キエフの未来への門

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キエフの未来への門

【起】


 ウラジーミルの屋敷に、血痕の付着した手斧を持った美少年が入り込んだ。屋敷の塀の外では、ノヴゴロドの民が集まって「殺人犯に死の裁きを」と口々に叫んでいる。


「何事だ? ここがキエフ大公の三男にして女傑オリガの孫であるノヴゴロド公の屋敷と知ってのことか」


 帽子を被って庭に出てきたウラジーミルは、手斧の美少年を睥睨した。


「お前が殺人犯か? まだ子どもじゃないか」


「俺は十二歳だ。峡湾の民では立派な戦士の年齢だ。そっちだって俺と大した違わないだろう」


 ウラジーミルは濃い眉をひそめて、青い目を三角形にいからせた。


「私は二十歳だ。もうかれこれ五年、ノヴゴロド公としてこの地を統治している」


「それが何だ。俺は将来海賊王になる男、オーラヴだ。ノルウェーの正統なるハラルド美髪王の血を引く王子だ。覚えておけ」


「覚えておく必要があるか。お前、人を殺したのであろう。ならば法に基づいて処刑だ」


 その時、庭に生えている林檎の木々の間から、銀髪の威風堂々たる長身の男が息を切らせて駆けてきた。


「シグルズではないか。徴税の旅に出発したのではなかったか」


「出発は二日後です。それよりも公、こちらのオーラヴは、実は私の家で保護している養子なのです」


 オーラヴとシグルズが公に経緯を説明した。


 オーラヴはノルウェー王の息子として生まれたが、生まれる少し前に父親は殺害された。新生児オーラヴは母に抱かれ逃亡生活を送る身となった。


 オーラヴが三歳の時、エストニアで海賊に襲われた。養父が殺害されて、母とは引き離された。幼いオーラヴは上等な外套と交換で奴隷として農夫に売られた。


 それから六年が経った時、エストニアに徴税に来ていたシグルズがオーラヴの美少年ぶりに目を留めた。話を聞くと、自分はノルウェーの王子であるという。オーラヴの言い分を認めたシグルズは、農夫からオーラヴを買い取り、ノヴゴロドへ連れ帰った。


 更に三年程経った今日、オーラヴはノヴゴロドの広場で道行く人を眺めていると、人混みの中に仇を発見した。養父を殺し、母を連れ去り、自分を奴隷として売った憎き男だ。オーラヴは持っていた手斧で相手の脳天をかち割った。


 ノヴゴロドの神聖な保護法によれば、追放刑に処せられた者以外を殺害すれば、それは犯罪であり、誰であってもその殺人犯を殺して良いことになっている。


 よって今、オーラヴは殺人犯として追われ、公の館に逃げ込んで来たのだ。



【承】


「美少年を死なせてはなりませぬ」


 涼やかな声が響いた。


 屋敷の奥から、ウラジーミル公の妃、アローギアが現れた。と同時に、駆け付けた完全武装の兵士たちが塀の内側で配置について、塀の外で騒ぐ民衆を牽制した。妃の抱えている私兵だ。


「アローギアよ、美少年のこととなると、相変わらず耳が早いな」


「公と妃は、ほぼ同数の臣下を抱えるのが通例。その美少年は、妾の居所に住ませます。公よ、民衆との仲裁をお願いします」


 結局、オーラヴの仇の身内に対しては和解金を、騒ぎで損害を被った広場や近辺の者に対しては賠償金を支払うこととなった。金額は公が決定し、妃が支払った。


「オーラヴ少年よ、この地には『林檎は、林檎の木から遠くには落ちない』という諺がある。事件や問題が起きたら近くに原因がある、という意味だ。お前が原因で起きた騒ぎを、私と妃で解決して貸しを作った。その分はきっちり返せ。お前は私の剣となり、兵を率いて戦うのだ」


「ああ、海賊王になる時までは、剣でいてやるさ」


 オーラヴはウラジーミル公から与えられる資金とアローギア妃から与えられる寵愛を最大限に活用した。ヴァイキングの兵士を雇い、得た資金は惜しげなく部下にふるまい、自分の指揮通りに動くように訓練した。


 若いながらもオーラヴは、戦の指揮官としても優れた素質を持っていた。小さな実戦経験を幾つか重ねて自信を深めたところで、不測の事態が発生した。


 ウラジミールの父親であるキエフ大公が遊牧民の奇襲に遭って殺害されたのだ。


 キエフ大公国では、大公が息子たちを地方の公として任命し、大公が亡くなると長男ではなく次の弟が地位を継ぐという兄弟相続が原則だった。しかし同時に父子相続も行われており、その中途半端さが理由で相続ごとに問題が発生していた。


 父の急逝により、キエフ統治者の長兄と、ドレヴリャーネを支配している次兄の間で継承争いが始まっていた。


 翌年、兄弟対決に決着がつき、長兄が次兄を殺した。次は三男であるノヴゴロド公ウラジーミルが標的だ。


 身の危険を感じたウラジーミルは、オーラヴを含む側近を連れてスカンディナヴィアへ向かった。


 ウラジーミルは逃げたのではない。ヴァイキングの援軍を募ってすぐに戻って来た。



【転】


 峡湾の民の助勢を得たウラジーミルは、キエフを包囲した。街の周囲は、盗賊から防御するための木製の簡素な塀で囲われていた。戦いは激しかったが、二本の牛の角を付けた目出し兜を被ったオーラヴの獅子奮迅の活躍で長兄を生け捕りにした。


 キエフの街に出入りする正門の前で、長兄は地面に座り込んだ。オーラヴはその首に剣の切っ先を突き付けた。、


「殺さないでくれ。弟を呼べ。兄弟だから話せば分かるはずだ」


「兄上、私ならここに居ます。まずは何故長男と次男で殺し合ったのかの申し開きでしょう」


 長兄が、三男の声が聞こえた方に振り返った時。オーラヴは陽光に煌めく刃を一閃させて、長兄の首を落とした。


「話をする前にどうして殺した?」


「公よ、この男は懐に短剣を隠し持っていました。公が接近したら刺すつもりだったんですよ。ほら、この通り。これは多分ダマスカス鋼ですね。さすがいい物を持っていますね」


 実際に懐から取り出した短剣を見せられると、ウラジーミルは叱責の言葉を飲み込んだ。


「私のことは今後は公ではなくキエフ大公と呼ふように」


「分かりました。キエフ大公就任おめでとうございます」


「オーラヴ、お前は今回の戦いでも活躍は顕著だった。褒美としてダマスカス鋼の短剣は戦利品として所持を認めよう。今後も奮励努力せよ」


「ありがたき幸せです、キエフ大公。ところでお妃様は、ノヴゴロドから呼び寄せないのですか?」


 新しいキエフ大公は不快な表情を隠しもしなかった。


 アローギア妃がノヴゴロドからキエフに移ってから、ウラジーミルのキエフ大公就任式典が盛大に執り行われた。


 式典が終わって余韻が漂う中で、ウラジーミルに歩み寄って耳打ちする側近が一人いた。


「オーラヴは危険ですぞ。お妃様と親密過ぎるのも問題ですし、武勲を立て過ぎているので、良からぬ考えを起こすかもしれません」


 麦を醗酵させて作る発泡酒のクヴァスを飲みながら、微酔いでウラジーミルは頭の帽子を取った。父も同じ髪型であったが、ルーシの氏族の高貴な身分である証として、片側の一塊を除いて頭髪は剃ってある。


「心配するな。林檎は、林檎の木の近くに落ちるものだ」



【結】


 キエフ大公の覇道が始まった。


 身内の敵はもう存在しないので、外敵を掃討する戦いに集中できる。ウラジーミルはキエフとノヴゴロドを中心として、意欲的に版図を拡げた。オーラヴの部隊は特に精強さを誇った。


 ある時、オーラヴが遠征から仲間と共にキエフに帰還したところ、門の前でウラジーミルが待っていた。側に三人の勇士が護衛として控えている。


「オーラヴ、お前を追放する」


「急な話ですな。理由は?」


「妃と親密過ぎるからだ。反論は聞かぬ。バルト海でもどこでも行くがいい。お前の子飼いの仲間は連れて行っていいし、今回の遠征で得た戦利品も餞別代わりにくれてやる」


「俺もそろそろ潮時だと思っていた。お互いにもう利用し尽くしたから丁度いい。世話になりました」


 キエフの門の前で、ウラジーミルとオーラヴはそれぞれの未来へ向かって別々の道を歩み始めた。


 立ち去るオーラヴに、仲間も追随した。


「太陽公、オーラヴを始末しなくて良かったのですか」


 尋ねたのは第一の勇士イリヤーであった。


「オーラヴの大公位簒奪を懸念しておったな。だがオーラヴはノルウェー王の子孫だ。『林檎は、林檎の木から遠くには落ちない』という諺がある。本来の意味とは異なるが、ノルウェーで実った林檎は峡湾の地に落ちて、そこから新たな苗木として育とうとするのだ」


 第二の勇士ドブルイニヤと第三の勇士アリョーシャが、大公の言葉に首肯した。


「それに私はあの荒々しい若者を気に入っていたのだ。オーラヴ推しだったのは妃だけではなく私もなのだ。オーラヴがいずれノルウェーの海賊王となり歴史の転換点となるところを、遠く離れた黒土の沃野からではあるが、見届けたい」


 †††


 その後、オーラヴ・トリュグヴァソンはノルウェー王オーラヴ1世となった。王位に登る途上でキリスト教に改宗し、即位後には強硬な手段で布教を推し進めたため、ノルウェーとアイスランドのキリスト教化を大きく促進させる歴史的役割を果たした。


 熱く烈しい生き様を貫き、西暦1000年のスヴォルドの海戦で華々しく散った。


 一方ウラジーミルは、既に支配地域も広く、手駒にしている軍勢も大きくなっていたので、オーラヴの部隊が抜けても影響は無かった。三人の勇士の活躍もあり、更に支配地域を拡大し、北はバルト海、東はアゾフ海、南は黒海、西はカルパチア山脈にまで及ぶ大国に育て上げた。


 ウラジーミルもまたキリスト教に改宗し、ギリシア正教を推進した。


 キエフ大公国は、政治的文化的宗教的にも後世に大きな影響を残し、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの礎となった。


 ウラジーミルはキエフの門の前で、長兄を撃破して大公に即位し、オーラヴと決別した。いつもここから、未来への新たな第一歩を踏み出して行った。


 ウラジーミル1世の時代から1000年以上経った今も、キエフの門からの道は、未来へと続いている。

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