第7話 またこれかい。

「そうです。そこを左に、そのマンションの駐車場に入ってください」

「はい」

「確かゼロ番に駐めるっていってたんだけど、そっか、そういう意味だったんだ」


 確かに、縁子が緊急のとき、病院からの迎えが来るときだけここに、病院のロゴの入った車が止まっていたのを何度も見たことがあった。それ以外はほぼ、どの車も駐めることがなかった。そのわけは、東比嘉関係の車が停車する際にだけ使われるように、確保された駐車スペースのようだった。


 景子は車を駐めると、先に降りてくるりと半周。勇次郎側のドアを開ける。


「まだ慣れないんだよね」

「『慣れてくださいまし』と、麻乃さんなら言うんでしょうけどね」

「よく知ってますね」

「それはもう。十年以上の付き合いですから」


 勇次郎が降りると、景子は一礼する。


「では、まだ時間が早いようですから。ご用の際は、連絡いただけたら嬉しいです」

「あれ? 景子さんはどうするの?」

「はい。私はこの近くにある――」

「あー、『ふらんぼわ』でしょう?」

「ご名答です。あそこのケーキセットが私を呼んでるんです」


 沖縄でも珍しい純喫茶で、日替わりの三種のケーキから選べるケーキセットがある。価格も控えめで、若い人にも人気の店。


「あははは。食べ過ぎないようにね。晩ご飯もあるんだから」

「大丈夫です。ケーキは別腹ですので。では、いってらっしゃいませ」

「はい。ではまたあとで」


 エントランスへ入ると、半透明ガラスの自動ドアに阻まれる。『セキュリティが高そうに見えるが、ガラスだとそれほどでもないのでは?』と思われそうだが、よく見ると、ガラス自体にかなりの厚さがある。同時に壁際には、テンキーと呼び出しボタンがついたインターフォン型端末がある。


(――○四、『ぽちっとな』)


 勇次郎が部屋番号を入力し、『呼』マークのついた呼び出しボタンを押下すると、よくある『ピンポーン』ではないが、少し凝った感じの呼び出し電子音が鳴ったあと――数秒後。


『はいはい。どちらさまですか?』


 勇次郎もよく知る声が聞こえてくる。


「あ、文ちゃん。僕だけど」

『……僕僕詐欺?』


(いや、確かに『オレオレ詐欺』というのはあったけど、それは滑ってないかい?)


 内心呆れた勇次郎だったが、つい口にも漏らしてしまう。


「あのねぇ文ちゃん……」

『ごめんって、わかってるって先生。今開けるから待ってて』


 文庫ふみくらの声と同時に、自動ドアが開く。ドアとすれ違いざまにちらっと、ガラスの断面を見る勇次郎。ホテルなどでは、おおよそ十二ミリの強化ガラスが利用されていると聞くが、これはそれ以上の厚さがあるような気がする。


(相変わらずエグい分厚さだね。もしかしたら防弾ガラスだったりしてね)


 こう思ったのは何度目だろうか? そう思ってしまうほどに厚い。向こう側が軽くゆがむほどのものだ。


 エレベーターを降りると、濡れることのない廊下が出てくる。自己負担がほんの僅かですむという社宅には見えないほど立派なマンションだ。エレベーターホールのある真ん中よりは単身者向け、外よりは家族向けとなっている。


 奥からひとつ手前は、まだ表札が付いていない。勇次郎たちが引っ越してからまだ日が浅いから、誰も引っ越してはいないのだろう。そのとなり、『仲田原なかたばる』の字が刻まれた表札が見える。


 その前に立つと、まるで自動であるかのように鍵が開く音が聞こえるが、ドアが開く気配はない。おそるおそる勇次郎はドアを開けるとそこには、玄関先で土下座をした文庫の姿があった。


「先生、くだらないことを言ってごめん」

「またこれかい。大丈夫だって、怒ってないからさ」

「ほんと? 助かるよ……」


 そう言って気まずそうな表情をしている文庫が顔を上げる。


「勇きゅんは言った、『やれやれだじぇ』」

「そこ、勝手にナレーション入れない」

「うふふふ。ごめんねー。あ、文庫、お姉ちゃんにはコーヒーお願い」

「あのねぇ……。持って行くけどさ。先生はどうする?」

「あ、僕はいつものでいいや」

「おっけー。じゃ、あがってあがって。居間で待ってて」

「おじゃましまーす」


 勇次郎は、靴を脱ぐとくるっと回して揃える。ついでに、暴れるように明後日の方向を向いていた、女性用の靴を揃えておく。男性用のスニーカーはきちんと揃っていた。下駄箱の上にあるお客さん用のスリッパを手に取ると、床に置いて履いた。


「文ちゃん、おじさんとおばさんは?」

「仕事ーっ」

「やっぱりね」


 勇次郎は文庫が言うように、居間へ向かう。勝手知ったる他人の家――それはそうだろう。鏡合わせのように、隣の部屋とは間取りが逆になっているだけなのだから。


 居間に入ると、誰もいない。ここは確か、六畳、六畳、八畳、LDK十畳の三LDKだったはず。文庫と鈴子は別々の部屋になっていたはずだ。


 その理由は、サイドボードに飾ってある、仲の良さそうな四人で撮った写真にヒントがある。二人の父親は薬剤師で、母親は縁子と同じ看護師だ。二人とも基本忙しく、家には寝に帰ることが多いと聞く。そのため、早い時期から別々の部屋が与えられていた記憶がある。


 勇次郎はとなりに住んでいたが、基本的には文庫の部屋にいるか、鈴子の部屋にいるかどっちかだった。まるで三人姉弟のように育った幼なじみだったから。


『姉ちゃんほら、コーヒー』

『ありがと、文庫』

『へいへい』


 ぱたぱたという、スリッパの音。音と音の間がやや長い。おそらく、文庫だろうと勇次郎は思った。


「おまたへ」

「あいあい」


 二人掛けのソファに座ってる勇次郎の前にどっかりと座る文庫。キンキンに凍らせてあるグラスにロックアイスが入ってる。隣にあるのはルートビアの三百五十ミリリットル缶。文庫のは、同じグラスだがおそらくはアイスコーヒーだろう。


 ぷしゅっと音を立てて開けられる缶。文庫は目の前にあるグラスに注いでグラスの横に置くと、トレーごと勇次郎の前に押し出してくれる。


「はいよ」

「ありがとう」


 勇次郎は、グラスの半分ほど飲むと一息つく。


「ふぅ『ぬちぐすいー』だね」

「どういたしまして――あ、そういや先生、ちょいとばかし早くね?」


 壁の時計を指さしてそう言う文庫。現在の時間は十一時半。確かに杏奈が、『夕方十七時あたりに迎えを出す』と伝えたはずだ。


「そうなんだけど、ほら。手持ち無沙汰になっちゃってさ」

「わかるよ、うんうん。大好きな会長さんおねえちゃんと一緒じゃ間が持たないかー」

「いや、仕事行ってるし」

「まじで?」

「うん、まじで」

「まじかー。うちの姉ちゃんにも爪の垢煎じて飲ませたいわー」

「あのさ、おそらくだけど、鈴子お姉ちゃんの方が何倍も稼いでると思うよ」

「まじで?」

「うん、まじで」

「名門のお嬢様生徒会長さんより稼いでる姉ちゃんって、どんだけ化け物なのよ」

「全国に一万人近くはファンがいるだろうからねぇ」

「信じらんねぇ」

「いや、文ちゃんだって、そうでしょ?」

「いやいや、俺、稼いで、……るのか? 姉ちゃんに任せちゃってるからよくわかんないけど」

「仲田原姉弟きょうだいで、どれだけ有名なんだか……」

「いやいやいや、先生には敵いませんって」

「そう? 僕は鈴子お姉ちゃんとこでバイトしてるだけだよ?」

百万ミリオン、いや、もしかしたら二百万ダブルミリオン再生、おめでとうございます、『勇きゅん』さん」

「……何のこ――あぁあああ、忘れてた」

『おめでとう、ぱふぱふーっ』


 少し離れたところから聞こえる、鈴子の楽しそうな声。


「鈴子お姉ちゃんーっ、なぜ教えてくれなかったのさ?」


 鈴子部屋へ走る勇次郎。文庫は『平和だねぇ……』と、ある有名アニメの台詞を呟く。

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