2-11


「……小僧。表に」


 美味しいごはんと二種類の冬瓜の葛煮、数種類のお惣菜をたらふく食べて、ゆっくりとお茶を飲みながら話に花を咲かせていたころ。


 ぽふっと何かが背中に当たって、密やかな声がする。――クロだ。


 肩越しに振り返ると、その姿が空気に溶ける。僕は笑顔で長瀬さんたちに断りを入れて、席を立った。そして、そっと玄関へ。


 中戸をきっちり閉め、音を立てないように気をつけながら、紅殻格子の引き戸を開ける。


「……! 錦さん……」


 京町家ではよく玄関戸の傍らに設けられた折りたたみ式のベンチ――ばったん床几しょうぎに、ちょこんと座っていたのは、我が大学の『いけずな京のお姫さま』。


 白いクラシカルなブラウスに、白から蒼へのグラデーションが美しいプリーツスカート。そして、冬瓜の葛煮のように美しい翡翠色の羽織。いつものように、和と様をうまく組み合わせたコーディネイトだ。


「四ノ宮さんと、約束でも……?」


「……このあとに」


 ピンと背筋を伸ばして、だけどじっと膝をにらみつけたまま、端的に答える。


「えっと……じゃあ、入ります?」


「……料理屋にはよう入らんて、言うたはずですけど?」


 僕を見ようともせず、「ここで待たせてもらいますわ」と言う。


 ……つんつんされるのは仕方がない。ご立腹の理由は火を見るよりあきらかだ。昨日、僕は完全にやらかしたし、おまけに今日も、お姫さまの忠告に後ろ足で砂をかけるようなことをしでかしているからな。


 僕は後ろ手で引き戸を閉めると、素直に謝った。


「えっと……ごめんなさい。今度は男三人、四ノ宮さん一人で……。言い訳になるけど、お友達も連れてきてって言ったんです……」


「……知っとる。誘われたから」


 錦さんが「その時間はあかんから、ほかの子を誘ってって言うたんやけど……」と深いため息をつく。


「あの子の警戒心は……ほんまにどうなっとんのや……」


 イライラしているからなのか、言葉遣いがいつになく雑だ。敬語も取れている。なんだ。どうした。


 無防備にぶすーっとふくれているのを眺めながら、僕は戸に背中を預けた。


「……先輩の思い出の煮物の話は?」


「それも聞いとる。……ほんまにわかったん?」


 頷くと、「まさか、あのけったいな話でたどりつくやなんて……」と再びため息。


「四ノ宮さんは嬉しそうだったよ。先輩に感謝されて真っ赤になってた」


「……そうやろな。あの子、前々から気にしとったみたいやし……!」


 瞬間、憎々しげに錦さんが舌打ちをして、僕はびっくり。えっ!? お姫さまでもそんなことするんだ!?


 お公家さんの血筋で、華道の家元の娘だろ? これでもかってほどいい家の出なのに。


「……?」


 でも――あれ? ちょっと待てよ?

 今の、舌打ちするようなことだったか?


 僕はふと唇に指を当て、空を仰いだ。


 雲一つない、抜けるような青空。燦々と降り注ぐ陽光に、屋根の瓦が黒々と輝いている。


 今、僕、『四ノ宮さんが赤くなってた』って言ったよな? 『四ノ宮さんと長瀬さんがいい感じになってた』ではなくて。

 それで舌打ちするってことは、『四ノ宮さんが誰かを気にするのが嫌』ってことにならないか? 相手がどうとか関係なく。


 僕は錦さんに視線を戻して、首を傾げた。

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