何度でも手をつなぐから

幽八花あかね

何度でも手をつなぐから

「――私とて、昔はこんなオタクじゃなかったんですよ? 小学生の頃に読んだマンガに出てきた『〇〇さまと握手しちゃったっ♡ もう一生この手は洗わない!』とかいうセリフなんて『え、雑菌ヤバそうキモい無理』って思ってましたからね。でも、こうして推しと運命的な出会いを果たしてしまった今、あのオタクヒロインの気持ちも少しはわかるようになったんですよ。だって握手したってことは、推しの極小の皮膚片とか微量の手汗とかが自分の手にも付着しているということですよね。そりゃあ保存したいに決まってるじゃないですか。だって最愛の推しのからだの一部なんですから。推しのDNAが含まれているんですから! でもやっぱり手を洗わないっていうのは衛生的にどうかと思うんです。それに、推しは握手会のときは他のニンゲンとも握手してるわけじゃないですか。そいつらのDNAというおぞましい不純物も混じってしまっているわけじゃないですか! それを一緒に手のひらにくっつけたまま雑菌を繁殖させるのはやっぱり気持ち悪い。ゾッとします。たとえ推しの一部がくっついていても、次に推しに会うときのために私はしっかりとからだを清めて、いつでも綺麗な私でいたいですからね。衛生面には気を遣っているんです。それで、私は考えたんです。手を洗わない以外の方法で、推しとの時間を物質的に保存するためにはどうすればいいのだろうかと。そして数日間考え抜いた末、ようやく思いつきました。そう、空気を保存すればいいのです。私はマンガでこんなセリフも目にしました。『〇〇さまと同じ空気を吸っているなんて信じられない……! もうここ出たら息しない!』なんてね。まあ私はこれに関しても『いや、呼吸やめたら死ぬやん』って思ったんですけど、まあそこからインスピレーションを得られたので良しとしましょう。私は握手会での空気を保存することにいたしました。そう、推しと握手して会話して、制限時間が来て、最後の瞬間――私は思いっきり息を吸って止めたのです。はい、そしてしばらく息を止めたまま歩きまして、通路を出たところで、ポケットにあらかじめ入れていたビニール袋に思いっきり呼気を吐き出しました。推しの吐き出した息が混じった私の息、もうこれはエモい以外に表しようがないですよね!? 推しの息と私の息がひとつの袋の中で混じり合っているのです! きゃあ! そして私はその袋をさらにリュックの中に隠し持っていた密閉容器に入れてそれをさらに密閉容器に入れて入れて入れてマトリョーシカ状にいたしました。――はい、これがその容器です。私が死んだら、どうか! これを棺に入れていただきたいんです!!」

「わかったからさっさと病気治せバカ」

「あああぅっ! あなたの口からバカって言われるのが私は好きで好きで好きで好きでぇ……!」

「そんなにあの日のこと覚えてるなら、なんで昔のことは忘れてんだよ」

「ずみまぜん! あなたの声が好きなことだけ覚えてるだけなんです……! はっ! なんで病室にいらっしゃるんですか!? もしやここはすでに天国ですか!?」

「ったく……。黙って寝とけバカ」

「ありがとうございます寝ます! おやすみなさい!」

「ああ」


 さわがしい少女が眠りにつくのを見届けたところで、青年は病室から静かに去る。あれから毎日のようにこの病室を訪ねているのに、彼女の様子は変わらない。



 ――引っ越しをキッカケにお別れになった幼馴染と、握手会で再会した。俺は声優で、彼女はそのファンだった。


 彼女はあの日も病院の独特な匂いをまとっていて、どうやら無理して会場に来たようだった。あとから聞いた話では、外出許可もとっていなかったらしい。


 勝手に抜け出して、病室で見ていたアニメの推しの中身に会いに来て、また倒れた。まったく、昔から人を振り回してばかりのやつだ。


 骨が浮き出た彼女の白い手と、小さな紅葉もみじみたいなあたたかい手を思い出し、胸がキュッと苦しくなる。なんであんなにも変わってしまったんだ。


『――ゆーくんは、わたしと何度でも手をつないでくれるでしょ? だから、洗っちゃってもなんにも問題ないよ。またつなごうね!』


 小学生の頃に一緒に読んだ少女マンガのことは覚えているようなのに、彼女は俺を覚えていない。きっとあの言葉も覚えていない。


 きっと彼女にとって、俺はずっとただの「推し」にしかならないのだろう。「幼馴染」には戻れない。彼女の記憶は帰ってこない。


 * * *


「おはよう」と言って、彼女の病室を今日も訪れる。彼女は顔面を覆って、推しとの再会に歓びの叫びを上げた。


 そして彼女の「推し」についてのマシンガントークを、俺は今日も聞かされる。俺は彼女の手を握った。彼女はまた叫ぶ。彼女の記憶は帰ってこない。

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