2章 祈りを捧ぐ~新しい君たちへ~
決意の日から、数か月の後。
「ライエ、成人おめでとう。」
「あっああ、ありがと。」
明らかに照れていると丸わかりなライエに、フローエルとハーヴェイ夫人はくすくす、と笑った。
ライエは近衛騎士団への入団試験が控えているから、こんなことをしている場合かと言いたげな顔だけど、成人のお祝いは大人になったことを祝うとても大切なものだ。
ライエも一応それを理解しているから、特に何も言わない。けど。
「母上っ、何故問答無用で私はドレスを着させられているのですかっ!?」
「女の子の正装はドレスだもの。」
「私は騎士です!!」
「まだ見習いでしょう? それに、近衛騎士団に入って王女様の警護をするときなんかはドレス姿でいることもあるのよ?」
「父上のときは騎士服だったと疑いましたが!?」
「殿方の正装だから、あまり参考にしてはダメよ。」
さっきからライエがハーヴェイ夫人に食って掛かって、それをハーヴェイ夫人がおっとりと受け流す光景が延々繰り広げられている。
まだ控室だからいいけれど、パーティー会場に行くまでには大人しくしてもらわないといけない。今は亡き、とはいえ将軍の娘の成人のお祝いだから、偉い人が結構来ているのだ。
「母上はどうだったのですか? 母上も近衛騎士だったのですよね?」
「私のときはドレスだったわよ。お母様にそれはもう楽しげに着飾らせられたけど、その気持ちがよく分かるわあ。」
「止めてください・・・! これ以上アクセサリーは追加したくありません・・・!」
もう、ライエは半泣きだった。
助けを求める視線がこっちを向くけれど、どうにもできない。
「ええっと・・・。よく似合ってるよ・・・。」
これは、本心。ライエは同年代の女の子と比べても背が高いから、すっきりしたシルエットのドレスはよく似合うし、肌も毎日剣を振っているとは思えぬ白さだから、ドレスの夜空色と合わさって、ひどく魅惑的だった。
「あ、そうそう。忘れるところだったわ。」
ハーヴェイ夫人は、テーブルに置いた宝石箱から何かを取り出した。
「ライエ。これは私たちからの、成人のお祝い。」
少し古びた金のブレスレットと、銀のネックレスだった。ネックレスの方は小さな銀色の花の中に、黒い石が光っている。
「このブレスレットは、私がお母様から成人のお祝いに頂いたもの。こちらのネックレスは、あの人が大事な人から成人のお祝いにもらったものですって。」
親が子に成人のお祝いでもらったものを受け渡すと、それは幸せを願うお守りとなる。
つまりこれは、師匠とハーヴェイ夫人が贈られた成人のお祝いの品。
フローエルとライエは、思わず顔を見合わせた。師匠にこれを贈った人に、心当たりがあったから。
「あら、2人も知っていたのね。このネックレスを贈った人のこと。」
「知ったのは、つい最近です。私は母上があの方のことを知っていた、ということの方が驚きですが。」
「結婚するときにね、教えてもらったの。初恋だったのですって。」
ぎょっとして、2人でもう一度顔を見合せた。
「『思い返せば、あれが初恋だった。』ですって。気付いた時にはもう、その方は別の人のものだったそうだけど。」
憐れすぎる。ライエも、フローエルと同じような顔をしていた。
「あらあら、主賓がそんな顔をしていてはダメよ。さ、フローエルくん。これ、着けてあげて。」
「えっ。」
留め具の構造はごく一般的だから、問題なく留められると思うけれど。
(おれが、ライエに? 着ける? ネックレスを?)
有無を言わさず押し付けられて、恐る恐るライエの後ろに回る。思いのほか細い首筋にネックレスを回し、留め具を留めた。
流れるように留めれたのは、奇跡に等しかった。
(・・・・・掌に、汗が。)
手袋があって、本当によかった。着ければ手汗は分からない。
ハーヴェイ夫人からブレスレットを着けてもらって、ライエの準備はこれで整った。あとは、会場に向かうだけなのだが。
「じゃあよろしくね、フローエルくん。」
「は、はい。」
「おい・・・大丈夫かフローエル。」
「ドレスの裾は何が何でも踏まないから。」
「そういうことじゃ・・・ああ、もういい。」
(・・・なんでおれがライエをエスコートすることになっているんだろう。)
当然のように告げられて本気で頭が真っ白になったのだが、ハーヴェイ夫人の楽しそうな顔を見て、断ることなど到底できなかったフローエルだった。
覚悟を決めて、ライエと共に会場に向かった。ライエの姿にか、フローエルがエスコートしているからかは知らないがざわめきが起こって視線が剣みたいに突き刺さる。
ハーヴェイ夫人がライエの成人のお祝いに来てくれたことへの感謝を述べ、ライエは口ぐちに「おめでとう」の言葉を浴びせかけられていた。
近衛騎士団の団長さんが来ていたときはすごくびっくりしたけど、「期待している。」と言われたライエが嬉しそうだったからいいとしよう。
あと、ライエに偉い人の息子だとか甥っ子だとかがやたらと声をかけていて、ライエが果てしなく面倒くさそうだったのを覚えている。
夕方になってパーティーが終わり、さっさと着替えて帰って寝ようと思っていたら、「まだ着替えるな。」とライエに言われた。
「フローエル、お前の成人は2か月後だろ?」
「え? うん。」
「そのときはお前を正式に勇者として認めるとかいう式典があるらしくてさ。」
「う、うん。聞いてるよ。」
衣装の準備のためとかでやたらと精密に採寸された覚えがある。
「どうせ私は仕事とかで出れないから、私らだけで先に祝ってしまおうってことになったんだ。」
「何一つ聞いてないけど!?」
「秘密にしてたからな。母上も何か渡したいものがあるって言ってたし。」
「・・・まあ、気持ちは嬉しいよ。ありがとう。」
「お前ならそう言うと思ったよ、フローエル。こっちで母上が待ってるから、行こう。」
柔らかく微笑んでから、踵を返したライエを呼び止める。
「ライエ、その前にちょっといい?」
「なんだ?」
ライエの手を取って、礼服の隠しから出した箱を握らせる。
「これ、その、おれからの成人のお祝い。」
ライエは短い間隔で瞬きを繰り返し、恐る恐るフローエルを見る。その仕草がいつもよりも女の子っぽくて、変な感じだ。
「・・・開けてもいいのか。」
「・・・うん。」
中に入っているのは、黒い石に金細工が映えるブローチだ。ライエを守ってくれるように、加護も込めた。
「・・・これ、加護付きだろ。」
「分かるんだ。」
「フローエルの気配がするからな。私にお前の気配が分からないはずないだろ。」
「あはは、流石だね。」
つうっと黒い石を撫でて、ライエはドレスの胸元にブローチを付けた。
「うん、よく似合ってる。」
「お前が選んだんだから、似合わないはずないだろ。」
照れ隠しの意図が透けている台詞に、笑いが止まらなくなる。
「おい! 何笑ってるんだよっ!!」
「いや、ライエ、可愛いなぁって。」
ライエが石造りの彫像みたいに固まって、一拍置いて自分が何を言ったのか認識したフローエルが真っ赤になる。
中々来ない娘とその幼馴染を待ちくたびれたハーヴェイ夫人がやってくるまで、ずっとそのまま固まっていた2人であった。
案内された部屋は、師匠が一番気に入っていた部屋だった。フローエルとライエは「フローエルに渡したいもの」を取りに行ったハーヴェイ夫人を待っている。もちろんさっきの一幕があったせいで居心地悪げに目線を逸らして、だが。
「お待たせ、2人とも。・・・あらあら、お見合いしてるみたいねえ。」
「どこが!?」「どこがですか!?」
「もう、冗談よ。」
ハーヴェイ夫人は持ってきた宝石箱の鍵を開ける。中の、深い紫色の
「これ・・・とうさまが持ってた・・・。」
ライエの首に光るネックレスと同じ意匠の、花の中心にある石の色だけが違うもの。
「何でペンダントトップが2つ・・・?」
「あらライエ、石の色から推測できない?」
(ああ、そうか。これは。)
「ラインさまのと、とうさまの。」
「ええ、そうよ。イシル様が亡くなった時にあの人が受け取って、あの人が死ぬ前、私に渡してきたの。『これを、フローエルの成人の祝いに。』って。」
「・・・そう、だったんですか。」
病気も何もなく、健康体だったはずの師匠は何故か自分の死ぬ日が分かっていた。
きっとそれは、とうさまとラインさまが関わっているんだろうけど。
「仲が良すぎるのも困りもの、でしょう? 本当にあの人たち、ライン様のこととなると周りのことが目に入らなくなるんだから。」
否定できない。
「きっとライン様は、あの人たちの『特別』だったのでしょうね。」
話が逸れてしまったわね、とハーヴェイ夫人は笑って、箱をフローエルの方に押しやる。
「ライエ、着けてあげて。」
「私がですかっ!?」
この光景、視点は違うけどさっきも見たような。
ライエはハーヴェイ夫人に敵わないことを分かっているのか、大人しくネックレスを手に取った。
「こっち向けフローエル。そして動くな。」
後ろから着けたフローエルとは違って、真正面から着けられる。不思議とそのときは恥ずかしくなくて、叙勲式みたいな厳粛さが漂っていた。
「できたぞ。」
フローエルの見下ろす動きに反応した2輪の銀の花が、ぶつかり合ってちりりと微かに音を立てる。
「フローエル。」
ライエの優しい瞳が2輪の花を見て、それからフローエルを見た。
「汝に幸いあらんことを。」
フローエルも、続ける。
「汝に、幸いあらんことを。」
ライエの成人から2か月後。王宮にて、フローエル・ハーヴェイの勇者任命の儀が行われた。
白地に金糸刺繍が施された衣装を纏い、瞳と同じ色のマントを翻して。王から授けられたのは、美術品じみた美しさと武器としてのおそろしさを備えた、一振りの剣。
受け取って、振り向いて、厳かに腰に差して。その出で立ちに、人々は歓喜した。
(これは、ただの
夜空に満ちる星みたいに、人々の瞳が煌めいている。希望と、期待を乗せて。
期待が怖くて、それに答え続けるこれからの人生が怖くて。気を紛らわすように会場を見回すと、正式な近衛騎士の制服を纏ったライエが隅の方に立っていた。目が合うと、ふ、と。ほんの少しだけ微笑んでくれる。
少しだけ軽くなった心から、1つの疑問が浮上する。
(勇者が救う者だとしたら・・・勇者は、誰に救われるんだろう。)
その問いの答えが分かるような気がしたのに、フローエルの心はついに、明確な答えを出すことが出来なかった。
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