2-10
きっと、『なんで、覚えてないんだよ』と何度も思ったはずだ。怒りとか、寂しさとか、やるせなさとか――いろいろなものを感じていたはずだ。
でも、そもそも食べていたものが違うのだとしたら――。
「じゃあ、これは……ばあちゃんが俺のためだけに作ってくれていたものかもしれないんですね……」
長瀬さんが、何かに想いを馳せるように、優しく目を細める。
「ああ、そうだ……。きっとそうです……。俺、ばあちゃんのおかげで克服できた野菜も多いから……」
そう言って、長瀬さんが最初にお出ししたほうを手に取った。
「本当だ……。俺が覚えているものより、綺麗だ……」
澄んだ黄金色の餡に絡む、透き通った翡翠色。それはたしかに、ハッとするほど美しい。
「ばあちゃんも、生粋の京都人でした。俺の野菜嫌いがなかったら、間違いなくこちらを作っていたと思います。ばあちゃんの料理は、いつも彩り鮮やかで、綺麗だったから」
そう言って――翡翠色の冬瓜を口にする。
「……うん。こっちも美味しい。美味しいと、思えるようになったんだな……」
ゆっくり味わって、しみじみと言って――破顔する。
それは、ひどく清々しく、晴れやかな笑顔だった。
「ありがとうございます……! 実は、ちょっと不安だったんです。みんなが言うように、やっぱり俺の記憶違いなのかもしれないって……。でも……あった!」
長瀬さんの声が震える。
「ちゃんと……あった……!」
「……先輩……」
噛み締めるように呟く長瀬さんの背を、四ノ宮さんがそっと撫でた。
――そうだな。親父にまで『そんなのあったか?』って言われたら、不安になるよな。
周りにとっては、ただの『記憶違い』で済むことでも、本人にとってはそうはいかない。それは、大事な人との、かけがえのない思い出なんだ。大切な大切なものなんだ。絶対に失うわけにはいかないものなんだ。
それが、自分の頭の中だけで作り上げられた虚構で、実際にはそんなできごとは何一つなかったとわかったら――僕なら立ち直れない。
心の底から、よかったと思う。長瀬さんが、大事なおばあちゃんとの大切な思い出を、失くさずに済んで。
「子供だったから、冬瓜を知らなかっただけだ」
一陽さんが、気遣うように言う。
「だからカブと勘違いしてしまっただけで、記憶は何一つ間違ってませんでしたよ」
僕は、長瀬さんににっこりと笑いかけた。
「キンと冷やして食べるのが美味いですよね! 僕も大好きです!」
「っ……! うん……! うん……!」
長瀬さんは、顔をくしゃくしゃにして何度も頷いて――四ノ宮さんへと視線を移すと、背中を撫でてくれていた手を取り、ぎゅうっと握り締めた。
「四ノ宮も、ありがとう。四ノ宮のおかげでたどりつけたよ」
「っ……! そ、そんな……!」
四ノ宮さんが、ひどく慌てた様子で首を横に振る。
「わ、私は何も……! ただ、ちょっと、き……訊いてみただけで……」
そして、モゴモゴ言いながら、顔を真っ赤にして俯いた。
おや? これは……。
「訊いてみてくれたからこそ、だよ! ありがとう!」
「あ、はい……。あの、はい……」
四ノ宮さんが、もじもじしながら、落ち着きなく視線を彷徨わせる。
「…………」
はー……なるほどね? わかりやすい。
一人で納得していると、長瀬さんがふたたび煮物に箸をつける。
「うん。美味い……! 本当に美味しい……!」
「もっと食べます? まだありますよ。よければ、炊きたての白米も用意してますが」
「えっ……!?」
なんだったら、味噌汁も、おつけものも、ほかの惣菜までありますが。
「四ノ宮さんもどう?」
「い、いいんですか!?」
もちろん、いいですとも。休日出勤した一陽さんのために『美味しい!』って喜ぶ姿を、存分に見せてあげて。一陽さんには、それが一番のご褒美だから。
「じゃ、じゃあ……」
四ノ宮さんが、恥ずかしそうに頬を染めて、長瀬さんを見る。
「先輩の、思い出の味……食べてみたいです……」
料理を作った一陽さんでもなく。
食べるかと訊いた僕でもなく。
その言葉に、長瀬さんもパッと顔を赤らめる。
「じゃあ、一緒に……」
おばあさんもきっと喜んでいることだろう。孫のために愛情込めて作った煮物を、孫が覚えていただけではなく――淡く燈った恋の橋渡しになったとなれば。
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