白金玉萌の幸せになる方法?

柊木秀

白金玉萌の幸せになる方法?

———平安時代の末期、近衛天皇の治世の頃です。

 上皇である鳥羽院の御所に、それはそれは美しい一人の下女が仕えていました。その上美しいだけでなくとても博識で、何を尋ねてもすらすらとわかりやすく答える彼女に、皆一様に驚きました。そんなわけなので、院も院の御所の人々も彼女に夢中でした。


 秋の終わりの頃に、清涼殿で詩歌管弦詩と楽器の催しがありました。

 風の強い日だったので、宴もたけなわとなった頃に強風に煽られ灯籠の灯が消えて、辺りが暗闇に包まれてしまいました。

 すると、彼女の体がまるで玉のように輝くではありませんか。参加していた人々が驚き、院に報告したところ


「不思議なこともあるものよ。これは仏や菩薩の化身に違いない」


と仰られました。

 この出来事から、彼女は『玉藻の前たまものまえ』と呼ばれるようになりました。


 前の一件を経て、院は玉藻の前のことを少し空恐ろしく感じていましたが、彼女の美しさに惹かれて、八千代の契りを結びました。

 ところが、院は突然病気になってしまい、原因もわからず日に日に症状は重くなっていきました。医者の典薬頭の診断では、この病は邪気によるもので医者の手で治療できるものではない、ということです。

 すぐさま陰陽寮に知らせが行き、陰陽師の安倍泰成が呼び出されました。泰成の進言により、各地の寺から高僧が集められ大掛かりな祈祷が行われました。

 しかし、祈祷の効果は全く現れず、院はますます重体になっていくばかりです。とうとう床から離れられなくなってしまった院は、玉藻の前の手を取り、今生の別れを惜しみました。

 その後も様々な祈祷が行われましたが、どれも効果がありません。痺れを切らした臣下が泰成を問い詰めると、とても言いにくそうに、院の病気の原因が玉藻の前であることを告げました。

 驚いた臣下が仔細を尋ねたところ、このような話でした。


 下野国、那須野という所に、八百年生きた狐が住んでいる。巨大な体躯に九つに分かれた尾を持ち、大陸の国々を滅亡へと追いやった、白面金毛九尾の狐である。海を渡り、今まさにこの国に現れ、院の命を奪い、朝廷を我が物にしようとしている。この狐こそ、玉藻の前のことに他ならない。


 臣下たちが密かにこのことを伝えましたが、院は信用しません。

 そこで、泰成の提案により『泰山府君たいざんふくん』の祭事を執り行うことにしました。そして嫌がる玉藻の前に幣を持たせ、壇上に引き出したところ、その姿が掻き消えてしまいました。


 その後、いかにして九尾の狐を討ち取るか協議がされた結果、弓の名手である二人の武士に妖狐討伐が言い渡されました。       

玉藻の前は、一族を率いた二人の武士と七日七晩戦い続けた末に、矢で撃ち抜かれ倒れました。


 こうして、玉藻の前と呼ばれた妖狐、白面金毛九尾の狐は討ち取られたのでありました。———


 ***


 話し終えると、生徒の一人が手を挙げる。


「玉萌先生、質問良いですか?」


「良いわよ。何かしら?」


「なんで玉藻の前は日本の朝廷を乗っ取ろうとしたんですか?」


「あ〜、あの時は若かったの。調子に乗ってたっていうか……」


「え?」


「はっ!?い、いや〜、先生はそう思うかなってこと。はい!チャイムが鳴るから今日の授業はここまでよ」


 危うくとんでもないことを言いそうになった彼女は、急いで授業を終わらせる。

 教室を出て、昔のやんちゃをしていた頃の自分の話を生徒にするのは精神的にかなり辛い、とシクシクする胃に顔を歪める。あの頃は若かった、なんて黄昏れていたが、実際にしでかした事実が忘れることを許さない。例えるなら、中学二年の頃に発症する色々な意味で痛いイタイ病気を、大人になってもほじくり返されるようなものだ。

 

 しばらくは授業をするたびに過去の自分と向き合わさせられる、そんな憂鬱さを溜め息にのせて吐き出し職員室に入った。


「白金先生、来週から先生のクラスにくる転校生の面談、明日できますか?」


「はい、大丈夫です。男子生徒ですよね?」


「そうですよ、その辺りの情報については紙を机に置いておきました」


 彼女の名前は白金しろがね玉萌たまも。昔はともかく、今は真面目な国語教師。

 転校生を迎え入れるために書類に目を通し、思わず二度見する。


安倍あべ泰成たいせい?………え!?」


「どうしました?」


「な、なんでも無いです」


 今は悪さはしてないとはいえ、この名前に良い思い出がないのも事実。だが彼自身にはなんの非も無いのだから、本人に会う時に苦手意識を顔に出さないように、今から笑顔を作る練習をしておこう。と、玉萌は思うのだった。


 ***


「初めまして、来週から担任をさせてもらう白金玉萌です」


「安倍泰成です、よろしくお願いします。先生、大丈夫ですか?顔が引きつってますよ?」


 嫌な予感ほど良く当たる、とはよく言ったものだと玉萌は思った。容姿も年齢も背格好も何もかもが違うが、絶対にこの男子生徒は安倍泰成あべのやすなり本人だと確信する。だが、なぜただの人間が現代まで生き続けているのか、それに容姿が違う理由は。そこまで考えて、彼の目にも確信の光があることに気づく。


「ところで、僕は先生とは初めてあった気がしないのですが……。単刀直入に聞きますが、玉藻の前という名前に心当たりはありますか?」


「はぁ。ない、と言いたいところだけど、あんたの事だから気づいてるんでしょう?」


「まあ、そうですね。とはいえ流石に、ここで玉藻の前と会うことになるとは思いませんでしたが。貴方も僕のように生まれ変わった口ですか?」


「なるほど、だから容姿が違うのね。あと、私そもそも死んでないわよ?」


「は?……では京に送り届けられてきた狐の死骸はなんですか?」


「あんなの偽装に決まってるでしょ。あの程度のことで死ぬわけにはいかないわ」


「失礼、急用ができてしまいました。少しの間、そこでじっとしていてくださいね」


 そう言うやいなや、泰成は勢いよく右腕を玉萌の心臓に向かって突き出した。


「あっ、ちょっとあんた!私を祓おうとしてるわよね!?やめなさいよ!」


「大人しくしていてください、ちょっとチクッとするだけですから」


「注射じゃないんだからそうはいかないわよ!?大体、私もう悪さはしてないし!」


「本当ですか?昔から、嘘をつくのは得意でしたけど」


 うぐ、と口からうめき声が漏れる。信用はとても大事だ、なにせ一度失ったら簡単には取り戻せないのだから。

 しかし、玉萌も命がかかっている、ここで引く訳にはいかない。


「ほ、本当よ。だって私今結婚してるし、問題を起こしたら夫に迷惑がかかるじゃない」


「それは大変ですね。今すぐ会いに行って、騙されていることを教えてさしあげなければ」


「人聞き悪いこと言うんじゃないわよ!あの人は私が玉藻の前だって知ってて一緒にいてくれるんだから」


「成る程、催眠ですか」


「違うわよ!?私は本当に好きなのよ!!」


 そこまで言い合った所で、ガラリ、と引き戸が開く音。二人揃って慌てて口をつぐみ、扉に振り向く。

 扉を開けたメガネをかけた青年が、肩をすくめる。


「玉萌が忘れて行ったお弁当を届けに来たんだけど……。俺、お邪魔だったかな?」


「いや、あの、颯斗はやとくん!か、勘違いしないでね!?」


「ふむ、催眠では無いようですし、この慌てよう、先程の発言は案外本当?」


 玉萌と泰成の反応を見た颯斗と呼ばれた青年は、ぷるぷると肩を震わせながら、


「ぷふっ!心配しないでいいよ、分かってるから。しっかし、そうなると君が件の転校生か〜、本当に本物だとはね!」


「貴方が、玉藻の前の夫だと言うのは本当ですか?」


「ああ、本当だよ。白金しろがね颯斗はやとだ、よろしく」


「安倍泰成です、よろしくお願いします」


「うん、よろしく。一応言っておくと、俺は催眠にもかかってないし、騙されてもないよ。だから、玉萌のことは許してくれると嬉しいかな」


 颯斗はそう言いながら、ピンクの水玉の弁当箱を机に置き、それじゃ!と家に帰って行った。

 泰成が颯斗がいる間、妙に静かだった玉萌の方を見ると、お弁当を抱きしめてニヤニヤしていた。


「どうしたんですか?そんなニヤついた顔をして」


「え〜?だって私のためにお弁当を持ってきてくれたのよ?嬉しいじゃない」


「……それは良かったですね」


 そこから、玉萌の格好良い颯斗くんの話は二時間以上続き、ぐったりした泰成が止めるまで続いたのだった。


 昼ご飯の後、なぜか泰成から『問題を起こさない内は大目に見てあげましょう。だからもう勘弁してください』と言われて、玉萌は首を捻ったのだった。


 ***


 翌日、安倍泰成の生まれ変わりが現れたことによって、平凡に幸せだった日々が崩れていくのではないか、と感じていた玉藻の不安が本当のことになった。


 授業が終わり、玉萌が職員室に戻ると先輩の職員から声をかけられた。


「白金先生、昨日の安倍くんの保護者の方が来られてます。対応できますか?」


「はい、わかりました。それで保護者の方はどちらに?」


「ああ、それなら———」


「もうここにいますよ。初めまして、安倍晴明あべはるあきと申します。弟をよろしくお願いしますね、先生」


 その名前を聞いて玉萌は、自分の頬が前より強く引きつるのを抑えられなかった。


 

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