TEN〇Aをめぐる冒険

半田虻

TE○GAをめぐる冒険




※この小説はもちろんフィクションであり、実在する商品名や地名とは一切関係ありません。










20○○年、夏、京都。




 遥か遠くの大文字山まで一直線に延びる途方もない坂道を、俺は息を切らしながら自転車で駆け抜けていく。道の両側にはさまざまな飲食店が立ち並んでいて、歩道は観光客でごった返している。この春に京都に移ってから、まだ1度も来たことのない道だ。8月の半ばには低速がかかってしまったためもはやスマートとは言えないiPhone8の地図を頼りに、迷路のように入り組んだ京都の街を縫って進む。自転車を使うたびに思うが、京都はサイクリストに優しくない街である。道はところどころつぎはぎにセメントが塗り加えられていてデコボコしているし、街の至る所に「京都市無断駐輪取締とりしまり隊」と書かれたゼッケンを着た老人が徘徊しているからだ。一瞬であっても路肩に自転車を停めて目を離そうものなら、その自転車は飢えた老人達によって遠い町に持ち去られてしまうだろう。しばしば街中で迷子のようにうろうろしている若者が見かけられるのもそのせいだ。しかし、リアス海岸のごとく複雑に入り組んだ京都の街において自転車が恰好の移動手段であることもまた事実なのである。


 午後5時の京都はまだ昼間の暑さで、俺が着ている水色の鳥獣戯画Tシャツはすでに汗で濃紺色と化していた。俺の左乳首上で取っ組み合いをしている蛙たちもひどく濡れている。最近は日照り続きだったので喜んでいるに違いない。


 そもそも俺がこんなクソ暑い中、塾の自習室を飛び出したのはもう2時間も前のことである。そこからずっと自転車を漕いでいるのだからそりゃ汗もかくだろう。しかし2時間前の俺は、まさかこんなに長い旅______TENGΔ探しの旅になるとは思ってもみなかったのだ。



@




 事は今朝に遡る。朝、寮の食堂でスウプを一さじ、すっと吸っていたときのことである。俺の脳内になにか哲学的で高尚な命題が浮かぶように、あの赤地に白の横縞が入った彼女が唐突に訪れたのだ。持ち手部分にかけての滑らかなカーブは、美しい女性の腹部のくびれを思わせる。俺は彼女に対して初恋にも似た胸のうずきを覚えた。食堂には多くの浪人生がいて、彼らは皆光を失った死人の目をして黙々と飯を喰っていた。同じ浪人生である俺は昨日までは彼らと同じ、人生に希望を見いだせないステレオタイプの「浪人生」としての生活に甘んじていた。しかし今朝は違った。鬱々とした浪人生の波の中で、俺の目だけは活力に満ち満ちて閃光を放っていた。これを性欲の閃光と呼ぶなかれ。仮にそうだとするなら、この男子寮に押し込められた浪人生たちの目だって皆まばゆい光を放っているはずであろう。浪人生の性欲を舐めてはいけない。ともあれ、彼女に対する俺の想いは、他の延べ7000万人のTENGΔユーザーのそれとは違うのだ。俺は彼女と相合い傘をして霧雨の煙る京都の街を歩きたい。彼女と温泉に行って、彼女の滑らかな裸身をさらに綺麗に洗ってあげたい。断じて、彼女を使ってよこしまな所業に及ぼうなぞという考えはないのである。かくして俺は彼女に会いにいこうと決めた。


 本来ならば一刻も早く彼女との逢瀬を愉しみたいところではあるが、あいにく俺は浪人生、巷では受験勉強の永久機関と呼ばれている身分である。そこを忘れては本末転倒だ。彼女にしたって、自分のせいで俺が身を滅ぼしたとなれば罪悪感に心を痛めることだろう。俺はなにも危険な恋に溺れたいわけではない。あくまでクリーンな状態で彼女を迎えたかったのだ。


 そんなわけで午前中はマジメに勉強していた。しかし昼食をとると、満腹感とともに彼女への想いが募りだした。高ぶる感情を鎮めるため、俺は好きな人のSNSをこっそりチェックするようにTENGΛの公式サイトを訪れもした。しかしこれは逆に彼女への想いを強めることにしかならなかった。午後3時過ぎ、俺は見えない何かに突き動かされるようにして(繰り返すが、これは断じて性欲ではない)塾の地下自習室、通称地下牢を飛び出した。


入口の恰幅のいい警備員のおじさんに軽快に挨拶をして外に飛び出すと、残暑とは思えない熱気が俺を迎えた。コロナの影響で例年よりも人出が少なかったことを夏も物足りなく感じているのだろう。彼女との対面を目前にして、そんな気障きざな想像さえしてしまう自分が何だか可笑しかった。「ははっ、何考えてやんの。お前にそんなカッコつけた感傷は似合わねーんだよっ!」日差しに前歯をきらめかせながらそう呟いて、足取り軽く駐輪場へと向かった。


 コロナ禍といえど今日の人出はかなり多かった。歩行者にぶつからぬよう巧みにハンドルを切りながら、俺がまずはじめに向かったのは塾付近にある有名な商店街である。


 この商店街は十一条通にかかる東西500mほどの長いアーケードに覆われている。古き良き京都の人情が感じられるその商店街にはつねに商店街オリジナルソングが流れていることで有名だ。俺はまずこのアーケード内にある薬局で彼女を探すことにした。


 年季の入った店舗の中に入ると、真夏でも寒いほどクーラーが効いていて冷風が全身の汗を乾かしてくれた。店内には薬剤師らしき制服を着た白髪のおばあさんと屈強な男が一人いて、客はまばらだった。俺は一人でTENGλを買いに、いや、彼女に会いにいくのは初めてだったのでさすがに恥ずかしさを感じて、誰も見ていないのに一人でへらへらしながら店内を物色していた。


 結論から言うと、その店に彼女はいなかった。あったのは高い技術力を誇る国産の極薄コンドームとローションだけだった。そのコーナーにないということはつまりTENGλはこの店にないということである。「ったく、あんなに誘っといて焦らすなよな」俺はこの先の展開に若干の不穏さを感じながら店を後にした。何しろ今までTENGΛを置いていない薬局など聞いたこともなかったからだ。


 つぎに向かったのは商店街の西口にある大手薬局(ここではAとしておく)。全国に店舗を構えるここにならきっと彼女もいるはずと踏んで、俺は意気揚々と店の中へ入った。


 相変わらず店内は寒いほど涼しかった。レジに年若い女性が2人いて、陳列棚では屈強な男性店員が黙々と品出しをしていた。俺は彼に見つからないよう注意しながらTENGΛが置いてあるはずのコーナーに向かった。2回目なので馴れたものである。しかしまさか___この店にも彼女の姿はなかったのだ。さらに言えば、その次に向かった大手薬局Bにも、また2店舗目の薬局Aにも、___まるで神隠しに遭ったかのように、彼女の微細な痕跡すら、そこには残されていなかった。


 すでに時刻は午後5時である。日曜ということもあり、大手でない調剤薬局などは多くが休業日であった。すでに8店舗の薬局を回った俺は、薬局のどこに何があるか瞬時に判別できるようになっていた。俺が彼女に会うのが先か、それとも薬局ソムリエという不名誉なジャンルを開拓してしまうのが先か___。しかしもうここまで来たら引き返せない。俺は地図を頼りに、更に遠くの薬局へとフロンティアを開拓することを決意したのである。


 ここで俺は、自転車を漕ぎながら一つの仮説を立てた。それは「男性薬剤師陰謀論」である。


 今日俺が訪れた薬局のうち、実際に営業していたのは4店舗。そのすべてにTENGΛは置かれていなかった。そして驚くべきことにその4店舗では皆、浅黒い肌をした屈強な男性店員が一人ずつ働いていたのだ。


 これが何を意味するかお分かりだろうか。つまりはこうだ。京都市内、あるいは二条周辺に根を下ろす何らかの巨大組織が、俺と彼女とが出会うことを組織ぐるみで阻止しようとしているのである。そのためにその組織は俺が出向きそうな薬局にマッチョな男性店員を置いて、TENGΛを買い占めさせていたのだ。これはなんとも納得のいく話ではないだろうか。女性であればTENGΛをいくら買っても意味がないのだから、この作戦には協力したがらないだろう。そこで血気盛んな若い男を雇ったというわけである。若者の純粋な(?)欲望につけ込んだ何と卑劣な犯行だろう!


 ただ疑問が残るのは、どんな組織が俺と彼女との逢瀬を邪魔するのか、という点だ。まだ京都に来て日の浅い俺を恨む組織などあるのだろうか。しかも京都市一帯にネットワークを持つ組織が、である。俺は考えあぐねた。京都市一帯にネットワークを持つ巨大組織___例えば「京都市無断駐輪取締隊」のような___・・・・・・・・・そうか!思い出した!


 遡ること2ヶ月前。夜8時40分、塾での長い授業を終えた俺は夜の京都に自転車を走らせていた。よく利用するコンビニを過ぎ、ようやく寮近くの大きな交差点にさしかかった時である。


「君、ライト点灯しなさい!違法なんやで!」


 と暗闇の中で誰かが急に話しかけてきた。


 しかし、その時の俺はあまりの疲労で相手が何を言っているのかよく聞こえず、急に危ない歩行者に話しかけられたと思った俺はその人を無視して自転車で走り去った。その老人らしき声の男は、走り去る俺に対しても何か口走っていた。そして、後々落ち着いて考えてみると、あの時の俺がライトを点け忘れていたこと、そしてあの老人が恐らく「京都市無断駐輪取締隊」のメンバーであろうということに気がついて申し訳なくなった、という経験があったのである。______そうか、それか、それだったのか!


 頭の中で散乱していたパズルのピースがうまい具合に嵌まった気がした。やはり俺と彼女とは意図的に引き離されていたのだ___「京都市無断駐輪取締隊」あの邪悪な組織の手によって。


 そうと分かれば急がなければならない。彼らの魔の手が京都市全土の薬局に及ぶ前に、俺は必ずやTENGΛを手に入れてみせる!


 俺は常人には理解できないスピードでペダルを漕ぐ。俺のマスクの内側はさながら日本海のごとく、大量の汗の波濤が荒れ狂っていた。鳥獣戯画Tシャツはもはやただの黒Tみたいになり、カエルもウサギもどこかへ消えてしまった。


 本日三店舗目の薬局Aに到着。自転車を乗り捨てるようにして置き、しかし消毒はきちんとしてから店内へ入った。


 残念ながら店内には男性店員が一人いた。しかしまだ分からない。なぜなら彼は今までの男達とは対照的に、ガリガリの眼鏡男だったからである。___まだ希望は残されている。俺は店の大きさや奥行きから即座にTENGΛ販売コーナーを割り出し、そこへ向かって一直線に走った。


 コンドームはもちろんあった。そして、・・・・・・・・・TENGΛの値札もある!が、肝心のTENGΛ本体は忽然と姿を消していた。「駄目だったか・・・・・・・・・」俺は肩を落とした。


 その時、俺の後から漏れたような笑い声が聞こえてきた。


 俺がばっと後を振り返ると、そこには両腕にTENGΛを抱えたさっきの眼鏡男が立っていた。口の端にはこちらを馬鹿にしたような笑みを浮かべている。


「それを一つ寄越せ!」俺は叫んだ。「一つでいいから!一つくれたら文句言わないから!」


 眼鏡男は何も言わず、かわりにありえないほど大きく口を開けて、そこに両腕に抱えたTENGΛをすべて放り込んだ。そしてそれをゆっくりと咀嚼し始めた。俺は唖然としてそれを見守る。


 するとどうだろう。それまで細かった彼の腕や脚は急速に肥大し、眼鏡はいつの間にか霧消し、なぜか肌が浅黒く焼けはじめたではないか。そして十秒と経たないうちに、眼鏡男はマッチョ薬剤師へと変身を遂げたのである。


「お前にTENGΛはまだ早い」彼は俺に言った。「まだそうやって強がっているうちはな」


 俺は何も答えなかった。かわりに、身体の奥底からホットプルームのようにゆっくりと上昇してくる衝動を感じた。しばしの沈黙の後、俺はようやく口を開いた。


「そうか・・・・・・・・・俺はTENGΛと恋愛がしたいんじゃない。ただTENGΛで自分を慰めたい、ただそれだけだったのか!」


 その瞬間、急な眩暈めまいが俺を襲って、目の前が真っ暗になった。薄れゆく意識の中、マッチョ薬剤師が優しく微笑みかけてくれたような気がした。


 




                  @






 気がつくと、俺は自分の部屋の椅子に座っていた。どうやら俺はうたた寝の間に壮大な夢を見てしまっていたようだ。


 ふと椅子のわきにおいてあるリュックサックに目が留まった。右ポケットを見ると、いつも入れている緑の折りたたみ傘とともに、何やら赤い物体が入っていた。それは植物を思わせる緑の傘の隣で、キノコのような牧歌的でかわいらしい印象を放っていた。それがTENGΛだと気づくまでに時間は掛からなかった。


 その後俺が何をしたか、それを語るのは野暮であろう。ただ一つ言えるのは、恥と外聞を捨てた男は想像以上に強い、ということである。


 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

TEN〇Aをめぐる冒険 半田虻 @ts3y18

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ