第4話

〈姉〉

 家に近付いて来て空を見上げると、夕方と昼どちらにも分別されない儚さに思わず溜息が出るような風流人ではない私達は海の話で盛り上がっていた。決行が決定した後、「海も楽しみだけど巷で有名な恋愛映画にも行こうよ」「うん!」と言った勢いで次なる予定も出来た。

 恋愛映画と耳にした時の縁は何やら思案しているような表情だったが、それはポジティブシンキングと受け取っていいのかな。妄想していたのかな。「お姉ちゃん髪に付いているよ……ポップコーン」と柔和な物腰で軽やかに取って自然のままに口に運ぶ縁、とか期待して良いのですかね。縁が妄想するなら私は妄想返しだ。映画のフィクションより私達のリアルの方が栄華あるぞ。

 帰路を終えて我が家に着くと、相変わらず出発した朝と変わらない建物のままだった。日常の象徴だ。朝縁とお出掛けして昼は窓際で小粋なランチ、夕方は二人の愛の巣に帰り、夜は安らかに快適な睡眠を取る。そんな毎日がここ最近の日課な訳だ。去年まで縁が小学生だったから朝と夕方の毎日は削られ、昼の日課は皆無だった。だから今は恵まれているのかもしれない。そもそも縁が生きているだけで恵まれているか。縁に感謝。

 住居のドアを開ける時は、今から縁と何しても自由なのだという解放感をひしひしと意識する。家という境目は外からの熱視線なのか何なのか知らないけど、お構い無しに送ってくるうっすら真白な目を遮ることが出来る。物理的にも精神的にも安全第一な造りだな家ってのはと、心中で建築業界に関心を寄せながら家に入る。

 縁と何をしても自由、自身のフレーズに触発される。試してみようか。丁度先に玄関で靴を脱ぎ終わった縁に、擽り攻撃を仕掛けてみる。こちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょ。

「ぐえ!?あ!あ、う……、あ……お、お姉……ちゃん?」

 油断していたのが丸分かりであると背筋をびくり震わせて反応する縁。その縁の身体の既知の柔らかさと私の新鮮な試みが作用し重なる。あ、やばいこれ。止まらないヤツだ。

「お、お姉ちゃん……ん!……ど、どう、して……あ」

 突然の襲来に疑問を隠せない縁。しかし私は更なる擽りで問い掛けさえ隠してみせる。攻撃の手を止めない。

「……ん……あ……は……は、んん……………」

 くすぐりくすぐりくすぐり。どう?どう?うんうん、可愛いね。程良い嬌声だね。もっと出して良いんだよ。ほらほら。こんな箇所はどうかな。こちょこちょ。

「ひ、ふぃあぁぁぁ……はっ、ははははははは!!!」

 異なるポイントを攻めたら今度は艶やかさが面白さへと変わった。奥に秘めた笑いのツボを押したのかな。ぐりぐり。大好きな縁に触れて触れて触れて、触れ放題で楽しい。これが自由だ。自由最高。

 その後も約三十分間縁を弄っていた。あんな所やそんな所まで私のおぞましい手を及ばせていた。お蔭で縁は疲れ切った表情でぐったりしている。それで思い知ったことがある。何が大事かと言ったら、冗談と本気の境目だよね。つい本気になってしまった。そして夜に続く。


〈妹〉

 お姉ちゃん好き。言いたかっただけ。定期的に言わないと身体が疼いてしまう。言ったら安心してお腹周りが落ち着く。お姉ちゃんを愛する毎日が楽しい。お姉ちゃんさえ居れば二ヶ月くらいは何も食べなくても生きていけそう。せめて貴重なタンパク源かつ高貴なワクワク源である、お姉ちゃんの髪の毛を一本ずつでも毎日食べられたら一層幸せに感じる。反対にわたしが食べられるのも魅力的だ。最期には「わたしを食べて」と言い残してお姉ちゃんの血となり肉となり、年中無休でお姉ちゃんの内部に住み着きたい。あ、そうすればお姉ちゃんの臓器や体液とも知り合いになれるじゃないか。そうでしょ。

 わたしはよく見てさえいればお姉ちゃんの繊細な手やウエストの動きからお姉ちゃんの心境を予測、更に発展させて限りなく現実に近いことを願う夢想をすることも可能なのだ。それはもう口から出る物と同じくらいの理解度で身体のあらゆる箇所からお姉ちゃんの意思を読み取れるということなのでは。

 だとしたらきっと、細胞レベルに小さいお姉ちゃんの一部との意思疎通も出来るのではないか。身長を一ミリに縮めたお姉ちゃんが、血管と名付けられたヴァージンロードを和気藹々と次から次へ通過していく様子を思い付いてしまう。血流に乗っている最中悪いけど、わたしも乗せてってくれないかと夢のヒッチハイク物語。旅路は実物大のお姉ちゃんの全身を巡る慰安旅行。笑い有り涙有りの感動長編スペクタクル。最早なんでもアリ。そんなお姉ちゃんも、アリ。

 ただ注意すべきなのはわたしはまだ死んだことがある訳無いから、肉がバラバラに消え去ってもそこに魂が残るかどうかに自信が無いということ。普段決して無駄ではない程自信を抱いているわたしであれ、こればかりは流石に分からない。

 くそー、肉体に縛られたくない。ヒトの枠、生き物の枠からはみだせたら良いのに。生死を問わず精神解放宣言だよ。人魂となってお姉ちゃんを見守りたい。いやもしかしたら既にわたしには視えない霊魂がお姉ちゃんに憑いている可能性もあるのかな。わたしと志を同じにする輩が居るかもしれないか。どうしよう、そいつを消したい。考えは被れどそいつは同士ではない。思考さえ質は異とするだろうし。

 もし本当に卑怯卑屈で不可視の敵が出てきたらどうしようか。どうにかして抹消したいなぁ。視えないのに見られている、しかもその対象がお姉ちゃんだとしたらお姉ちゃんもわたしも耐え切れないストレスに苦しむだろう。懐中電灯や掃除機でどうにか無に還せないかな。そもそも視えないのにどう戦おう。常にお姉ちゃんの周囲、行先を無菌状態にする必要がある。そんな毎日の苦労はやり甲斐により帳消しされると思った。

 無駄長話は程々にしておこう。わたしは夢見る少女、特にお姉ちゃんの夢を頻繁に見る女だけど本心から虚構世界を目指している訳ではない。現実のお姉ちゃんが何より好きだから。

 ちょっとした思い付きなのか長考なのかはっきりしない物思いが駆けている時、お姉ちゃんから映画に誘われた。それにわお、恋愛物。

 ほうほう、これはチャンス。勿論映画の中身など無いようなもので興味の向かう先ではないけど。お姉ちゃんを取り上げた作品だったら良かったかな。わたしが映画監督になったらお姉ちゃんの教室での何気無い仕草や表情、行動を監督権限を行使して余す所無く味わい、動画に加えて写真を撮って秘蔵アルバムを作って日付、時間、場所、天気等の必要事項を記入して対応する箇所に一枚一枚丁寧に、赤ちゃんの頭を撫でるようにぺったり貼ってそれを定期的に閲覧するわたしは全面的にわたしの功績を讃えて圧倒的な充足感を得て、遂にはお姉ちゃんに告白して誰も居ない舞踏会で夜通し二人だけのワルツを奏でるのだ。はい絶好調。

 内容は完全無視するとして、劇場という場所は見目好く出来ているから利用せざるを得ない。混んでなければいつも通り世界にわたし達二人きりの状態と殆ど変わらないし、家のテレビとは違って大画面大音量だから特殊な気分に浸れる。家で突然手を握るのは不思議と不自然な感じがするけど、劇場では雰囲気と肘掛けが相俟って何かしらの法則名が付いて良い程やり易い。今も改めて意識するまでなく手を繋いでルラルラ歩くわたし達なら何処に居ようと関係無いと言えば関係無いけど、趣向は変わってくれるよ。

 お姉ちゃんとの行為の表現をオノマトペに頼ってしまう自分の不甲斐無さと、しかしながらお姉ちゃん効果でその効力が元より数段高められた誇らしさが心中で並立していると、家の前に着いた。玄関の鍵はポケットに入れていつでも取り出せるようにしてあるので、一旦お姉ちゃんの手を離すのを惜しみつつわたしがドアの前に出る。特に理由は無いけどわたしが鍵担当。お姉ちゃん好き。不意打ち。

 まるで思い入れある生まれ故郷の実家に戻って来たかのようにドアを開け、例えるならば靴が三足並べてあるような玄関に中学生女子みたいな足を踏み入れる。事実を比喩化することで現実にスパイスが加わると思った。どう?でもいいか。

 お姉ちゃんの存在に比べたら天と地、天とチャレンジャー海淵の差を感じる下らなさを不覚に覚えてしまったこれまでの自分に別れを告げるような引き締まった気持ちで靴を丁寧に脱ぎ捨てる。ふー、やっぱりお姉ちゃんと暮らす我が家が一番リラックス出来るやとしみじみしたその時。お姉ちゃんが唐突なスキンシップを図ってきた。

 ひゃ、ひゃ。く、擽ったい。柔らかく揺れる手がやってきた。スキンシップどころか、それ以上に過激なやつだこれは。というか、擽ったいというよりは……ん……これどことなく……あ、ん…………何か後ろが、背中が痺れるぅ……それに、したって……あ……お、お姉ちゃん……いきなり……?あ……お姉ちゃんの、指が…………でも、んあ…………お姉ちゃんならしても、いいよ……お姉ちゃんなら、何でも…………あ……あ……はぁ…………お姉ちゃん、凄い顔……してるぅ…………それも良い…………お姉ちゃんが……楽しいなら……は、んん…………わたしはそれが、一番………………わたしこんなに、されても……全然、嫌じゃない…………寧ろ嬉しい…………う……はぁ、嬉しい……嬉しい……嬉しい…………嬉しい……。

 程なくすると日頃覚えない感覚に訴える挙動は笑いを強制する物へと進化した。笑うだけでなく、尻やら耳朶やら至る所を探られて驚きの渦の中叫んでしまった。お姉ちゃんに只管触られて、お姉ちゃんの肌の潤いを漏れなく吸い取って、深々とお姉ちゃんに溺れていくようだった。時間の感覚を忘れ、自発的でないにも関わらず無我夢中になっていた。お蔭様で体育のマラソン終わりのようにぐてりと倒れた。一体何だったのだ。お姉ちゃんなら何でもオーケー。

 体力が回復するまで待って自分の部屋に戻る。勉強道具が整頓され置いてある机の下に収まる椅子を引っ張り出して座る。一息吐いて思うのは、生身の体で触れ合うからこそ楽しいということ。精神だけで満足なんて出来ないのだ。精神論しか用いずにお姉ちゃんの全てを感じることなど出来やしない。身体が資本なのだ。お姉ちゃんの生命活動を支えてくれている健康な身体に感謝しないと。

 だからカッターナイフを持ち運ぼう。

 引き出しに入れていた文房具を手に持ち、鍵の入っている制服のポケットに忍ばせる。現実観のあるわたしだけど、現実が非現実になるのはそう珍しいことではない。見えないのは霊魂の類とは限らない。念には念を、ね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る