編集済
リアルな描写で、そんなに凄かったのかと今更ながら思わされました。
私は海外に住んでいて、その時も地震のことはニュースで観ただけでしたが、直後に起きた津波と原発の話が大きくて、地震の揺れの事は後で人づてに聞いた程度…
その昔、フィリピン旅行へ行った時に、建物の20階以上の階にいた時に地震があり、ユッサユッサと建物が大きく揺れてビックリしたことがありますが、その比ではない事が伺えます。
戦慄ですね…
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
東京に住んでいると、地震は日常茶飯事ですけど、あの時の揺れは、初めて体験する強さでしたね。
私は、あの日は本当に幸いに、発災時は郊外にいましたので「揺れが怖かった」程度の話なのですけど、知人には、普段は郊外で暮らしているのに芝居を観に都心に出た、とか、あるいは知人のお嬢さんで、学校の行事でディズニーランドに行ってクラスみんなで帰れなくなった、なんて話もありました。
それでも、東京の揺れは「怖かったね」で済む話で、東北の被災に比べれば何ほどの事もなく、本来ならば、私が「あの日」の事を文章にする事はなかったでしょう。
私が、この小文を書かずにいられなかったのは、後編の最後に書いた事情からです。
すごいな。
私は関西なんですが、関西の震災のときも、揺れはきつかったですが、地域的に無事な所に住んでいたので、テレビでひどい被害を聞いてびっくりしていました。
実際にこんな揺れに合われたのは、怖かったでしょうね。
作者からの返信
閲覧とコメント、ありがとうございます。
私も、東京でしたので、東北に比べれば揺れは大きくなく、特に、私がその日にたまたまいた東京郊外の多摩地区というのは、地盤がしっかりしている地域で、直接的な被害は少なかったと記憶します。
一箇所、ショッピングセンターの駐車場のスロープが崩落したのが唯一耳にした直接被害でした。
それに、東京人は、震度4程度の地震はさほど珍しくないのが通常なので。
それでも、常とは違う長くて大きな揺れは、怖かったです。
また、東京でも下町や海岸近くは揺れが大きかったようですし、隣接する千葉県の浦安では地盤の液状化が酷かったり、市原では石油コンビナートが炎上したり。
千葉の太平洋側では津波の被害もありました。
阪神淡路地方では、普段は地震が少ないのですよね。'95年の規模の地震は、恐らく、豊臣秀吉の時代以来だったのでないでしょうか?
テレビや新聞の報道で、鉄道や高速道路の被害、あるいは神戸の火災などの状況に触れて、当時は慄きました。
すごかったんですね。
地震、怖いですね。
私は関西在住で、その日はママさんたちを相手にクラフトのボランティア指導をしていました。
朝からずーっとドタバタしていて、揺れには全く気づかず((-_-;)、テレビで被害を知りました。
作者からの返信
閲覧、ありがとうございました。
私は、たまたま、郊外にいたのですけど、都心は大変だった様です。
そうした混乱に、老いた母が巻き込まれなかったのが、本当に幸いでした。
関西は、阪神淡路の時は大変でしたね?