信じるも信じないも【KAC20223】

予感

第六感

「嫌な予感がします」


 国際線の空港ロビーで、黒尽くめの女は、スーツ姿の中年男に近づくなりそう言った。

「この飛行機に乗ってはいけません」

 一人ベンチに座り、スマホで今日の星座占いを見ていた中年男は、ポカンと口を開け女を見上げた。


 女は往年の大女優が被っていそうな、黒くてつばの広い帽子を目深にかぶり、黒いロングのワンピースに身を包んでいる。顔には濃い影が落ちて鮮明ではないが、見ようによっては二十代にも見えるし、四十代にも見える。


 中年男は怪訝な顔をして、女に尋ねた。

「君は……?」

「私は占い師です。悪いことは言いません、この飛行機に乗るのはお止めなさい」


 中年男は眉間にシワを寄せた。そう言われたところで、はいそうですか、では止めます、と言える人間が何人いるだろう。

「ご忠告はありがたいが、それは難しい。これから重大な商談があるんでね」

 中年男は突っぱねたが、女はひるまず続けた。


「でははっきりと言いましょう。この飛行機は墜落します。これに乗ったら、あなたは死にますよ」

 女の言葉に、男はぎょっとした。

「きみ、こんなところで滅多なことを言うものじゃない。証拠でもあるのか」

「予知夢を見ました」

「バカバカしい、そんなの証拠でもなんでもないじゃないか」

 男はフンと鼻を鳴らした。


「それなら何故、飛行機会社に直接言わない。この便が落ちるというなら、飛ぶこと自体を止めさせなければならないだろう」


「私が飛行機会社に訴えても、やめてはもらえません。だからせめて、私が伝えられる限り、個人的にお伝えしようと思ったのです。ですが他の人はハナから耳を貸してもくれません。話を聞いてくれたのは貴方だけです」


「いや、私だって信じちゃいないさ」

「信じてもらえないなら、仕方がありません。私ができることは、ここまでです」

 女はそれだけ言うと、サッと踵を返した。

「おい、ちょっと待て」

 男は急に不安になって、女を呼び止めた。しかし女は振り返りもせず、あっという間に曲がり角へと消えて行った。


 男子トイレから出てきた二人の若い男が、「亀井部長、お待たせしました」と中年男に近づいた。一人は髪を今風にセットした若い男で、もう一人は三十路ぐらいの、洒落たスーツを着た伊達男だ。亀井部長と呼ばれた中年男は、今起こった出来事を二人の部下に話して聞かせた。


 若い男が、「もしかして」と目を輝かせた。

「それ、空港に住む幽霊じゃないですか?」

「幽霊?」

「ええ。これは都市伝説なんですけど、空港には飛行機事故で死んだ女の霊が住んでいて、予知した飛行機事故を伝えようとしてくれるって。でも、霊感の強い人にしか見えないみたいですよ」


 すると三十路の伊達男が、「なるほど。部長、霊感強そうですもんね」と頷く。

「いや、霊感なんか無いはずだけどなあ」

「いやいや、本人が気づいていないだけで、素質がある人もいますからね」と、伊達男が冗談とも本気ともつかない調子で言う。

「おいおい、脅かすなよ」と中年男は笑った。その後で、「でも言われてみれば、そんな気がするようなしないような……」と口の中でブツブツと呟いた。


 若い男は「まあ、ちょっと頭のおかしい女なんでしょう」と言い、腕時計を確認すると「あ、もう十時二十分か。そろそろ時間ですね」と立ち上がる。

 中年男は部下に促され、搭乗口へと向かった。しかし、ふと立ち止まり、二人に「なあ……」と呼びかける。


「部長、どうしました?」と若い男が振り返った。

「我ながら馬鹿げているとは思うけど」

「なんですか?」と伊達男が聞く。

「本当に本当に馬鹿げているとは思うんだが、さっきの女の言葉がどうしても引っかかるんだ。なあ、騙されたと思って、次の便で行くことにしないか」


 部下達は驚き、上司を止める。

「この便で行かないと、商談に間に合いませんよ」

「いや、わかってる、冗談だよ冗談……」

 中年男は引きつった笑顔を見せたが、その顔はどんどん青ざめ、足が重くなる。

「部長……?」

 若い男が心配そうに顔を覗き込んだ。


 

 

 搭乗手続きを済ませ、シートに座った若い男は、「いやあ、びっくりしましたねえ」と笑う。

「部長あれ、絶対ビビッたんですよ。こんな大事な商談に穴を開けるなんて、正気ですかね」


 窓際席の伊達男は、スマートフォンをいじりながら「ああ。懲戒処分まではないにしろ、立場はかなりヤバイよなあ」と答えた。


 結局中年男は腹が痛いと言いだし、搭乗するのを止めてしまった。よって部下二人で大口の商談に出かけることになった。

 伊達男は若い男に見えない角度でスマートフォンを操作する。メッセージツールを開き、由梨と書かれたピンクのアイコンのトーク画面を開く。入力画面に文字を打ち込み、数行ずつ三回に分けて送信を押した。


『由梨、さすが元演劇部だな。お陰様で、びっくりするほど上手くいったよ。

途中で若い奴が幽霊の仕業だとか、変なことを言い出して焦ったけど、結果オーライだ。』


『部長の奴、案の定占いや縁起をすごく気にするタイプだった。これで俺とあいつの立場逆転、下克上だよ』


『帰ったら由梨が欲しがっていたバッグ、買ってやるからな。それじゃあ、そろそろ機内モードにするよ』


 伊達男は画面を閉じる瞬間、ふと手を止めた。見逃していた由梨からのメッセージが目に入ったのだ。


『浩人ごめん、渋滞に巻き込まれて遅れてる』と書かれたフキダシの横に、『10:20』とある。


 一瞬(え?)と思ったが、違和感の元を突き止める間もなく、CAに声を掛けられ、伊達男はスマートフォンを閉じた。離陸を始める。機体は地上を離れ、上空へと飛び立った。


 伊達男が、エンジン近くの翼から噴き出す炎を見たのは、わずか数分後のことだった。



    ー終ー


 

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信じるも信じないも【KAC20223】 予感 @Icegray

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