檀 一雄という生き方


 後日、興味が出てきたので奈々子から例のエッセイ本を借りて読んでみた。

 『檀流クッキング』は想像以上に好奇心を掻き立てられる内容だった。


 さすが檀一雄先生。その破天荒な生き様に、ただただ圧倒される。


 九歳の時に母が家を出ていき、残された父は一切の家事をやらなかったものだから必然的に檀先生が妹三人を食べさせなければならなかったという。その為に包丁を手に取り、独学で料理を身につけたのだと。

 片栗粉でとろみをつけたり、果物からジャムを作れたりすることを「発見」した時は狂喜乱舞したそうだ。

 しかし、そこで独学の限界を悟ったのだろう。

 成人して放浪癖が身に付いた檀先生は、日本は元より、中国大陸まで足を延ばし世界中の人から料理を学んだらしい。買い出しが大好きで、遠くまで食材を探しに行く内に中国まで行ってしまったのだとか。

 そこで、せっかくだから現地の人と交流を果たし「なにか地元の料理をひとつ教えてくれや」と持ち掛けるのが檀流の学習方法だ。


 遊牧民のパオ(テント)で寝食を共にし、朝鮮、中国、台湾、ロシアの民と交流を持ち、閉鎖的な島国根性とは真逆の生き方を貫いた自由人。

 そのコミュニケーション能力の高さは、憧れずにいられない。


 その原動力がどこにあるのか、檀先生ご自身はこう語っている。


『私には日本のオフクロのみそ汁じゃなくっちゃ、という帰巣本能に乏しいようだ。というよりオフクロの味をよその味と思っているわけで、私が真ん中であり、私が移動すれば、私の移動先の味が私の味だと思い込んでしまうようだ』


 それはそうだ。

 なんせ先生の妹たちにとって「オフクロの味」とは檀先生が買い出しに走り回って完成させた料理の味なのだから。それが本当のご馳走。自分が世界の中心という考え方は何も間違っていない。


 きっと真の料理人には国境など存在しないのだ。

 感銘を受けるとは、このような衝撃を言うのだろう。


 もしも、この先、僕たちが子どもを授かることがあったら。

 檀先生のような縛られない心をもった大人に育って欲しいと切に願う。


 コミュニケーションの手段はきっと奈々子が教えてくれるだろうから。

 僕は海外出張の経験をいかして外国での生き方を教えてあげたい。


 もしも将来、男の子が生まれたらカズオと名付けてみようか。

 そんな取り留めもない事をふと考えてみた。


 僕は借りた本を閉じ、テーブルに置くと独り微笑んだ。


 買い出しの為に国境を越えていく。

 そんな生き方が出来る世界であって欲しい。

 願わくば、これからもずっと。


 気が付くと、本の表紙に向けて僕はそっと親指を立てていた。


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時を越えるロールキャベツ 一矢射的 @taitan2345

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