2章 祈りを捧ぐ~今は亡きあなたへ~
さやさやと青い風に揺れる、小さな花園。みんなには秘密だよ、と笑って、父と慕う人が教えてくれた場所。そこは大きくなった身体のせいで、昔よりずっと狭く感じる。
見上げた空に月は見えなくて、それが妙に寂しかった。
「フローエル・・・起きてるか?」
「ライエこそ・・・寝てないよな?」
顔の傍で、青深まったネモフィラが揺れた。
父と慕う人が書いたあの本は、彼女を知った後で読むと受ける印象が変わった。
「あの本は・・・。」
「ラインさまの為に書かれた本だよな。」
「だよねぇ・・・。」
公式の神話だから、文章に感情はない。ただただ淡々と記された言葉たち。でもその奥に途轍もない感情が籠められていることを、フローエルは知ってしまった。
「ラインさまは・・・何であの選択をしたんだろうな。おじさまが悲しむって、わからない人じゃないだろうに。」
「・・・・・理屈じゃないんだよ、そういうの。しなきゃいけないと思ったから、そうした。出来たから、やった。」
フローエルとどこか似た行動原理。雨が空から降るのと同じぐらい、ごくごく自然なその思考。
「きっとラインさまは、そういう風に生まれてきた人だったんじゃないかな。」
雲が、割れる。花の中に埋もれて転がる2人のこどもを優しく照らす月は満月。
ずっと前にいなくなった少女が、優しく微笑みかけているかのような。
つう、とこめかみに何かがつたう。右も、左もとめどなく。
溢れて溢れて、止まらない。
「・・・・・・・・・生きてて、ほしかった。」
「うん。」
「一緒にお話ししてほしかった。一緒に本を読みたかった。・・・・・一緒に、笑っていてほしかった。」
涙の中に浮かぶ、3つの影。
ひとりは銀髪の女の人。ひとりは金髪の男の人。ひとりは金髪の少年。
3人は暖かな光の中、おだやかに笑っている。
あり得るはずのない幻は、中々消えてくれなかった。
「フローエル、知ってるか?」
続きは促さない。彼女はきっと、話してくれるから。
「夢を見れるのは、前を向ける奴だけなんだって。」
「前を、向ける。」
口から滑り出た言葉はあまりにも弱々しく、たちまち微風に溶けていく。
それでも彼女は聞いてくれた。この黒髪の、優しい幼馴染。
「たとえば嫌な光景を見ても、それを踏み台にして前を向ける奴は後からそれを悪夢だったというだろう。そうでなければそれは、悪夢ですらない。それはただの絶望だ・・・。」
優しく世界を映す、
「おじさまが、言ってたんだ。」
「とうさまが・・・・・?」
「ああ。確かに聞いたし、教えてもらった。」
「『もしもフローエルが悩んだり悲しんだりして、立ち止まりそうになったら。この言葉を伝えてほしい。』」
「『ありえないぐらい幸せな夢は、君の背中を押してくれる。それを目指そうと思わせてくれるもの。だから、忘れなくていいんだよ。』って。」
ごろりと転がって、ライエから顔を背ける。
溢れ続ける涙は花に、葉に弾けて地面に染み込んで。
(・・・・・とうさま、ごめんなさい。)
あなたの向けてくれた愛を、疑って。
(とうさまは、確かにおれを愛してくれたのに。)
これは、嫉妬で羨望だ。
とうさまがずっと大事に持っていた指輪。ときどきそれを愛おしげに見ていた。
おれは、とうさまのひたむきな愛を向けられるのが自分だけじゃなかったのが、我慢できなかっただけ。
指輪の片割れを持つ人が、羨ましかっただけ。
(ごめんなさい。)
あなたの向けてくれた愛に、欲を向けてしまって。
(ごめんなさい。)
あなたは愛してくれたのに。あなたはおれを、愛してくれたのに。
「・・・謝りたいな、ラインさまに。」
きっとおれを理解してくれた。おれのかあさまになっていたかもしれない人に。
「・・・罪人の墓を作ることは許されない。」
「知ってるよ、そんなこと。・・・でももし。もしもあるのなら・・・謝りたかった。ただ、それだけ。」
目元を拭って、身を起こす。
流石に夜風は冷たくて、体も頭ももう冷えた。
「戻ろう、ライエ。今日はもう遅いから、泊まっていくといいよ。」
「ああ。そうする。」
先に立って木の壁に潜り込むライエ。それに続こうとしたフローエルはふと、足を止めた。
月光の銀色を持っていたという貴女は今、僕のことを見てくれているのだろうか。
それともとっくに、夜の向こうの暗闇へと溶けて消えてしまったのだろうか。
(もし、見ているのなら・・・。)
祈ろう。願おう。心から。
ごめんなさい。それからまだもう少し、見ていてください。
(おれはきっと、立派な勇者になるから。貴女が願ったみたいに、皆を幸せにするから。)
だから、どうか。
(おれを、見守っていてください。)
振り返る直前、青く染まった秘密の花園の真ん中に。
長く美しい銀髪の少女が立っていたような、そんな気がした。
✦✦✦✦
血のように紅い、金縁
出来そこないの土人形の影みたいなものがゆらゆら、ぐらぐらと体を揺らしながら歩いてくる。
「お茶を淹れてくれたくれたのね。ありがとう。」
ジャッジメントの労いに体を震わせ、今にも壊れそうな動きで首が縦に振られる。
「もう下がっていいわ。」
ゆらゆら、ぐらぐらと本棚の狭間に消えていく影。足取りは、相変わらず危うい。
「姉様。」
「オーディアル。お寝坊さんね。」
「そう? 姉様が眠っていないだけでしょう?」
「・・・そうかもしれないわね。私は、眠れないもの。」
裁定の使徒たるジャッジメントは、
一口紅茶を含み、にこりと微笑む。
「ねえ、オーディアル。当代の勇者はようやく覚悟を決めたようよ。」
「ふうん。」
「オーディアルは興味がないのね。・・・・・でも、貴方は気になるでしょう。」
しんと立つ、金の髪の青年。
「ねぇ? 救済の使徒、セイヴ。」
「ああ。」
世界を見つめる真紅と、何をも映さぬ蒼穹が絡み合う。
「・・・何故、俺を裁かない。」
「裁きは何よりも絶対となりうる答え合わせ。己の意志で選び、行き着いたもののみが裁かれる。その行いが、世界にとって正しかったのかを。」
「裁かれることは、選択せしものだけの特権。ただ流されるだけのものに裁かれる価値はない。いずれ、世界に要らぬと断ぜられるだけ。」
「それを、裁きと言わないわ。」
血よりも紅く、鮮やかな瞳。使徒たる青年に焦点を合わせ、淡々と告げる。
「考えなさい。そして、選択しなさい。己が行く末を。」
「・・・忠告、感謝する。裁定の使徒、ジャッジメント。」
足は自然と、あの春満ちる部屋へ向く。彼女がいたときのように、陽光溶け込む白亜の壁に背を預け。中央に咲き乱れる花々を見つめて。
「俺は、変われていない。」
戦うだけの、与えられた役割を果たすだけの人形から。
間違えてしまったあのときから、何一つ。
✦✦✦✦
その夢を見たのは、いつのことだったのだろう。確かなのは、フローエルが勇者になる決意を固めた日よりも後だったこと。それだけ。
いつの間にかフローエルは光に満ち満ちた空間に立っていて、目の前には、
フローエルとよく似た金色の髪をしていることは分かる。だが、顔の形がわからない。
さらに言えば、身長もだ。瞬きをする間にフローエルと同じぐらいになったり、高くなったり、低くなったりと一定しない。
「『【〔「こんにちは、
様々な高さの声を持つ何百人が同時に喋っているような、不思議な声だった。
(あなた・・・いいえ、あなたたちは・・・?)
「『【〔「わたしたちは、かつて勇者だった者たち。勇者の概念。想いの集合体。」〕】』」
「『【〔「わたしたちは、救済するもの。神の代行。地上における使徒。」〕】』」
何の疑いもなく、フローエルは彼らを受け入れていた。理屈ではなく、それが森羅万象の理であるかのように。
「『【〔「その役割を与えられるのは、この世界にたった1人。2人存在することはなく、存在しないということもない。」〕】』」
「『【〔「それが世界の定め。・・・それなのに。」〕】』」
目の前の『勇者』は、どこか哀しそうに見えた。
「『【〔「今このとき、勇者の力を持つものが2人いる。本当ならば、あなた1人。でも
(
『勇者』の姿が変わる。いや、固定される。
光の祝福色濃い金の髪。何も映らぬ蒼穹の瞳。美しいのに、どうしようもなくがらんどうの青年。
「『【〔「
「『【〔「そして今も彷徨い続ける、罪負いし者。」〕】』」
はっ、と目を開く。そこは恐ろしいほどに白い空間ではなく、見慣れた自分の部屋。窓からは柔らかに朝日が差し込んでいた。
「いまの、は・・・。」
夢にしては妙に鮮明で、不可思議で。
「ウェルシオン・・・勇者であれなかった・・・・・なのに未だ、勇者の力を持つ・・・?」
全く持って意味がわからない。
(・・・でもこれは、考えなくちゃいけないこと。)
なぜ『勇者』がフローエルに
落ち着いて記憶を辿れば、フローエルは
(物語には、犯した罪を雪ぐために使徒となったとある。それならなぜ、まだ贖罪が終わっていない?)
わからないことが多すぎる。思考を放棄したい。
(・・・でも、おれは。)
もう決めたから。みんなを救える、勇者になると。
(そういえば、最近あの夢見ないな・・・。)
立てと、責め立てる言葉と激情の嵐。フラッシュバックする無数の光景。
あれはきっと、『勇者』の後悔から生み出されたものだ。こうなる前に、覚悟を決めろと『勇者』は訴えていたのだ。
(おれはもう、大丈夫。)
向けられていた愛を受け止められた。愛を乞うだけでなく、与えられるようになりたいと思えた。
(とうさまに師匠がいたように、おれにはライエがいてくれる。)
だからもう、大丈夫。
フローエルは立ち上がり、演習場へ向かう。
みんなを救えるぐらい、強くなるために。
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