推しの鉄塔

プラナリア

本文

 わたしの人生で初めての推しは鉄塔だった。


 鉄塔というのはつまり送電線のこと。何十mもある鉄骨の構造物が高圧電線を空に繋ぎ止め、野を山を横切り連なっている。わたしの実家は近くに変電所があって、そこからいくつもの送電線が延びている。だからわたしの日常風景は鉄塔に囲まれたものだったれども、そんな数多の鉄塔の中で、でもわたしが推していたのはたった1本だった。


 わたしが推しと出会ったのは、母にスーパーへ連れて行ってもらった時のこと。その推しは前後の鉄塔と比べてひときわ高くて、電線の斜度がまるで山のようになっていた。加えて赤と白の警告色に塗装されていたのだから、周りの構造物と比べて一際異様な存在感を示していた。そんな推しに私は一目惚れしたのだろう。推しの鉄塔としての名前は「白萩線8号」と言った。


 それに、ひとことに鉄塔と言ってもいろんな見た目のものがあって、例えば細くてスマートなフォルムだったり、ずんぐりしてて威圧感のあるものとか......こんな表現で伝わっているだろうか。その点で言っても推しは完璧だった。ただただ格好いい、人間で例えるなら「顔がいい」というふうになるだろうか。


 それから私は母とスーパーに向かうのが楽しみになった、放課後には時おりスーパーに行きたいと強くせがむようになった。小学生の私にとって推しに出会える手段は限られていて、貴重だった。ある時いつも向かっているスーパーが閉店して、母は反対の方角の店に通うことにした。それを知った私はたいそう泣きじゃくって、母から呆れられたのをよく覚えている。


 中学に入って自転車通学になると、わたしは推しに毎日会うようになった。私は遠回りしてでも推しの近くの道を走って、飽きもせず彼に見惚れていた。中2のバレンタインデーの時なんかは、同級生の男子には全く興味を示さず、推しの下に手作りチョコを置く始末だった。後で悪いことをした気になって回収したけれども。あれは流石に痛いし今でも恥ずかしい。


 

 そんな推しとの日々もやがて終わりを告げる。わたしの進学する高校は、自宅から通うには少し遠かった。学寮生活は少し楽しみだったけれども、やっぱり寂しい。毎日当たり前のようにいた父と母も、鉄塔も、推しも、これから先はいない。


 私は引っ越す前日に、推しに別れを告げた。鉄塔1本のために涙を流すなんて馬鹿みたいだなんて思うと、余計に泣けてしまってどうしようもなかった。本当に馬鹿みたいな推し活だった。翌日、学寮へ至る駅への道は推しと反対の方向だった。


 けれども引っ越し後、学寮のそばに「白萩線163号」という鉄塔があったのには、少し拍子抜けしてしまった。

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