編集済
後編への応援コメント
無事に家に帰れたが、テレビをつければ世紀末のようなありさま…
ある日突然、日常が終わることってありますよね。
日々平和であることがどれほど幸せなことなのか。
追記:はは、確かに、世紀末そのものは平和でしたね。
原発は怖いですが、一人の人間が使用するエネルギーの平均量は時代と共に増加傾向にあり、人口も増えているから、どこかで間引きされないと原発は無くならないかもですね。核融合のテクノロジーも開発されていますが、核融合自体に多くのエネルギーが、それこそ原発で生むようなエネルギーが必要になり、化石燃料も底が見え始めてきている…皆が自分勝手に生きるのではなく、真剣に世界の状況を考えて協力していかないといけないですね。確かに、争っている場合なんかじゃないです。
作者からの返信
後編までの閲覧とコメント、それにお★さま、ありがとうございます。
世紀末は、穏やかでしたねえ!ww
1999年から2000年に掛けては、コンピュータの動作不調でエレベータが止まるとかガスの供給が止まるとか言われましたけど、結局、トラブルなし。21世紀を迎える2000年の年越しも、穏やかだった記憶です。
私も、半世紀以上生きていますが、「怖かった」と感じたのは、
・1979年のスリーマイル島原発事故
・1986年のチェルノブイリ原発事故
・1995年の東京都心での地下鉄サリン事件
・2011年の福島第一原発事故
ですね。
特に、サリン事件と福島原発事故は、東京で暮らす自分にも余りに身近で怖かったですが、チェルノブイリ原発事故も、国を挙げて放射性物質の飛来を恐れたもので、強烈に印象に残っています。
核兵器と原発事故は本当に怖い。
ロシアは、そのチェルノブイリ原発事故の当事国で、事故発生も、その後の処置の大変さも、身に染みて分かっていようというのに、あろうことか 3.11 を目前に、ウクライナで戦争を始め、しかも、そのチェルノブイリを占領する、電源を遮断するという暴挙には、戦慄を感じざるを得ませんでした。
前編のコメント返信に書いたように、東日本大震災での私の体験は、本当にささやかで、文章にするほどの話でなかったのですが、それでも、この文を書かずにはいられなかったのは、原発事故への恐怖と憤りからなのです。
日々平和であることがどれほど幸せなことか!
ウクライナだけではありませんけど、一日も早い戦乱の終結を願わずにはいられません。
編集済
前編への応援コメント
リアルな描写で、そんなに凄かったのかと今更ながら思わされました。
私は海外に住んでいて、その時も地震のことはニュースで観ただけでしたが、直後に起きた津波と原発の話が大きくて、地震の揺れの事は後で人づてに聞いた程度…
その昔、フィリピン旅行へ行った時に、建物の20階以上の階にいた時に地震があり、ユッサユッサと建物が大きく揺れてビックリしたことがありますが、その比ではない事が伺えます。
戦慄ですね…
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
東京に住んでいると、地震は日常茶飯事ですけど、あの時の揺れは、初めて体験する強さでしたね。
私は、あの日は本当に幸いに、発災時は郊外にいましたので「揺れが怖かった」程度の話なのですけど、知人には、普段は郊外で暮らしているのに芝居を観に都心に出た、とか、あるいは知人のお嬢さんで、学校の行事でディズニーランドに行ってクラスみんなで帰れなくなった、なんて話もありました。
それでも、東京の揺れは「怖かったね」で済む話で、東北の被災に比べれば何ほどの事もなく、本来ならば、私が「あの日」の事を文章にする事はなかったでしょう。
私が、この小文を書かずにいられなかったのは、後編の最後に書いた事情からです。
後編への応援コメント
いろいろ難しい問題ですね。東日本大震災は天災ですが、ウクライナの件は人災ですからね。
ウクライナの件は、どっちが正しいというつもりはないです。今までの人類の歴史は、勝ったものが正義になってるだけなので、今の時点での正しさは意味をもたないのだから。
でも、問題はそこじゃないです。為政者の正しさを証明するために犠牲になるのは市民なんです。原発に対しても同じ、戦争という1時間軸の1点だけ取り出せば、ロシア軍の理屈は通りますが、時間軸を長くして、そこで引き起こされる問題に向き合って、犠牲を強いられるのは市民なんですよね。そうなると、そこに「正当性」はないんですよ。
ということで、振り返って、東日本大震災。これはきっかけは天災です。でも、人災の部分はなかったか? そして、その人災を起こした人物は、この件に対して「しかるべき」責任を取ったのか?
ね、救われないですよね。与えられた現実を受け止めることを強制されるのは、その件を決定する権限をもたない市民のみ。そこにすべての問題が集約されている気がします。
作者からの返信
閲覧、ありがとうございます。
コメントを頂戴し、光栄です。
本作で私が最も述べたかったのは、「原発」です。
本文をお読み頂けば分かるかと思いますが、運用過誤であれ、天災であれ、戦火によるのであれ、一たび原発が事故を起こせば、その影響は世界に及びます。
1986年のチェルノブイリ事故当時は、日本も、観測機を飛ばして、放射性物質の飛来を警戒したものでした。
隣国ポーランドやほかの欧州各国でも、放射能だまりの様な箇所があちこちに現れました。
今のウクライナ周辺では、育ち盛りの子供たちの多くに、甲状腺ガンの発症が見られました。
仰る通り、ロシアとウクライナの政治的軋轢については、日本人である我々が安易に是非を言えるものではないでしょう。
でも、原発を、核兵器を、戦術の道具として弄ぶような為政者、世界を震撼させた3.11を目前に隣国に攻め込みチェルノブイリを占拠する為政者に、私は怒りを覚えたというのが、この短品の執筆動機です。
後編への応援コメント
あの時は、原発が危ないというニュースがずっと流れていて、怖かったです。
津波でたくさんの人が亡くなって、心が痛いです。
もう日本はおしまいか、とも思いました。
自然災害でもこんなにつらいのに、人災なら止めたいですよね。
ウクライナの原発が無事でありますように。
作者からの返信
応援コメント、ありがとうございます。
福一の事故発生時、日本政府は、最初は原発から10キロ圏内の住民を避難させましたが、アメリカは、原発から100キロ圏内の在邦アメリカ人に避難勧告を出したのですよね。
あれから12年が経過しましたが、事故処理は、まだまだ先が見えてはいません。
1986年のチェルノブイリ原発事故の際は、周辺の国でも放射線が観測され、日本でも、飛行機を飛ばして放射能を測定したり、恐ろしかった記憶が今も残っています。
周辺住民には、多くの健康被害も報告されています。
今はどうにかコントロール下にあったチェルノブイリに軍事攻撃を仕掛ける暴挙は、本当に信じられません。
一日も早い戦闘の終結と紛争の解決を、願わずにはいられません。
前編への応援コメント
すごいな。
私は関西なんですが、関西の震災のときも、揺れはきつかったですが、地域的に無事な所に住んでいたので、テレビでひどい被害を聞いてびっくりしていました。
実際にこんな揺れに合われたのは、怖かったでしょうね。
作者からの返信
閲覧とコメント、ありがとうございます。
私も、東京でしたので、東北に比べれば揺れは大きくなく、特に、私がその日にたまたまいた東京郊外の多摩地区というのは、地盤がしっかりしている地域で、直接的な被害は少なかったと記憶します。
一箇所、ショッピングセンターの駐車場のスロープが崩落したのが唯一耳にした直接被害でした。
それに、東京人は、震度4程度の地震はさほど珍しくないのが通常なので。
それでも、常とは違う長くて大きな揺れは、怖かったです。
また、東京でも下町や海岸近くは揺れが大きかったようですし、隣接する千葉県の浦安では地盤の液状化が酷かったり、市原では石油コンビナートが炎上したり。
千葉の太平洋側では津波の被害もありました。
阪神淡路地方では、普段は地震が少ないのですよね。'95年の規模の地震は、恐らく、豊臣秀吉の時代以来だったのでないでしょうか?
テレビや新聞の報道で、鉄道や高速道路の被害、あるいは神戸の火災などの状況に触れて、当時は慄きました。
編集済
後編への応援コメント
あの日は、首都圏に住む人々も大変であった覚えがあります。
勤め先の高層ビル10Fで大きな地震に遭遇し、家族に連絡も取れずにおりました。窓から見える超高層ビルは、あたかも途中で折れてしまいそうに暫く揺れている。
夜中にやっと電車が動き我が家へ帰ると、家内の実家となる故郷の街「福島浪江」が2度と戻れないように消えていました。
作者からの返信
閲覧とコメント、ありがとうございました。
あの日は、たまたま、都心の仕事先を休んで郊外にいたのですが、翌週出勤すると、いつも昼食を食べに行っていた店が、天井が落ちたそうで、随分長く休業していた記憶があります。
宮城の惨禍や、福島の原発事故には心痛みました。
チェルノブイリ原発事故が起こった頃は、私は、二十歳過ぎの学生でしたが、西方のポーランドなどでも、放射能の強い「ホットスポット」と呼ばれる場所が現れたりと報じられ、日本にも偏西風で影響が来るだろうと国中がピリピリしていたものでした。
11年目の3.11を目前にした去年の2月24日に、ロシアがウクライナに侵攻、しかも、チェルノブイリを攻撃して占拠したという報道には、驚愕と共に憤りを強く覚えました。
長引く戦争によって、食料品の物価高騰などの形で私たちの暮らしにも影響が出ています。
一日も早く、平和と、安全な暮らしが戻る事を願って止みません。
後編への応援コメント
本当に恐ろしい地震でしたよね。
東北の方々の気持ちを思うと、胸が痛みます。
神保町には私もご縁があり、馴染みのある都内の地名がたくさん出てきました。ただ、あの地震のときは都内にいなかったので、こんな感じだったのだろうなと、恐々と拝読いたしました。
原発攻撃は本当に酷いことですね。
声を上げてくださってありがとうございます。
私も同じように考えます。
作者からの返信
釣舟草さん
閲覧とコメント、ありがとうございます。
「小説」なので、リアルかフィクションかは申しませんが、本当に、東京ですら、当たり前で平凡な日が、突如様相を変える経験に戸惑いました。
東北の人達の被害の大きさに胸が詰まると同時に、首都近郊で原発事故が起こったという事実に恐怖を覚えました。
そうして、昨年の2月24日、「無いだろう、無いだろう」と言われていたロシアのウクライナ侵攻のニュース、その中での、チェルノブイリ原発への攻撃は、私が学生だった頃に起こった同原発の事故と、それから始まる長い月日の「放射能汚染」という現実と向き合う日々を思い出させられました。
1990年くらいだったか、都内で、チェルノブイリの写真展があって見に行きました。
子供たちの写真や自画像に、喉の辺りに手術跡を持つ子らの多かった事! 甲状腺がんの手術の跡なのです。
あの事故から、東西の緊張緩和や、ベルリンの壁の崩壊、ソビエト崩壊などなど、多くの時間をかけて平和が醸成されて来たはずだったのに、その努力の歴史を無にするなんて、愚行としか言えません。
ましてや、原発に軍事攻撃を加えるなんて。
東日本大震災は、東京に住む私が書く様な筋ではないのですけど、平穏な一日が突如として変貌したあの日の事は、今、書かずにはいられず、短編としてしたためました。
後編への応援コメント
天災も人災も……。
生きていくというとは、大変だと思いました。
色々な背景があり、要素があり、複雑でとても難しい問題。
そして、歳月の流れがいかに早いかおののきました。
作者からの返信
閲覧、ありがとうございます。
丸12年、早いですね。
災害は、地震に限らず突然起こります。今年は、元日からとは!
天災も大変ですけど、戦災や、世界に影響を与えかねない重大事故は、無しにしてもらいたいですね。