いつか理想の情景を…

いつか理想の情景を…

 パソコンの画面に向かって、マウスのホイールをカリカリと動かすと、男は映った写真を見て微笑んだ。

 その写真は川の風景を写しているのだが、川は両岸が納まっておらず、何とも中途半端な状態で川が写っているのだ。もう少し引いて撮ればきれいに納まりそうなものなのに。

 彼が見ているその写真は、彼も登録しているSNSの、「シゲ」さんというユーザーが撮ってアップしたものだ。シゲさんは毎日のように散歩しているようで、その時の風景を写真に撮っては、SNSにアップしているのだ。言わば、好きな散歩の推し活といったところだろうか。

 写真を見ている彼は、アシスタントをしながらプロを目指すカメラマンの卵だった。

 ある日シゲさんの写真を偶然見つけ、最初は下手な写真だなと思って見ていた。ところが今では、毎日のようにアップされるシゲさんの写真を楽しみにしている。先刻さっきも言ったように、シゲさんの写真はどれもどこかズレたような素人くさい感じなのだが、何故か惹かれるものがあり、彼は気に入っていた。

 そして彼は、写真を撮っているシゲさんの姿を直接見てみたくなり、明日会う約束をしていた。最近思うような写真が撮れず、何かヒントがあればと思っての彼の行動だった。


 当日、彼が待ち合わせ場所で待っていると、シゲさんらしき人と、シゲさんと同じ年ぐらいの女の人と、若い女の人が現れた。

「初めまして。田代です。」

 彼がそう名乗ると、シゲさんも同様に名乗った。

「初めまして。シゲです。こっちは娘の舞です。」

 舞が紹介されて、お辞儀をした。

「私は妻です。」

 最後にシゲさんの奥さんが挨拶をする。

「それじゃぁ、歩こうか。」

 シゲさんがそう促し、田代達は散歩を始めた。まずは川のほとりを歩く。昨日の写真の川だろう。

「散歩はお好きなんですか?」

 田代の質問に、シゲさんは笑って答える。

「ハハハ。好きじゃなきゃ、毎日したりしないさ。」

 それはそうだ。答えを聞いてから、馬鹿な質問をしたものだと、田代は頭を掻いて、恥ずかしそうにうつむいた。

「ほほほ。若い頃はデートするのにもお金がなかったから、二人でただ歩いて…。そうしたらいつのまにか趣味になっちゃって。」

 奥さんが懐かしそうに微笑わらった。

 次に行ったのは神社だ。神社に向かうまで山道を歩いたが、シゲさんは毎日歩いているだけあって、疲れた様子など全くなかった。田代の方は普段の運動不足が祟ってか、ぜぇはぁ言っていたのだが…

うちの人も最初は息を切らしながら登っていたのよ。」

 奥さんがそう言って田代を元気付けていた。

 山道の途中で見覚えのある景色が見えた。いつだったかSNSにアップされていた写真の風景だ。遠くに見える街の景色がきれいなのだが、間にある山の景色が多く入り、望遠レンズを使えば、もっときれいに撮れるかもしれないのになと考えたのを思い出していた。

 神社に到着した時も、田代は一枚の写真を思い出していた。入口に立派な朱色の鳥居があるのだが、全部が納まりきっておらず、納めるだけの距離がなかったのかなとその時は考えていたのだが、納めるだけの距離は十分にあった。撮影者の腕だったのだろうか。四苦八苦しながら写真を撮るシゲさんを想像し、田代はクスリと微笑った。

 祭りでもあるのか、神社には出店が何軒か出ていた。その出店を見る田代の視線に気付き、シゲさんが説明してくれた。

「祭りがあるわけじゃないんだけどね、休みの日なんかは結構人が来るもんだから、たまにやってるんだよ。」

「あぁ、そうなんですか。」

 言われてみれば、それなりに人がいるなというように田代が出店を見渡した。りんご飴を買っている若い二人がいる。

「そうそう。私達も若い頃りんご飴を買って、家の人ったら、硬いうちから飴を噛み砕こうとして、逆に歯が欠けちゃって。ふふふ。あの時の情けない顔ったら…」

 奥さんが面白そうに笑った。

「ちょっと、休憩でもしようか。」

 シゲさんがそう言って、境内にある茶店を指さした。

「そうですね。」

 田代がそう答えて、皆で茶店に向かった。


 頼んだ団子を串から口でもぎ取り、それをお茶で流し込むと、田代はシゲさんに尋ねた。

「散歩は昔からされてるんですか?」

 するとシゲさんに代わって、娘の舞が説明する。

「昔はお母さんとよく二人で歩いてたんだけどね。お母さんが亡くなってからは一人で。たまに私も付き合ってるんだけどね。」

 シゲさんが遠くを見るような目で前方を見つめる。困ったなというような、寂しそうな、それでいて愛おしそうな、何とも言えない複雑な表情を浮かべている。

 そう。シゲさんの視線の先には、シゲさんと同じ様な表情をした奥さんが立っているのだが、田代にはその姿は映っていない。茶店の娘が持ってきた団子の皿も、お茶の数も三つ。奥さんの分はない。

「そうだ。」

 舞が何かを思い出したように、ポケットからスマホを取り出す。

「お父さん撮るばっかりで、二人一緒に写った写真がなくって。二人で写っているのはこの写真だけなの。」

 そういって舞が田代に見せたのは、愛おしそうに微笑みながら、奥さんの写真を撮っているシゲさんと、同じく愛おしそうに微笑んでカメラの前に立っている奥さんの、二人を納めた海岸での写真だった。

「これからこの海岸に行くのよ。」

 舞がにっこりと田代に微笑んだ。


 海岸に着くと、舞が岩場に腰を下ろした。シゲさんは海の方へと歩いて行く。その先には、先刻見た写真の場所があった。あの写真と同じ場所からの風景を撮ろうとしているのかもしれない。

 シゲさんがカメラを構える。一度カメラから視線を外すと、虫を追い払うかのように、手を前方に伸ばしてパタパタと振った。そしてもう一度カメラを構えた。

 田代はそのどこか素人くさいシゲさんの行動にクスリと微笑い、カメラを構えた。田代が撮りたいと目指す被写体は、きれいな風景に、幸せそうな人物を溶け込ませた情景写真だ。まさにその被写体が、目の前にあった。

 田代はいつになるかわからないが、必ず思い描いた写真を撮れる日が来ると、そんな予感を確信して、シャッターを押した。


 その日家に帰ると、田代は早速パソコンを立ち上げた。じっくり大きな画面で見たいと思い、帰り道にスマホで見るのは我慢していた。

 カリカリとマウスのホイールを動かし、SNSを探ると、シゲさんのあの海岸で撮った写真がアップされていた。相変わらず、どこかズレている写真で、田代はクスリとまた微笑う。

 次に田代は自分の撮った写真をパソコンに取り込み、それを確認した。海岸で撮った、あのシゲさんの写真だ。

 シゲさんが微笑っていて、思った以上に理想に近い写真が撮れていた。

「あれ?」

 しばらく写真を見ていた田代だったが、ふと気が付く。何か見覚えがあると。

「!」

 シゲさんの笑顔だ。シゲさんの笑顔が、舞に見せてもらった、あの写真の愛おしそうな微笑みと同じだったのだ。

「!」

 田代はさらに何かに気が付いたというような表情をすると、慌ててカリカリとマウスのホイールを動かした。そして、これまでアップされたシゲさんの写真を見ていく。

「…」

 どこかズレていたように見えていた写真に、奥さんを当てはめていく。すると、不思議としっくりと来るのだ。

「!」

 そして田代はさらに何かに気付く。海岸で見せていたシゲさんのあの素振そぶり。あれは虫を追い払っていたのではなく、「もっとこっちに寄れ」と指示を出していたように思えたのだ。

「……」

 しばらく放心状態となっていた田代だったが、

「クックックックックッ…ハハハハハハ。」

 ゆっくりと笑い出し、ドサッと勢い良く背もたれに身体を預けた。そしてひとしきり笑った後、あの海岸での写真が映っているパソコンの画面を見てこう呟いた。

「…シゲさんの推しは、そっちでしたか。」

 そして参りましたというように、田代は破顔するのだった。

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