第9話

〈妹〉

「混んでいるね」

 わたし達が今居る地元の映画館が割と有名なのはあるだろうけど、夏休みの映画館は多分何処行っても混んでいるだろうな。それにわたし達が今から観覧する予定の作品も関係しているだろう。というのも風の噂を聞くにその作品は上映開始早々人気の火が点いたらしく、実際ここに居る多くの人々が目的を同じくして訪れていると見受けられる。推量ばかりの物言いは、お姉ちゃん以外のことに対して確信を持つ必要は無いし、核心に迫る労力は無益だし、たとえ作品が革新的な内容だとしてさして興味が無いから、という普遍の真理に基づくよ。他者に触れるのは幾らか苦心だもの。わたしらしい理屈だね。

 三百六十度見渡すまでなく六十度程度で嫌というほど感じるけど、目に映る景色が人、人、人。人一色。ヒトゴミとはよく言ったものだよ。人がゴミのようだってことでしょう。

 ゴミ以下かどうかは置いといて、やっぱり戻してゴミ以下であると考えて、比べるまでもなくお姉ちゃんは人智を超えていると感じて、当初の話題である人の数がここまで多いと気分まで悪くするかもしれないと恐れた。気分を悪くするというのは、人の群れに心理的な不快感や苛立ちを覚えるという意味があるけど、生化学的な観点から胸の付近へ込み上げてくるものがあるという意趣も含む。学校に居る時に受け取る生徒の集団への感じ方とはまた違う種類の雰囲気を与えてくる人間達の集まりだ。これが社会という荒波かい。

 うっ、考えていたら現実に気持ち悪くなってきた。うぅ吐きたい。ゴミのような人、人のようなゴミ、どっちでも良いから急いでゴミ袋を用意してよ。持って来てくれればその袋にわたしが大胆な嘔吐を、ではなくここに居る人々を袋詰めにしてさっぱりした映画館に仕立てあげるから。近所のスーパーの特売の際、巨大な袋を限界まで伸ばし次々に人間を詰めるというメルヘンな空想をふと脳に投下してしまう。睡眠時に羊を数えるのとは訳が違うその最悪な夢想の最中、三人目を収容した所で愈々吐きそうになったので、深呼吸による精神統一した上で隣で歩くお姉ちゃんを上から下まで観察することで、何とか噴射せずに落ち着いた。お姉ちゃん助かったぁ。何かを数えるとしたら、お姉ちゃんを一人二人と数えるのが一番心に優しいな。唯一神に対して畏れ多いことだけど。

 そんなお姉ちゃんはわたしの呟きに対し、「始まるまで少し時間あるからそこのカフェでも入る?」と案を出してくれた。永遠に映画館内で立ち往生していようとお姉ちゃんさえ居れば大丈夫と言えば大丈夫なのだけど、その丈夫さを揺がす危険性を秘める度合の人口規模が目に見えているので、「入りたい!」わたしは同意して、二人で近場のカフェへと足を向けた。カフェ店内の混み具合を壁のガラス越しに見てみた所、あまり混んでいないようなので一先ず安心した。この映画館は中世欧州風の煉瓦造りとなっており、映画館から広がる道もその体を為す。

 中世風な風景を風雅な風采のお姉ちゃんと見ながら、風習や風潮、風骨という風袋ばかり気にする風俗的な人々から疾風怒涛に離れ、風化した風貌の扇風機が送風する涼風の旋風により風鈴が鳴る風流な欧風カフェに着くと、風情ある夏の風物詩、苺風味のかき氷を風変わりな店員に注文した。ふぅ、と小さい溜息を漏らして近くの席に座る。人が少ないとそのこと自体に安堵するけど、結果としてお姉ちゃんへの集中度を高められるから益々有難いね。そのお姉ちゃんはわたしと一緒に注文をし、一足早くテーブルを挟んだ向かい側に腰を据えていた。

 夏休みに入ってからの出来事やこれから見る映画についてお姉ちゃんと豊かな言葉を交わしていると、変わった店員が再度わたし達の前に現れて、二つの食品を置くや否や直ぐにレジの奥に帰っていった。しかも早歩きで。何がしたいのかよく分からないけど、なるべくわたし達の意識の外で黒子のように食品を提供して欲しい。因みに風変わりというのは身長が高く髪が正面で簾のように舞うことを言っている。見た目の若さからすると彼女は学生のアルバイトかもしれない。どうでもいいか。

 割り切ってお姉ちゃんとの会話を再始動しようとすると、お姉ちゃんは硝子の外に視線を逸らしていた。片肘をテーブルの上に乗せて手の平に綺麗な顎を預け、透明のその先を見つめている。何か気になる物でもあるのかなとわたしが目を向けてみても、特別人目を引く物は見当たらない。

「お姉ちゃんどうかした?」意識が散っていたのか、お姉ちゃんはわたしの問い掛けに二、三秒遅れて反応を見せる。

「何でもないよ」微笑を主張してお姉ちゃんはそう答えるけど、決して額面通りには受け取れない。姉妹だから、お姉ちゃんとわたしだから分かることだけど、カフェに入ってからのお姉ちゃん、何処か無理をしている気がする。醸し出す雰囲気から、違和感のようなものを覚える。だけどお姉ちゃんが問題ないと言うのなら、取り敢えず今は黙って見届けていよう。実際ただぼうっと外を眺めていた可能性が無くはない。もしお姉ちゃんに何かしらの問題が出てくる予感がしたら、わたしは直ちに問題解決を目指して身を乗り出す。いざという時の為にいつでもやれる準備はしているからね。

 この話はここで終わりとして、溶けてしまう前にかき氷を食べようじゃないか。トレーに乗った二つの皿の内、赤い方をわたしの手前に、黄色い方をお姉ちゃんの側へ寄せる。お姉ちゃんはレモン味。お姉ちゃん自身の味は、幸せの味。お姉ちゃんを味わった経験は今の所一回だけかな。嬉し恥ずかしこの前のことです。愛情が目に映るものとして表現され、字面的には好きの裏返しであるアレです。味覚のみならず五感あるいは第六感まで使って感じていたけどね、あの時。

 そうだ食べないと。トレーに置かれたスプーンを手に取り、皿に盛られた氷山の一角を削って一口目を頬張る。おぉこのお味は……ふむ、普通。口の中に入れた瞬間苺の甘さ八割、酸味二割を活かし切るシロップが舌の上で暴れ回り、ひんやりとした氷がその暴乱を冷静に見送る、そんな至って普通の味。感想まで普通になってしまった。しかしこんな素朴な味わいも、実はとある魔法で飛躍的に美味しくなることが非科学的に証明されている。ここまで来たら言わなくても分かるよね。はい。

「「あーん」」

 うぅーん。美味しい甘ぁい。お姉ちゃん最高。お姉ちゃん好き。

 絶好なテンションを抱きながら、わたしとお姉ちゃんはかき氷のやり取りを何往復も繰り返した。続いてお姉ちゃんとの触れ合いを堪能していると、いつの間にか上映時間が迫っていることに気付いた。危ない危ない、当初の目的を忘れる所だった。

 使ったトレーを片付けた上でカフェを出ようとする。その際先刻の女性店員がちらりと見えたけど、そのまま歩みを止めずに退出した。

 小一時間振りに館内へ入ってみると変化無しの寿司詰め状態。何とか頑張って入場口に進み、既に買っておいた当日券を提示した後、そこに書かれた何番シアターの表記に従ってそこを目指す。

 到着して中に入ると映画館特有の暗闇に巻かれ、お姉ちゃんと繋いでいる手をより強く握ってしまう。お姉ちゃんはそれを察知してもう一方の手でわたしの肩に触れてくれた。別段冥闇が怖い訳ではなくとも、お姉ちゃんの優しい手つきに慰められるだけで心がしっとりとする。指定された席に着くと、ゆったりとした感触の座り心地に寛ぎ、繋いだ手と手は席の間にある手摺りに任せた。手摺りの存在がわたしとお姉ちゃんの繋がりを認めてくれているようで好感を覚える。

 暫くすると広告や諸注意を踏まえた上で作品の上映が始まった。暗がりと大画面、静けさと大音量のコントラストが心做しか新鮮で、映画とはこういう物だったなと思い出す。

「………………んぅぅー」

 上映時間が過ぎ、暗黒の別世界から光の指す現世界へと居場所を移す。座り心地の良いシートに惑わされて眠気が訪れていた身体を、天井に向かって伸ばすことで睡魔を発散させた。

「面白かった?」そう聞いてくるお姉ちゃんは睡眠欲から縁遠そうな顔色をしている。わたしだけ眠くなってしまったのか。罪を意識する。

「まぁまぁかなぁ」カフェで食したかき氷と同じく。恋愛映画だったらしいけど正直何一つ頭に入っていない。他人の恋愛にまで感情移入出来るような感受性は持ち合わせていないからなぁ。鑑賞していて話の流れが右から左へ抜けていった。前方を占める映像三割、隣に居るお姉ちゃんのこと七割で脳内を構成していた。唯一評価出来るのはこの作品が女性同士の関係を描いた物だったという点かな。わたしとお姉ちゃんは心身共に女同士、共通点があると言えなくない。ただ結局の所わたし達の方が結束力が高いと自覚するに終わった。上映中に何度もお姉ちゃんと目が合ったし。その度にお互いにニヤついてしまってそれが一番の見所だった。虚構なんて関係無い。

 館内から出ようと歩いていると、またもや例の奇妙な女性店員に出会った。というかすれ違った。今度はカフェの制服の格好とは違い私服を着こなしていた。バイト終わりなのか。そして横には過度に密着している男が居た。

 超絶、どうでもいい。そんなことよりわたし達の未来を考えよう。ね、お姉ちゃん。こっち向いてね。明日で夏休みに入ってから二週間後になるね。海に行く予定は固まったし楽しみだな。お姉ちゃんの水着。

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