透明なシロクマは何色に染まるのか?

@mement_mori

プロローグ

プロローグⅠ

 これは夢だと気がつく夢がある。今見ている夢もそうだ、と眠っている僕か夢の中の僕がそう自覚する。

 僕はターコイズ色の宙に浮かんでいる。緩やかな流れの水の中を漂うように浮かんでいる。白い数字とアルファベットが列を成して、蛇のようにうねりながら僕の真横を流れてゆく。僕は気がつく。これは16進数だ。

 前方から白い光が近づいてくる。目を凝らして見ると女性が光に包まれているのだと分かった。知らない女性だった。こういった事も夢ではよくある事。どうやら僕を運ぶ流れは一方向ではないらしい。やがて女性と僕は手の届く距離まで近づいた。美しい女性だ。

 僕の手を握ると、ゆっくりと顔を近づける。琥珀色の綺麗な瞳をしている。

 彼女は僕にそっとキスをした。

 その瞬間、周囲を流れる文字の羅列は激しい奔流となり、僕と彼女を取り囲んだ。目も眩むような光が僕たちを包む。

 彼女の身体が少しずつ小さな粒となって消えてゆく。僕の身体も同じように消えてゆく。

「おそろしいですか?」彼女は僕に聞く。

僕は理解する。

「あなたはこうやって生き続けてきたのですね。」

彼女は優しく微笑む。穏やかな気持ちになった。このまま身体が消え去ってしまっても良いと思った。

 僕と彼女の身体から溶け出した小さな粒は虹色の光を放ちながら、一筋の線になり16進数へと形を変えてゆく。

 やがて僕達の身体は消え去り、意識だけが緩やかな流れに乗って蕩い始めた。この空間は無限に広がっているのだという事が分かった。ここには文字の羅列しかない。否、ここには全てがある。

 肉体という呪縛から逃れ、僕の精神は自由になったのだと理解した。

 僕たちは上昇している。やがて水面に上がるように視界は光で満たされた。


 コンピュータの機械音で目が覚めた。職場のデスクに突っ伏せて寝ていたようだ。枕になっていた腕が痺れている。両腕をあげて大きく伸びをすると凝った肩が骨を鳴らす。

 僕はぼんやりとした目つきで空を見入る。寂しいでは幼稚すぎるし、喪失感といえば過言な、そんな気分だ。

 それはきっと僕の願望が夢に反映されていたから。その願望は夢でしかないと突きつけられたような気がしたから。

 皮肉だ。夢で現実を突きつけられるなんて。悲しみすら覚える。

 コンピュータの画面を見ると、スリープモードになっていた。どうやら添い寝をしてくれていたようだ。ファンが大きいので静かに寝ている。

 悪いね、と思いながらスリープモードを解除する。作業途中で眠ってしまった。作りかけのグラフがモニタに表示されている。

 不思議だと常々思う。人間もコンピュータと同じだ。意識をシャットダウンしても再起動すると、意識がなくなる前の記憶と再起動した後の状況を見事に結びつける。その処理速度に僕は驚く。

 口の中の粘っこい不快感が気になった。僕はデスクの上のマグカップを手に取ると、飲みかけのコーヒーを一気に流し込んだ。酸味が増していて不味い。口直しにガムを放り込む。一連の儀式を終え、キーボードに手を伸ばす。乾いたタイプ音が耳に入り、鼓膜を揺らす。小気味良い。

 さっき見た夢は素晴らしかった。身体があるとこういった無駄な動作をしなければいけない。必要だと理解はしているけれど、身体のメンテナンスとして睡眠や食事にも時間を割かなければいけない。とくに睡眠に関しては一日の三分の一を費やす必要がある。あるいは熱が出たり、病に臥したり、怪我をしたり。身体がなければそういった制約からも解き放たれるのに。

 作りかけのグラフを完成させると煙草が吸いたくなった。ただのニコチン中毒に、これもまた肉体の呪縛だな、なんて高尚な言い訳をつけて僕は椅子から腰を上げた。

 僕の職場で喫煙スペースはないので、非常階段で煙草を吸っている。

 大きな欠伸が出た。身体はまだ眠っていたいらしい。生憎僕はもう眠る気分じゃないんだ。重たい腰を上げ、気怠い足取りで非常階段へと向かう。

 身体と思考は乖離している。コンピュータとは大きく異なる点で不具合が発生しても、人間は生きるというコマンドを実行することができる。否、生きる、という事自体がエラーそのものであるのかもしれない。

 生きているという事は不安定な状態で、生死の間をゆらゆらと綱渡りをしながら、僕達は歩みを進めているんだ。そんな事を考えながら、非常口を出た。

 非常階段を上がると驚愕で、僕は化石のように硬直した。次いで恐怖がひしひしと脳から身体全体へと伝わる。

 踊り場にシロクマがいた。

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