第44話 楽園消失

 閉ざされた厚い扉を叩きながら、ティアは声が枯れるまで叫んだ。動かないハンドルを掴んで扉に爪を立て、死にもの狂いで引っ掻いたティアの指は爪が折れ、白い扉に血の痕がついた。


 響き渡るアラート音がティアの半狂乱の叫びをかき消す。そこへ消火装置の作動を知ったルーファスらが駆けつけた。三人は扉を叩き、必死にチェイスの名を呼ぶ。ネイサンも端末から解錠を試みるが、扉はびくともしない。火が消えるまでこの扉は開かないのだと誰もが気づいていた。


 泣き叫ぶティアを胸に抱え、ルーファスはただ壁にもたれて座り込む。アラートと悲痛な叫びだけが響く廊下で、どれほどの時間が経っただろうか。ようやくうるさいアラートが鳴り止み、扉のロックが解除される音が虚しく響いた。


 ティアとネイサンはハンドルに飛びついてどうにか扉を開ける。すぐに部屋の中へ飛び込もうとするティアをルーファスが抱えて引き戻す。換気が十分でないと酸欠で失神する恐れがある。ルーファスはティアの肩を掴み、強い口調で言った。


「ティア、お前はここにいろ。俺とネイサンが見に行く。俺がいいと言うまで入るな」


「そんな、」


「ティア! これは命令だ。従え」


 強く肩を掴まれ、今までにない強い口調と鋭い眼差しに、ティアは体が竦む。呆然と立ち尽くすティアを残し、ルーファスとネイサンが部屋の中へ入っていく。その背中を見送りながら、ティアには真っ白いはずのその部屋が、まるで深い洞窟の闇への入り口のように見えた。


 ルーファスらが部屋に入ると、壁一面に天井まで届く炎の跡がくっきりと残っていた。書類や器具を燃やして、鼻を刺すような匂いが籠もる。奥へ進むと、二人の人影があった。


 チェイスがエアを抱きしめるようにして床に横たわっている。チェイスの腕の中のエアはまるで眠る子供のように穏やかな顔をしていた。そんなエアを守るように腕の中に包み、額を寄せるチェイスも陽だまりのなかで昼寝をしているようにしか見えなかった。


 ネイサンが叫びかけて息を飲み、ルーファスは黙って二人のそばにしゃがんで脈を確かめた。首の脈はれない。眠ったまま目覚めないチェイスに、ルーファスは黙々と蘇生術を施した。


 遅れて部屋に飛び込んできたティアは横たわるチェイスを見て声にならない悲鳴を上げる。よろけて座り込んだティアは、それでもエアのそばに這い寄って、エアにも同じように心マッサージをする。


 額から汗が伝って落ち、滴が睫毛に当たって壊れても瞬き一つせずに、ルーファスはチェイスを呼び続ける。ルーファスとティア、二人の荒い息遣いを聞きながら、ネイサンはなす術もなくそれを見つめていた。


 そのまま十分が過ぎ、やがて二十分が過ぎようとする頃、ネイサンがルーファスを止めた。二人はもう戻って来ない。ティアの慟哭が響く部屋で、ルーファスは目に入る汗の滴を手の甲で拭った。チェイスの遺体を見下ろして呟く。


「ティアを泣かせるなと言っただろう」





 牧草地の外れで待っていたグウェンとアルトマンは、予定よりずいぶん遅れたがルーファスらが現れたことでようやくほっと胸をなでおろした。だがそれも束の間、近づいて来る人影は三人。グウェンは嫌な予感に、思わず隣にいたアルトマンの顔を見る。日よけのフードを目深に被った彼も青ざめた顔をひきつらせているように見えた。


「ルーファス、ネイサン!」


 駆け寄ったグウェンは、ルーファスに背負われたチェイスの体に触れる。今までに数え切れないほどの仲間たちを見送ってきた。魂が旅立ち、体だけを残した彼らに触れてきた経験が、グウェンにチェイスの死を知らせる。


「自分で、選んだんだね」


「ああ」


「だからその子も連れてきたのかい」


 ネイサンが背負うエアに目をやる。


「……そばにいるってあいつが決めたんだ。引き離すわけにもいかないだろう。親父たちには俺から話す。……ここの連中のこともいずれどうにかしなくちゃならない。だが今はまず家に帰ろう」


 ふらふらと、抜け殻のように足元の覚束ないティアの肩を抱いて、グウェンは頷いた。六人は、牧草地の地下道を潜って柵の外へ出た。馬に乗って懐かしい我が家へ先を競って駆け出すはずの道行きは、不安げにいななくゴーストを宥めながらの遅い歩みとなった。




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After human 黎明の子供たち 夜行性 @gixxer99

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