第7話 戯れは密やかに

 古ぼけたバスのエンジンが騒々しい唸り声を上げ、街道を走り出す。竜ヶ島の街を国道沿いに北上し、郊外に抜ける道。恭仁はラフな格好で出口近くの窓辺にひょいと腰を下ろし、胸の高鳴りを隠せず目を輝かせ、車窓の風景に目を凝らす。


 市街地を縦断するアガタ川に掛かった橋をバスが渡り、犬吠坂に続く山道へと巨体を駆った。家と学校とを往復する生活では見ることが出来ない目新しい風景が、恭仁の灰色がかった人生に彩りを取り戻させるように、鮮やかな色合いを描き出した。


 並び立つ民家を縫うように野放図に伸びる路地、板金工場にジャンク屋、雑貨屋の店先に置かれたバス停を通り過ぎ、無骨に聳える高速道路の高架下を潜り抜けた。


「次は、射撃場前。射撃場前でございます」


 ピンポーン。恭仁の伸ばした手が、降車ボタンを押して点灯させた。


「次、停まります……」


 気怠そうな運転手の声が車内放送に流れ、恭仁の期待をいや増させる。


 バスは縣川に注ぐ支流沿いの道を緩やかに進んで、建ち並んでいた家が急速に数を減らしていく。野球場のネットを横目に過ぎ、道の傾斜が強くなり、バスから伝わる振動が俄かに高まり、胸の鼓動が早まる。恭仁は小銭入れをギュッと握りしめた。


 鄙びた流し素麺屋、材木屋に資材置き場、神社へと誘う看板。眼下の小川が離れていよいよ山の中へ。坂道を登るバスが、エアブレーキの音を立てて、動きを止めた。


「射撃場前、射撃場前です。お降りの際は、足元にご注意ください」


 いよいよ目的地だ。圧縮空気の音と共に自動ドアが引き開けられる。


「本日は竜ヶ島交通をご利用くださり、ありがとうございました」


 車内放送に恭仁は表情を引き締め、しかし堪え切れぬ笑みをこぼしつつ、運転手に会釈して運賃箱に小銭を投じ、バスのステップから歩道へと降り立った。


 そこは一見すると、周囲に何もない山道。恭仁は背後を振り返り、それから前方を仰ぎ見た。射撃場は曲がり道を上った先だろうか。ターン、と彼の度肝を抜く甲高い破裂音が響き、山の空気ごと恭仁の体を貫いて震わせ、彼方へと突き抜けて行った。


 扉を閉ざしたバスが、立ち尽くす恭仁を余所に発進し、黒煙を盛大に吐いて坂道をえっちらおっちら駆け上がっていく。恭仁はいよいよ、静寂の中に取り残された。


 恭仁は意を決し、山道を登る。緑の翳りの中に、コンクリート造りの四角い建物が輪郭を現した。心臓も凍るような鋭い破裂音が、木立のあわいから断続的に轟いた。銃声だろうかと恭仁は訝り、開かれた門扉を通り抜けた。運動場のようにだだっ広い駐車場に歩みを進める。右手に近代的なコンクリート建築物と、正面の階段を登った奥にガラス戸で横長の建屋。建物の前には、車が数台ばかり停まっていた。


 右側の建物の入口には、縦書きの大看板で『竜ヶ島ライフル射撃場』と誇らしげに記されていた。何度目かの破裂音を背に、恭仁は開け放たれた引き戸の中へと歩みを進める。土間の右手、窓口の奥に座る禿頭の中年男が、恭仁に気づいて腰を上げると小窓を引き開けた。恭仁は落ち着かない様子で周囲を見回すと、男に会釈した。


「こんにちは。こちらの受付票に、名前と住所と日付を書いてください」

「ええとすいません、初めて来たので、色々と分からないのですが」

「初めてでしたか。そしたら中で説明しますから、とりあえず受付票を」


 恭仁は頷き、受付票にペンを走らせた。射場主と思しき中年男は恭仁の名を一瞥し彼の顔をまじまじと見つめた。恭仁は不思議そうに男を見返す。


「竜ヶ島市の倉山さん? ひょっとして警察にご家族がいらっしゃる?」


 射場主の言葉に、恭仁は顔の筋肉が引き攣るのを自覚した。


「ええまあ。どうしてお分かりに?」

「倉山善吉さんと言えば、射撃で有名ですからね。ご存じないですか?」

「ええ、何だか聞き覚えのある名前です。父方の親戚にそんな方が居たかも」


 ピンとこない顔で恭仁が返答すると、射場主は何かピンときた顔で頷いた。


「それより、外で花火みたいな凄い音がしましたけど」

「多分、スモールボアですね。今の時間、いつも練習に来る方が居るから」


 スモールボアとは、小口径の.22LR弾を使う競技用の装薬ライフルだった。恭仁は知る由も無いが、階段上の建屋には.22口径の50メートル射撃場が設えられていた。


「じゃ、行きましょうか」


 射場主が受付横の扉から歩み出ると、受付の隣にある体育館じみてごつい引き戸をおもむろに引き開けた。カーンと心臓が止まりそうな破裂音が、恭仁の耳を衝いた。


「ハッハハ、ビックリしました? 空気銃ですよ」


 思わず萎縮する恭仁に射場主が笑い、手近な射座を指して言った。入口近くに並ぶ10レーンほどに区切られたブース。射撃コートを着た射手が、いかにも機械じみた造形のエアライフルを立射で構えて、小さな正方形の標的紙を狙ってピタリと姿勢を固めては、火薬より優しいが鋭い銃声を放ち、鉛のペレット弾を撃ち込む。


 見ているこちらが息を止めたくなるような、緊迫感に満ちた光景だった。


「緊張しないでいいですよ」

「そんな大声で喋って大丈夫ですか?」

「この程度の話し声程度で狙いが逸れるなら、集中力が足りない証拠だよ」


 射座の手前には、何を持ってきたのだろうと問いたくなるような、巨大なバッグが無造作に幾つか置かれていた。恭仁は荷物を踏まぬよう、足元に注意しつつ射場主に先導されて射場の奥に進む。至近距離で聞く空気銃の音は強烈で頭がくらくらした。


「こんな物で撃たれたら死ぬな」

「そのための銃刀法ですよ。一応言っておきますが持ち主以外が銃に触るのは絶対にダメだから気をつけて下さい。こちらの奥が、ビームライフルの射場になります」


 空気銃の射座と壁で区切り、場内の奥側に広がるのは同じ10レーンほどのブース。空気銃用と違うのは、電光標的に点数盤にプリンタなど結線された一連の機械類だ。そして射座に座っていた小さな人影は、どう見ても小学生の子供たちだった。


「こんな子供たちが」

「ええ。何事もスポーツは、若い頃から始めるのが一番ですからね」


 驚く恭仁を一瞥し、射場主は誇らしげに言葉を返した。


「とはいえ、射撃は何歳から始めても、遅すぎるということはありませんよ」


 学校で使うような机と椅子のセットにつき、新旧入り混じる電光射撃用の競技銃ビームライフルを構えて競技射撃に興じる少年少女たち。机に車用のパンタグラフジャッキを改造した物が置かれ、任意の狙いの高さに嵩上げされていた。本来は車のフレームと噛み合うジャッキの凹部に成形された角材が嵌められ、その上にライフルの先台フォアエンドを依託して狙いを安定させていた。中にはジャッキ依託をせず、両手保持で撃つ子もいた。


「じゃあライフルを準備しましょうね」

「いえ、ピストルでお願いします」


 恭仁は即答した。パシュンパシュンパシュンと射場主の背後で少年少女が続け様に電光を発射し、何人かの標的で10点圏の王冠マークが点滅する。


「ピストル、難しいですよ」

「お願いします」

「持ってきますから、ちょっと待っててください」


 射場主が元来た道を取って返し、恭仁が子供たちに視線を戻した。ある子は熱心に狙い、またある子は気怠げでやる気がなく、カチカチと引き金を絞り標的を断続的に撃っていた。時折ウィーンと古めかしい感熱式プリンタが記録用紙を吐き、壁の奥で空気銃の発射音がカーンと轟く。恭仁はそわそわと、所在無げに周囲を見回した。


 射場主が黒い銃ケースを両手に携え、間もなく戻って来た。ビーム用の射座の最も手前側、高校の射撃部でも見たライフル用より小さい標的に面した射座で、射場主がケースを置いた。いかにも銃が入っていますというような、武骨なハードケースだ。


「こちらがビームピストルですね。撃ち方は知っていますか?」


 射場主がケースを開くと、射撃部でも見た物と同型の競技用ピストルが姿を現す。


「竜ヶ島第一高校の射撃部の体験入部で、少しだけ教えてもらいました」

「ああ、竜ヶ島第一高校ね! ここで射撃を習った子たちの中で、あそこの射撃部に行く子も結構おりますよ。中には全国大会に行った子もいますね」

「凄いですね。実は部員の方に、ここを紹介してもらったんです」

「そうだったんですか、なら話は早いね。電源はここ。射撃部で使った銃と、構造は同じなので。撃つためにはこのレバーを動かして、それから構えて撃つ」


 射場主は慣れた様子でスッとピストルを構え、パシュンと撃った。点数盤に7点が灯る。射場主は首を捻り、もう一度装填して撃った。今度は9点が表示された。


「10点を狙ったつもりだったけど、腕が訛ったかな。まあいいや、撃ってみて」


 射場主の一挙手一投足を観察していた恭仁は、銃を手渡されて構えた。


 標的に対して90度の向きで立ち、首から上だけを標的に向けて銃を構え、上から銃口を下げるようにして標的に狙いを定め……ゆっくりと引き金を絞る。


「5点か」

「いや初心者にしちゃ悪くないよ。ちゃんと的の中に納まってるからね」


 恭仁は何度も射撃を繰り返し、射場主の指示に従って姿勢を調整してはまた狙って射撃する。恭仁の射撃の集弾性の良さに、射場主は何度も頷いた。


「プリンタはここを押せば印刷出来て、また最初から点数を記録する」


 射場主がプリンタのボタンを押し、記録用紙を千切って恭仁に手渡した。


「それじゃ、好きに撃ってもらっていいですから。分からないことがあったら、また聞きに来てください。休憩する時は、銃口に蓋を被せておいてね」

「はい、ありがとうございます」


 恭仁は拍子抜けするほどあっさり説明を終えられ、射撃場に独り取り残され射撃を始めた。ゆっくりと時間の流れる空間、電光射撃と空気銃の発砲音が交錯するほか、射座につく射手たちは口数も少なく、標的を撃つことだけに集中する。


 恭仁は黙々とビームピストルを撃ち続けた。数十発も撃ったらピストルを握る腕が痺れてきたので、彼は銃口にミトンのような布の蓋を被せ、机上にピストルを置いて休憩した。射座の手前の小さな机にはペットボトル。銀色の金属屑が中にはミッチリ詰まっている。壁際にあった床用ワックスの空き缶にも、同じような金属屑が大量に入っていた。ゴミにしか見えないが、恭仁にはそれが何なのか見当もつかなかった。


「どうですか。ずっと撃ち続けると疲れるから、時々休憩してください」


 様子を見に来た射場主に、恭仁は振り返ってペットボトルを指差した。


「はい。ところで、ここにある砂利みたいな粒々って何ですか」

「鉛ですね。空気銃の弾。ボトルに詰めて、腕を鍛えるのに使うんです」


 射場主がダンベルを上げ下げする仕草をすると、恭仁は頷いた。あの重量を支えて何十発も撃ち続けるなら、腕の筋肉を鍛える必要があるのも必然だ。


「ピストル射撃は、狭き門ですがその分やり甲斐がありますよ。頑張って」


 恭仁は頷き、射撃を再開した。点数を打ち出して一喜一憂し、休憩しつつも自分のペースで撃ち続けた。100発を過ぎた辺りで、初めての10点を撃って人知れず喜びを覚えた。その間にも彼の背後で小学生たちが帰り、その後は中高年や若いカップルの初心者が来て射撃を体験し、2時間が過ぎた。


「もうそろそろ、帰りのバスが来る時間だ。急がなきゃ」


 地方のバスは本数が少なく、乗り逃したら大変だ。恭仁は射場主を呼んだ。


「今日はもう終わりにしますか」

「はい。楽しかったです」

「それは良かった。その点数票は持って帰っていいよ」

「今日はお世話になりました」

「お疲れ様。倉山さんによろしく」


 射場主の何気ない言葉で、恭仁はふと現実に引き戻されて真顔で頷く。


「カレンダーに書いてる休日以外は、基本的に開いてるから。そうは言っても、銃や射座が必ずしも開いてるとは限らないけど。またいつでも気軽に来てね」

「はい、また来たいです」

「じゃあ気を付けて」


 恭仁は射場主に頷きかけ、射撃場を後にした。重い足取りで山道を下ってバス停に着き、ぼんやりと空を見上げてバスを待つ。遠くに工場の機械音が金切り声を上げ、鳥の鳴き声が響き、空を数羽の鳥が飛び去って行く。


 束の間の安息の時は過ぎ、恭仁はまた現実へと帰っていく。



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