてたまらなくて、って思ったよ。切腹は痛いし格好悪いし惨めだし、最悪だったよ」


 恭仁がフラットな表情でおどけると、伊集院は涙をこぼしながら失笑した。


「バッカじゃないの。そんなの痛いに決まってるじゃない」

「バカだよね。そんな当たり前のことも知らなかった。僕たち、大馬鹿だ」

「あんたと一緒にしないでよ」


 恭仁は人差し指の腹で両目をそっと拭い、苦笑いで頷いて見せた。2人はそれきり沈黙した。伊集院は息を詰まらせ、前髪の影で上着の袖を頻りに動かした。


「……伊集院さんは、この気持ちを乗り越えたんだな。僕も強くならなきゃ」


 伊集院はハンカチで鼻をかむと、恭仁を見ずに『授業』を再開した。

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