第42話 虐待……です

 叔父の屋敷に居を移してからというもの、虚無の時間が過ぎた。

 そろそろ、5カ月くらいになると思う。

 窓の無い部屋で、鬱々としながらも卓上の小さな女神像に祈るばかりの日々。

 きっと火事で、先生も死んでる。

 あのクマの縫いぐるみも燃えてしまっている。

 ドレスも何もかも燃えて無くなった私に残された物は杖と車椅子だけだ。

 叔母からは、可愛そうだからと言って使い古された下着や古着を与えられた。


 聞いた話では私に関係する費用、食費や衣類、生活用品については資産管理者から支払われる事になっている筈。

 それなのに、朝に堅いパン一つとスープ、夜にはひき肉の欠片とスープ。

 そんな生活に私は文句を言う気にはなれなかった。


 そう、これは前世と同じだ。

 姉が出て行った後、急激に悪化した家庭事情。

 暴力を振るうのが、父ではなく、叔母になっただけ。

 日の入らない窓が、壁になっただけ。

 カップ麺が堅いパンになっただけ。

 ゲームやテレビといった娯楽がお祈りの時間になっただけ。


 多分、私は前世の罰を受けている。

 薄っすらとしか記憶していない、その罪で自分を呪った事。

 あの後、どうやって死んだのか、なんてどうでもいい。

 覚えていないし、思い出す必要もない。


「アンタ、また、お祈り?」


 オリアーナが用も無いのに部屋に入って来た。

 どれだけ暇なのでしょう。

 相手をするほどの気力もないし、憂さ晴らしをしたいなら自由にすればいい。


「いいこと?いくら祈ったところで神様は助けてくれないのよ?」


 そうですね、助けてもらおうとは思いません。

 懺悔する事で、次の人生で普通の生活が出来ればいい。

 次があればの話ですが。


「そうそう、今日、エレンラント様とお会いしました、それで婚約解消を考えていると言っていましたわ」


 それも良いのではないでしょうか。

 こんな不幸体質の私は相手として相応しくありませんし、それに私達は偽装婚約です。

 遅かれ早かれ婚約解消となるでしょう。


「こんな車輪のついた椅子、いつまで大事にしているの、アンタは一生この部屋から出れないんだからね」


 そうかもしれません。

 ですが、これはアレクが設計し、陛下が指示し、エレンが素材を集め、クリム様が作った物。

 杖と車椅子が私に残った宝物です。


「これ売ってしまってもいいわよね」

「いけません、それは陛下に賜った物、です……から……」

「やっと喋った」


 振り向いた私の髪の毛を掴み、引っ張る。

 痛い。


「駄犬がしゃべって良いって思ってるの!?」


 頭を掴み、壁にたたきつける。

 痛い。


「前に言ったよね!、アンタは駄犬だって!」


 体を蹴られて、ベッドから落ちる。

 痛い。


「駄犬なら駄犬らしく、わんわん吠えてみなさいよ!」


 ねじるように手を踏まれる。

 痛いいいいい。


「こんなにされても泣かないし、声もあげないのね、もういいわ、つまらない……って言うと思った?」


 胸ぐらを掴まれて、頬を平手で叩かれる。

 左右交互に、何回、何十回。

 抵抗しない事を良い事にひたすら叩き続ける。

 私が抵抗するなんて、烏滸おこがましい。

 これも罰なんだ。


 口の中に血の味が広がった。

 その血が、ベッドの方に飛び散るのを見て満足したのか、床に私を放置して部屋を出ようとする。


「あーあ、手が痛いわぁ。アンタのせいだからね。手当しなくちゃ」


 すごく満足気な顔をしていた。

 前世の父と同じだ。

 あの人も、同じ様に殴る蹴るした後、満足そうしていた。

 その後、ビールを飲んでテレビを見て、飽きたら母に暴力を振るっていた。

 やはり罰なのだと再認識した。


 すれ違う様にメイドのスミレが部屋に入って来た。

 慌てて、私をベッドに移し、回復の祈りを捧げ始めた。

 今回くらいの体罰くらいなら、スミレがあっさり治してしまう。

 前世との違いはこれ位だった。


「ありがとう……」

「いいえ、お嬢様の為ならこれ位…、というか虐待は駄目だと思うんです、お嬢様のお許しがあれば──」

「いいんです、これは私が償うべき罪なのですから」


 スミレはいい子だ。

 私を気遣って、足りない分の食事を運んでくれる。

 まるで、夜間に屋敷をうろついて食事をしていた頃を思い出す。

 あれはお母さまにはバレていたのですよね。

 お母さま……。

 まだ名前も付いていない子どもまで、一緒に…。


 もう涙も枯れたと思ってたのに、少し思い出すだけで涙がこぼれる。

 体罰なんかよりも、思い出す事が何よりも辛い。

 涙を流す事で、その時の事を思い出し、また悲しくなる。

 エレンの言った事が嘘だったらどれだけ良かったか。

 焼け崩れた屋敷を見なければ良かった。

 あの時、駐屯地に行かなければ一緒に死ねたのに。


 後悔ばかりしている。

 スミレにそっと抱きしめられて、それでも涙が止まらない。

 もう泣かないなんて、何回決意したかわからない。

 そんな私をスミレは包み込んでくれた。

 子供をあやす様に。


「そうだ、お嬢様、ちょっと見ててください」

「……うん」

「聖女の力ってこんな事にも使えるんです。先ずは守護の力!」


 早口で祈りの言葉を紡ぐと白い膜が私達を包み込む。

 教会で見たのと同じ、綺麗なドーム状をしている。


「次に浄化の力」


 床が白く輝きだした。

 ちょっと神秘的な光をしている。


「最後に、回復の力!」


 頭上から無数の光の粒が降りてくる。

 その三つが重なる事で、まるでスノードームを内側から見ている様な景色だった。


「綺麗…」


 そして、泣いていた事を忘れ、見惚みとれてしまった。

 こんな綺麗な物ばかりな世の中だったら良かったのに。



 その日の夜、久しぶりに夢を見た。


 お父さまとお母さまが現れて、話しかけてくる。

 なのに、遠くて聞こえなかった。

 よく見れば、お母さまは赤子を抱いていた。


 生まれた事に少し嬉しくなった。

 私は近寄ろうと、両親の元に行こうとするのに身動きが取れない。

 そうだ、自分は自力で歩く事もままならない。

 手足を見てぞっとした。


 私の手足が真っ黒に染め上がっていた。

 体を支える事に悲鳴を上げて、ひびが入る。

 手首がもげたかと思えば、膝が粉々になる。

 ついには、四肢が全て無くなり、身動きすら取れなくなった。

 徐々に遠くなる両親が悲しんでいるように見えた。


 私も連れて行って!!

 そう叫びそうになった時に手で口をふさがれた。

 後に誰かが居る、振り向いて誰なのか確認したいのに、それが出来ない。

 この私が、今更に怖いと思ってしまった。

 死ぬことだって、受け入れようと思っていたのに?


「大丈夫、騒がないで」


 芯の強そうな声がした。

 その声には聞き覚えがある。


「リリィの体は大丈夫。手足も無くなってはいない、そう強く信じてみて」


 言われた通り、手足がまともな状態を思い浮かべ、それが普通だと信じ込む事にした。

 薄く、本当に薄っすらと、手足が浮かび上がって来た。

 私の手足が帰って来た!

 ここで死ぬのかと思ったのに、これじゃあまるで・・・。


「私、生きてていいのかな」

「──ええ、勿論よ、私の為に生きなさい!」



 そこで、目が覚めた。


「おはよう、私のお姫様」


 そこに居たのはお姉さまだった。


「おねえさま……、会いたかった……」


 手を握るお姉さまは私の頭を優しく撫でてくれた。


「お嬢様、申し訳ありません」


 酷く泣いた後と言った感じのスミレが、ベッドの傍らに居た。

 話を聞けば、スミレがこっそり仕入れた食事に毒物が混ぜられていたらしく、それを気づかずに私が食べてしまった。

 スミレの浄化ではそれがどうにもならなくて困っていた所に、お姉さまが来てくれた。

 それは本当に、偶然だった。

 今まで普通に訪ねて来ても追い返されてばかりだったから、領地管理者からの報告書を半ば強引に預かって事務的な理由で書類を届けに来たらしい。


「本人のサインが必要だと言えば、どうにか会う事が許されたわ、でも本当にびっくりしたわ、来たらスミレが凄く動揺しているし、リリィも寝込んでうなされているし、若干熱は高いし」

「ルルゥルア様、本当にありがとうございました」

「いいのよ、それより、誰がこんな事仕組んだのかしらね、死ぬような毒じゃなかったけど…、体の弱いリリィだからもしかする事はあり得るのよ。リリィ、もうこの家を出なさい」


 お姉さまの力強い目、力強い言葉、お姿も少しカッコよくなっている気がする。

 ゲームで見た気弱そうな雰囲気なんて微塵もなく、平然と男子と決闘でもしそうな雰囲気まで帯びていた。


「そうですね、お姉さまの言う通りにします。

 それにしてもお姉さま、カッコよくなられましたね」


 その一言に、幼い頃とは違った、まるで悪戯好きの男の子の様な笑顔で答える。


「そうよ、全てはリリィの為に強くカッコよくなったんだからね」

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