振り切っていこう シアとレン 2

楸 茉夕

シアとレン 2

「キャーーーーッ!!!! シア、シアーーーーーッ!!!!!」

 二階席からでは米粒の大きさにしか見えない、ステージの上で歌い踊る青年に声援―――最早悲鳴に近い―――を投げる友人を隣に、彼女は若干引いていた。

 本当は、彼女は参加するはずではなかった。チケットの本来の持ち主である別の友人が、ライブ二日前に不慮の事故で骨折してしまったため、勿体ないからと泣く泣く譲られたのだ。

 最近は転売や名義貸しなどの取り締まりが厳しいので、譲られたチケットで入れるのか疑問だったが、ファンクラブ経由で手続きをすれば、正式に譲ることができるらしい。

 現在、絶賛売り出し中の理系男子アイドルユニット「Na2O2過酸化ナトリウム」。これは彼らの初アリーナツアーだという。掃除がはかどりそうなユニット名だな、とは思っただけで言わなかった。

 友人の推しは「水素」のシアだという。カラーは水色。名前からしてシアンじゃないのかとか、そもそも過酸化ナトリウムに水素は含まれていないのではとか、いろいろ気になったが、やはり口には出さなかった。それらはきっと、ファンの前では些細な問題なのだ。問題ですらないかもしれない。

 胸の前に大きな団扇を構えた友人が、空いた片手で彼女の肩を掴んで揺さぶる。

「ちょっとレン!! 見た!? シアが今、あたしを指さした! 目も合った!! シアーーーー!!!! 好きーーーーーー!!!!!」

「お、おお……よかったね……?」

 揺さぶられるまま、レンは舞台上の米粒を見下ろした。この距離では指をさされようが目が合おうがわからないだろう、とは、思うだけ野暮なのだろう。こんなに騒いで迷惑ではないだろうかと心配になるが、周りの客も米粒に夢中でレンたちに注目する人はいない。

 昨日チケットを譲られ、「Na2O2」のメンバーと最新アルバムをたたき込まれただけのレンには、彼女たちほどの熱量はない。しかし、ステージを縦横無尽に駆け回り、歌やダンスのみならず、クイズや寸劇など、様々なパフォーマンスでファンを楽しませる彼らを見ていると、熱狂する気持ちもわからなくはない。

 特にファンでもなんでもないレンですらライブを見ていると応援したくなってしまうのだ、元から彼らが大好きなファンたちは、どれだけ声援を投げても足りないだろう。

(凄いなあ……)

 二十曲近くも歌詞を覚え、振り付けを覚え、ライブの進行を覚え、時にはアドリブなどを入れながら、アンコールまでとどこおりなく完遂するには、どれほどの修練が必要なのだろうと思う。しかも、彼らにはテレビやラジオの出演、レコーディング、雑誌の取材など、他の仕事もあるはずだ。だが、ステージ上の彼らは皆キラキラと楽しそうで、陰の努力を滲ませもしない。

(自分たちも心の底から楽しんでますって感じ)

 遠くの席だと肉眼で判別するのは難しいからだろう、ステージの後方と左右に巨大なモニターが据えられており、メンバーを順に大写しにする。

 件のシアの横顔がアップになり、それに気付いたようにシアが振り返った。

(……え?)

 目が合った、と思った。

 そんなはずはない。レンからは米粒だし、彼らからすれば客席はマッチ棒の群れだろう。Na2O2は六人、対して観客はおよそ一万人で、個人が判別できるわけはない。ましてやカメラ越しだ。シアはカメラを見ているだけで、レンを見ているわけではない。

 だが、水色の衣装を身につけ、歌いながら手を振る彼は確かに、自分を見たと感じたのだ。

(やだ、わたしもナミのこと言えない)

 謎の後ろめたさと照れくささを感じ、それを誤魔化すために、レンは叫んでいた。

「頑張れーーーーーー!!!!!!!」



      *     *     *



「やー。レンもシアに沼ってくれるとは、意外だったな。レンなら『炭素』のシキだと思ったんだけど」

「炭素も含まれてなくない? シキって何色の人?」

「黄色」

 たしかに黄色はいたが、顔が思い出せなくてレンは曖昧に首を傾けた。記憶を探ろうとして、そこではないと思い直す。

「そもそもわたしは沼ってない。ライブの雰囲気に流されただけ」

「大丈夫、あたし同担拒否じゃないから。むしろ大歓迎だから」

「違うってば」

「いいのいいの。新しく沼に落ちていくオタクの悲鳴はいつ聞いてもゾクゾクするわ」

「何言ってんの?」

 ライブ終わりのファミリーレストランである。周囲には、同じくライブ帰りとおぼしき女性たちで、そろそろ終電だというのに店は混雑している。

「でも、頑張れってどうなのよ。もっとあるでしょ、好きー! とか、結婚してー! とか」

「結婚……したいか……?」

「したいに決まってるじゃない」

 真顔で返され、何も言えなくなったレンは無言でオレンジジュースを啜った。

 ナミは夢見る少女の表情で言う。

「想像してごらんよ、結婚したらさ、家にシアがいるんだよ? あの! 顔が! 出迎えてくれるんだよ! 意味わかんない最高」

「それはもしかしてインテリア……なんでもないです」

 ナミの表情が真顔に戻り、レンは突っ込むのを諦めた。恋は盲目と言うし、きっと今のナミには何を言っても聞かないだろう。

「認めて楽におなり。ほら見て、シアのプロフィール」

 ナミの差し出したスマホの画面には、やはり水色の服で微笑んだシアの写真と、身長体重から始まる細かいプロフィールが表示されている。ファンクラブの会員専用サイトらしい。

「特技が日月じつげつボール! 本当に意味わかんない最高。けん玉得意だって言ってたし、けん玉も書けばいいのに」

「……けん玉でしょ?」

「何が?」

「日月ボール。けん玉の古い呼び名だよ。大正時代くらいの」

「うっそ! えての日月ボール? やだ博識じゃん最高」

「完全に滑っ……なんでもないです」

 プロフィールをよくよく見ると、特技は日月ボール、趣味は盆栽とスノーボード、好きなものは古い本と電波塔とあった。方向性がよくわからない。まだキャラが固まっていないのかもしれない。

「そこはかとなく陰キャの匂いが……」

 思わず呟いてしまい、怒られるかと思ったが、ナミはにこにこと頷いた。

「そこがいいんじゃない! ギャップってやつよ。あんなに顔がよくて歌もダンスもトークも上手いのに、家でけん玉しながら盆栽のお世話してるんだよ? ほんと最高。盆栽になりたい。いや、シアが使う剪定鋏せんていばさみになりたい」

「さすがに盆栽とけん玉は別々にしてると思うけど。―――あ、そろそろ出ないと終電間に合わないよ」

「え、もう? まだぜんぜん話し足りない。あっという間だねー。授業もこうだったらいいのに」

「やーだー。思い出させないでよ」

 レンとナミは溜息交じりに重い腰を上げた。

 今日は日曜で、明日は月曜だ。普通に学校がある。二人とも、終電までには帰る、明日は必ず学校に行くと親に約束して、ライブに参加する許可をとりつけてきたのだ。

 伝票を持ってレジに行くと、眼鏡をかけた若い男が一人、俯きがちに立っている。酷く疲れている様子で影が薄く、どうやら、店員は彼に気付いていないらしい。

 呼べばいいのに、と思いながらナミの会計を待っていると、視線に気付いたかのように男が顔を上げた。目が合う。レンも驚いたが、相手も何故か驚いた表情になった。

 仕草も表情も纏う空気すらもまったく違うので、顔を見るまで気付かなかった。しかし、彼は紛れもなく、

「……え」

「あ……」



 了

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振り切っていこう シアとレン 2 楸 茉夕 @nell_nell

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