【KAC20222】推しだけが、

音乃色助

第1話(完結)


「なぁ、お前、この中だったらどの顔がタイプ?」


 バイトが終わり、着替えを済ませて今まさに休憩室を出ようとしたところで、アイドル雑誌を広げた先輩に声をかけられた。雑談に付き合わされるという危険を感じた僕は、先輩の顔も見ぬまま返事を返す。


「別に、どの顔も僕には同じに見えます」

「……なにそれ、お前、ホントつまんねーな」


 ウンザリしたような先輩の声。しかし辟易しているのはこっちも同じだ。「お疲れ様でした」僕は休憩室のドアを無遠慮に引き開けて、愛想のない声を置き捨てる。


 外に出ると、人込みがごった煮られている商店街が僕を迎えた。人と人の間を僕は忍びの如く抜ける。幾人の声がノイズと化し、僕の両耳を撫でつけた。早く帰って一人になりたいな――それだけを一心に僕は歩を進める。

 地面に目を落としながら、我は陰なりと言い聞かせながら。


 ドンッ。僕の肩が誰かの肩にぶつかり、僕は思わず顔を上げてしまう。


「ってーな、どこ見てんだよ」


 派手な柄シャツを着た茶髪の男が、おそらく僕に目を向けていた。彼の隣には、これまた派手な髪色の女性が自身の腕を男の腕に絡ませている。


「ねぇ~、そんな奴いいから、早くいこーよ」


 女性の声は、唾液が絡むようにねっとりしていた。「ボーッと歩いてんじゃねーよ」男が舌打ちと共にそう吐き捨て、そのまま僕に背を向けた。二人は人の渦に流され、やがて姿が見えなくなる。


 僕は呆けている。立ち止まっている僕を人々が邪魔そうに避けていく。

 何人かの目線が僕に向けられた、僕の視界もまた彼らの顔を捉えている。


 彼らは一様に、真っ黒な顔をしていた。

 目も、鼻も、口も、頬も、あらゆる凹凸が存在していなかった。一切の感情が色として存在していなかった。大量生産されたアンドロイドロボットさながらだ。


 僕の目には人の表情が映らない。

 八年前のあの日から、ずっとそうだ。



 二十歳になったばかりのころ。僕は、家の近くの自動販売機で缶ジュースでも買おうと夜道をぶらぶらしており、その公園に立ち寄ったのはほんの気まぐれだった。巨大な蛙舌の滑り台があること以外は特筆すべき点のない平凡な公園だ。


 ふと、視界が違和感を捉える。

 小さな女の子が一人、園内の中央でうずくまっていた。周囲に人の気配はない。

 少しだけ逡巡して――僕は少女に近づく。「ねぇ」僕が声をかけると、少女は驚いたように顔をあげて僕を見た。


「どうしたの? お母さんは?」少女は声を返さない。

「家は近く? 名前は?」やはり返事はない。ただの屍のようにも見えない。


 少女は、恐々とした表情で僕を見上げるばかり。……困ったな。

 僕はふぅっと息を吐いて、手に持っていた缶ジュースのプルタブを開けた。


「喉かわいてない? コレ、あげるよ」


 少女は幾ばくか警戒を解いてくれなかったが、やがておずおずと僕から缶ジュースを受け取り、ゴクゴクと喉を鳴らしはじめる。

 ぷはぁっ。はじめて見せた少女の笑顔は爛漫で、二つのえくぼが愛らしかった。


「あのね」やがて少女は声をあげ、僕たちは拙いコミュニケーションを開始する。どうやら少女は、両親の喧嘩に耳が耐えられなくなり家を飛び出してしまったようだ。


「でも、今ごろ心配していると思うよ。そろそろ戻らないと」僕が諭そうとするも少女は頑なに首を縦に振らない。一人にするわけにもいかないので、僕はしばらく少女の話相手になってやった。あどけない少女との会話に、僕の心がほだされていたのも事実だった。けど。

 パトカーのサイレンの音と共に、二人の警察官が僕らに近づく。


「怪しい男が、女の子と公園で二人きりでいるって通報があったんだけど」


 そのあとのことはあまり記憶にない。

 僕は警察署に連れていかれ、夜通し尋問のような事情聴取を受けた。結局、何かの罪には問われなかったけど、僕の周囲でよからぬ噂が広まるのは免れなかった。


 両親からは軽蔑の目を向けられた。

 通っていた大学の友人は、僕を避けるようになった。


 まるで汚物でも見るような目が、僕の顔面を刺しつづけた。

 もう、誰の顔も見たくない。

 そう強く思った翌日から、僕の目には人の表情が映らなくなった。



 駅前の広場がやけに騒がしい。目を向けると、煌びやかな衣装を纏った女の子達がステージ上で歌とダンスを披露していた。ローカルアイドルってやつだろうか。ステージ前には人だかりができており、それなりに賑わっている。

 人の顔を視認できない僕にとって、アイドルなんて無縁の存在だ。

 僕は足早にその場を去ろうとした、去ろうと、したんだけど。


 僕の思考が空の彼方へ飛んでいく。

 僕の目が、ステージ上で踊る一人の少女に釘付けになった。


 大きな栗色の瞳。少し小さくて丸い鼻。張りのある頬にできた二つのえくぼ。


 僕は驚愕している。

 僕の目に、彼女の表情がハッキリと映っていたから。


 ※


 空木うつろぎすず。アイドル歴一年の新米らしい。

 僕はスズに会いに行くため、彼女が所属するアイドルグループのライブに足繁く通った。ライブに行くたびに物販のCDを買いあさり、接触の時間を確保した。


 はじめて僕がスズと喋った時、彼女は何故だかひどく驚いた表情を見せていた。けれど彼女は屈託ない笑顔をすぐに作って「こんにちわ、なんて呼んだらいいかな?」


 普段ロクに人と話す機会のない僕は、最初こそスズとマトモな会話すらできなかったけど、接触の機会が増える度、自然と言葉が出るようになった。スズもまた、砕けた調子で僕とのおしゃべりを愉しんでくれているように見えた。彼女はライブでのMCはほとんど口を開くことはなかったけれど、接触ではやけに饒舌だった。


「――マジ? かげぞーさん、このへん地元なの? 私もなんだけど」

「マジだよ。家の近くに、でかい蛙の滑り台が目立つ公園があるんだけど、わかる?」

「あー、ピョン吉公園ね。わかるわかる。小さい頃、よく遊んだよ」

「……ピョン吉公園?」

「あ、それ私が勝手につけた名前だった」

「なんだそれ……っていうかスズ、一応アイドルなんだから個人情報をあんまり喋らない方がいいんじゃ」

「あっ、そうかも……。アハッ――」


 ペロリと舌を出す彼女の顔は無邪気で、僕は一生見続けていたいと思った。

 もっと。もっともっとスズを見ていたい。接触の時間、増やさなきゃ――

 僕は寝る間も惜しんでバイトに励んだ。バイト代と僕の時間を全てスズに捧げた。惜しむ気持ちは一ミリもなかった。

 たぶん、スズの笑顔だけが僕の心を存続させているんだと思う。


「……かげぞーさん、最近、顔色悪くない? もしかして、私のタメに無理しているんじゃ」

「そんなことないよ。僕が、好きでやっていることだし」

「その気持ちは、嬉しいけど……」


 最近のスズは、少し困ったように笑う。



 あまりにも唐突だった。

 スズの公式ブログに綴られたその文章を僕は何度も、何度も何度も目で追った。


『突然で申し訳ありません。私、空木鈴はアイドルを卒業させていただくことに――』


 形式ばった言葉がつづくも、そのあとのテキストは全く頭に入らない。

 自分の手からスマホがこぼれ落ちている事実にさえ、僕は気づけていない。

 なんで、どうして。

 グルグルグルグル、解の出ない疑問だけが頭を巡る。

 

 僕は、これからどうしたらいいんだろう。


 スズの引退が信じられなかった僕は一度だけ、彼女の所属するアイドルライブに足を運んだ。スズの姿はそこにはなかった。


 僕は思い知る。アイドルと、そうではない人の隔たりを。

 スズに聞きたいことが、あまりにも多い。

 でも、接触の機会を奪われてしまった僕とスズを繋ぐものは、もう何もない。


 自室にひきこもるだけの生活がつづいた。食事すらも、やがて億劫になる。

 起きていても仕様がないので、起き上がっては睡眠薬を呑み、布団で横になる。それを繰り返すだけの日々を過ごしていくうちに、気づいた。


 スズと会えなくなった今、僕が存在する意味なんて一つもないじゃないか。


 布団から這い出た僕は、遺書でも書こうかなと紙とペンを探す。しかし見当たらない。買いに行くのも面倒だ。SNSにでも書き込めばいいか――僕は一週間ぶりにスマホの電源をつけた。


 ふいに、唯一のフォローアカウントであるスズのアイコンが目に入る。何の気なしに彼女のページ飛ぶと、彼女の最終更新である呟きが目に入った。一週間前、彼女が引退を発表した日と同じ日付だ。


『ピョン吉公園であなたを待ってます。いつまでも待っています』


 僕は寝間着のまま部屋を飛び出した。



「かげぞーさん、髪、超ボサボサじゃん。寝てたの?」


 暗がりの公園で一人ポツン。街灯の光がスズの黒髪を照らしていた。

 呆れたような彼女の笑顔が僕の視界に吸引されていき、僕は全神経の血流が活発化していくのを感じている。


「あの呟き、僕なんかのタメに?」


 スズは物憂げに足を交差させて「僕なんか、じゃないよ」寂しそうに地面に目をやって「かげぞーさんだから、だよ」


 顔の下半分だけを吊り上げた彼女の表情は、無理やり笑顔を作り出しているように見える。


「私、人の声、聞こえないんだよね。誰が何言っているのか、わからないんだよね」


 スズが僕に近づく。僕は「えっ?」と間抜けた声を漏らしていた。彼女がイタズラっぽく首を傾けて、なんだか妙に幼気な所作だった。


「小さいころね。両親がケンカばかりしていた。私は家で、ずっと耳を塞いでいた。うるさい、何も聞きたくない――ずっとそう思っていたら、本当に人の声が、聞こえなくなっちゃったんだ」


 蛙がギョロリ、大きな二つ目玉で僕たち二人を見下ろしていた。

 静寂が暗がりを包んでいる。この世界には時空が存在しないんじゃないかって、そんな錯覚さえ覚えた。


「すべてが嫌になった私は家を飛び出した。この公園で、途方にくれていた。でも、一人のお兄さんが私に話しかけてくれたんだ。その人の声が、私には確かに聞こえたんだ」


 スズが笑う。

 いたく、あどけない表情で。


「かげぞーさん。あの時の缶ジュース、おいしかったよ」

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