第9話 お任せいたします。

「監視カメラすげっ」

「中庭すげぇ」

「お屋敷すげぇ」

「執事さんとメイドさんすげぇ」


 文庫ふみくらがまるで、遠足に来た小学生のような状態になっていた。


「あ、宗さんがいるということは、お姉ちゃん帰ってきてるみたいだね」


 宗さんとは、大浜宗右衛門、杏奈専属の執事のこと。


「杏奈ちゃん忙しそうね」

「うん。だから今日はさ、少しでもゆっくりしてくれたらなと思ってるんだけど」

「お疲れ様でございます」

「疲れてはいないんだけどね、ありがとう景子さん」

「いいえ、仕事ですから」

『景子さん、口元にケーキのかけら』

「え? うそっ」


 景子は慌ててルームミラーで確認。


「こ、これで大丈夫です」

「うんうん」


 勇次郎側のドアが開く。


「お帰りなさいませ、勇次郎様」

「ありがとう、宗さん」

「勇次郎様、お帰りなさいませ」

「ただいま、麻乃」


 宗右衛門と麻乃が並んで一礼。


「僕はいいから、お客様をお願い」

「かしこまりました」


 宗右衛門が文庫側のドアを開ける。


「あ、ありがとうございますっ」


 文庫は思わず敬礼してしまう。


「文ちゃん、緊張しすぎだってば」

「だ、だってさぁ」

「ほら、鈴子お姉ちゃんが困ってるよ」

「あ、いっけね」


 慌てて鈴子に手を伸ばす文庫。


「文庫、もう少し落ち着きなさい」

「ごめんってば」


 車から出てくる鈴子は、最早別人だった。麻乃が彼女は『猫被り』だと言っていたが、まさにその通り。二人は近しい存在なのだから、飾る必要もないのだろうけれど、宗右衛門がいるからだろうか? しっかりと役目を演じているように見える。


「あら? 麻乃ちゃんではありませんか」

「鈴子さんも、お元気そうでなによりです」


 バチバチと火花が散りそうな二人に見える。確か、麻乃の話では仲が良いと聞いていたはずだと、勇次郎は小首をかしげる。だが、見た目で騙されてはいけないこの二人。現在行われているやりとりは、勇次郎へのフェイクである。しっかりと手渡しされていた手提げの紙袋に、勇次郎は全く気づいていないようだ。


「文庫さん、これを」

「あ、すみません。山城さん」


 景子がトランクから紙袋を二つ取り出して、文庫に渡す。おそらくは、勇次郎へのプレゼントなのだろう。はたして、先ほど鈴子が麻乃に手渡した紙袋は、何だったのだろうか? 知っているのはこの二人だけなのだろう。


「先生」

「ん?」

「そういえばあのメイドさん。大浜先輩だよな? 確か、会長さんの秘書だって噂がある」

「あぁ。お姉ちゃんの秘書さんはこっちの執事さんで、麻乃さんのお父さんで惣右衛門さん。麻乃さんは僕専属になったんだ」

「まじか。あの清楚な大浜先輩が、先生のメイドさんだなんて、羨ましすぎるよ……」

「はいはい。僕はそんな、漫画みたいな恩恵は受けてませんってば」

「だってメイドさんだぜ? 男の子の憧れじゃないか?」

「はいはい、どうどう、落ち着いてってば」


 渦中の麻乃がこちらへ向かってくると、勇次郎の側でスカートを両手でふわりと持ち上げて、カテーシーのようなお辞儀をしてくれる。


「勇次郎様、そろそろお召し物を」

「あ、そっか。うんわかった」

「お二人は、父宗右衛門がご案内いたしますので」

「あ、はい。ありがとうございますっ」


 文庫はガチガチに緊張が再起動ぶりかえしてしまう。その横で、宗右衛門に連れられた鈴子が苦笑していた。


「では、お二人は私がご案内いたします。どうぞこちらへ」

「はい。よろしくお願いいたします」

「お、お願いいたしますっ」

「じゃ、またあとで鈴子お姉ちゃん、文ちゃん」

「えぇ。また後ほど」

「お、おう。先生」


 勇次郎は、麻乃と一緒に一時退却。


「麻乃お姉さん」

「なんでございましょう?」

「さっきの仕草。僕あれ、好き」

「かしこまりました。毎日お見せいたします。ありがとう、勇ちゃん」

「そういや鈴子お姉ちゃんさ、見事だったね」

「えぇ。猫被ってましたね」

「そういえばそれ、何だったの?」


 勇次郎は紙袋を指差す。


「メイドの秘密でございます」

「なんだかなぁ」


 勇次郎の部屋の前に到着。すると、先ほどの仕草で一礼する麻乃。


「二十分ほどおくつろぎくださいまし。後ほどお着替えのお手伝いにまいります」

「あ、うん。わかった」

「では、準備がございますので、ここは失礼いたします」

「……なんだろうね?」


 勇次郎がドアを開けて入ると、そこには桜色の振り袖を着た、杏奈が椅子に座って待っていた。


「勇くん」

「あ、お姉ちゃん」


 よく見ると杏奈は、勇次郎の亡くなった父、勇一郎の遺影前にしていた。


「この方が、勇くんのお父様なんですね」

「うん。僕の父さん。なんとなくさ、静馬さんに似てるでしょう?」


 写真に写った姿は制帽を外した警察官の制服姿、おそらく二十代前半。その割には、短髪でおでこが広い勇一郎。


「えぇ。体格が良いところと、おでこが」

「でしょ? 身長が百八十五あっただけで、そっくりなんだ、雰囲気もね」

「笑顔が素敵なお父様だったのですね」

「うん。父さんは笑ってるところしか覚えてないかな? 多分ね、僕がね、四歳だったと思うんだけど」


 勇次郎は今日で十五歳。今からおおよそ十一年前の話。


「ぼやっとしか覚えてないけどさ、そのときは東京に住んでたはず。母さんが言うには、交通事故だったって。勤務してた警察署の前でね、僕と同じくらいの、小さな子を守ろうとして、トラックにぶつかったって、聞いたんだ」

「そう……」

「空手の段持ちだったけれど、トラックには勝てなかったって教えてくれた。二階級特進でね、警視だったって言ってたんだ」

「お父様は、キャリアだったんですね」

「うん。東京で大学卒業して、警察官になったって聞いてるよ」

「母さんはね、そのあとにこっちに帰ってきたんだって。仲田原のおじさんと、おばさんの紹介でね、こっちに務めることになったって聞いてる」

「そう……」

「父さんに似なかったから、母さんそっくりだから、こう育っちゃったけどさ。父さんの料理のレシピだけはね、ここに入ってるんだ」


 勇次郎は自分の頭を指差してる。


「静馬さんをね、選んだ基準がね」

「えぇ」

「『ぎゅっと抱きしめられて、父さんと同じくらいに安心感があったから』だって言ってたんだよね。母さん、なんだかんだ言いながら、静馬さんのこと好きだったんだろうなって思ったら、安心しちゃったんだよね」


 そう言う、勇次郎の頰に涙が伝う。


「あれ? 僕、どうしちゃった――あ、そっか。父さんのこと、こうして話すの、文ちゃんと鈴子お姉ちゃんだけだったから。ううん。二人以上に、話せたからかな? 安心しちゃったのかもだ――」


 勇次郎の言葉を遮るように、杏奈はぎゅっと彼の顔を胸に抱きしめた。


「お姉ちゃん、濡れちゃうって、こんなに綺麗な振り袖なのに」

「大丈夫。最悪、麻乃がなんとでもしてくれるわ」

「そっかな?」

「あのね、勇くん」

「うん?」

「わたしはね、勇くんが大好き」

「うん。僕も好きだよ」

「だからね、わたしも、隠さないで言うけれど、聞いてくれるかしら?」

「うん。聞くよ」


 ゆっくりと腕を放す杏奈の目からは、もう決壊してしまった涙が溢れていた。


「あぁ、お化粧くずれちゃうじゃないのさ。ごめんね、変な話しちゃって」


 勇次郎は、クローゼットからスポーツタオルを持ってくると、杏奈に手渡した。彼女は、軽く微笑んで、目元をそっと押さえる。無理に笑顔を作ろうとするが、これから話そうとするものが、それほど軽くないことがわかってしまう表情をしていた。


「あのね、勇くん」

「うん」

「わたしの母だった人はね」

「うん」


 杏奈の父、静馬も再婚なのだから、彼女に母親がいないのは理解していた。


「どこかわたしの知らないところで、生きてるそうよ」

「え?」

「わたしがね、生まれた一月後だったと聞いているのだけれど」

「うん」


 杏奈の言う意味がなんとなく予想できてしまう。


「ある朝、パパが夜勤を終えて帰ってきたとき、離婚届を置いて、一緒にいなくなったらしいの。相手の人は、東比嘉大卒業して、インターンだった若い医師の方だったそうよ」

「なんてことを……」

「わたしはね、幸い、麻乃のお母様、夜夜ややさんが乳母をしてくれていたから、大丈夫だったのだけれどね。母だった人のことを知ったのは、附属中学一年のときだったの。お爺さまとパパと一緒にね、わたしの誕生日に、教えてくれたのです」

「……うん」

「なんて言ったかしらね? どこぞの病院で院長夫人をしていると、調査結果を見せてもらったんです」

「うん」

「お爺さまがね、かつて母だった人が『会いたいと言ってる』と、滅多に見せない、もの凄く厳しい表情で言うの」

「うん」

「パパもね、呆れた表情をしていたわ」

「うん」

「わたしはね、お爺さまにね、言ってあげたの」

「うん」

「『寝言は寝てから言ってください』とお伝えください、ってね」

「あ、あははは……」

「わたしの母親はね、縁子お母様。いずれママと呼べるように努力してるわ」

「そうなんだ。僕もね、静馬さんをお父さんって呼べるように、なんとかしようとは思ってるけど」

「無理はしないていいの。時間は沢山あるのですからね」

「うん」


 そのとき、ドアをノックする音が聞こえる。ややあってドアが開いた。


「杏奈お嬢様、勇次郎様のお召し替えがそろそろ必要かと思われますが」

「あ、いけない。わたしも、お化粧を直してくるわね」

「お手伝いは?」

「大丈夫よ。勇くんのこと、お願いね麻乃」

「かしこまりました」

「じゃ、勇くん。あっちで待ってるわ」

「うん。支度できたら僕も行くからね」


 杏奈は笑顔で部屋を出て行く。残った麻乃は、持ってきた何やら大きなバッグと。先ほど見た、紙袋を前に差し出してくる。


「何これ――え? まじで?」

「はい。まじでございます」

「だってほら、これって」

「杏奈お嬢様が、お喜びになりますけれど?」

「んー、わかったよ。わかりました。お任せいたします」


 勇次郎はベッドに大の字に寝っ転がって、降伏を宣言した。

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