お姉様観察日記

柊 撫子

ある日のページ

 本日のお天気は晴れ。暖かな陽気の曇りない空の下、オリフィアお姉様は今日も輝いていました。

 この日最初にお姉様と会えたのは午前四時二分、最後にお別れしたのは午後十一時五十六分でした。その内、お姉様と離れた時間は三時間四十一分。合計して十六時間十七分も同じ時間を隣で共有できました。

 食事は全てお姉様と同じものを同じ量だけ、水分も同様に。今日も完璧な分量を摂取できました。

これで明日もお姉様と私は健やかに過ごせることでしょう。

 お姉様が私に微笑んでくださったのは十回、目が合ったのは十六回、名前を呼んでくださったのは二十回、体が触れたのは四回。共に並んで歩いたのは八千五十七歩。

今日もお姉様と共に生きれたこと、女神レリフィアに深く感謝しなければ。

 今日一番の素晴らしい出来事と言えば、お姉様が私の頭を三度撫でてくださったことでしょうか。四十八秒ほど撫でてくださいました。

前回、頭を撫でてくださったのは九日前の午後二十時十四分のこと。その時は三十一秒でしたので、今回で最長記録が更新されました。

 今朝もお姉様は御身の睡眠時間を削り、未熟な教徒たちが懺悔する時間に割いてくださっていました。自身の頭で考えられない愚か者ごときのために。

 そんな尊き慈愛を持つお姉様に倣い、私も懺悔室へ同行しました。

お姉様は無理して早起きしなくともよいと言いますが、それでは私の気が収まりません。お姉様がお部屋から出るのを廊下で待った一時間十三分ですら、私にとっては至福のひとときなのですから。

 それに、お姉様が一日の一番初めに会うのが私であり、私が一日の一番初めに会うのがお姉様でありたいのです。私たちはそうあるべきだと思います。

他でもない、私とお姉様だから。

 本日の懺悔は妻子を一度に失い、生きる希望が見いだせなくなった教徒でした。

昨今、帝国内に蔓延るレリフィック教徒に向けられる非人道的な差別。それによって命を奪われてしまったと語っていました。

 二人もの命が奪われたのは痛ましいことですが、敬虔な者であれば既に女神の袂へ導かれているでしょうから、悲観することはないと私は思います。

失われた命の安寧を祈れないのなら、その者の信仰心は所詮それまでなのでしょう。懺悔と言いつつも、自身の愚かさを露呈させているようにしか聞こえませんでしたし。

 しかし、お姉様はこんな教徒すらもお見捨てになられませんでした。

これに対するお姉様のお答えは次の通りでした。


「その男は心を苦しめています。よって、レリフィックの教えに従い汝の手で”救済”すべきなのです。

女神レリフィアは汝に彼の者を救済するよう導いてくださいました。汝はそのお導きに従うのです」


 なんて素晴らしいお答えでしょう。

司祭としてレリフィックの教えを正しく伝え、迷える教徒をあるべき場所へ導く。これもまた一つの『救済』の形と言えるでしょう。

これでこの愚鈍な教徒も己のすべきことに気がつくことでしょう。大変喜ばしいことです。

 お姉様のお言葉を受けた教徒がやや不服そうだったのは許し難いことですが、お姉様はお気を落とされていない様子でした。その寛大なお心にまた一段と感服しました。

私のお姉様は今日も素敵でした。

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