第5話 赤いレンガのお屋敷

 引越センターのトラックに荷物を積み終わると、呼んであったタクシーの後部座席に乗り込む勇次郎。窓を開けて、見送る文庫ふみくら鈴子りんこを見る。


「色々ありがとうね。掃除は、管理人さんがやってくれるみたいだし」

「そっか」

「母さんの代わりにさ、おじさんかおばさんに挨拶をしようと思ったんだけどさ」

「あぁ、二人とも仕事なんだよ」

「だと思ったよ。そしたら多分だけど、後日ちかいうち、こっちに母さんと一緒に挨拶に来るか、それとも母さんがあっちに呼ぶのか知らないけどさ。連絡を入れるだろうから、そう伝えておいてくれる?」

「はいよ」


 鈴子が窓越しに、勇次郎の手を両手で握る。まるで別れを惜しんでいるかのように見えるのだが――


「勇ちゃん」

「どうしたの、鈴子お姉ちゃん?」

「来週の約束だけどね、大丈夫そう?」

「あ、あぁ。原稿手伝うってあれね?」

「そうよ。この子はベタか消しゴムかけしか、ううん。デジタルになっちゃったから、何ひとつ役にたたないのよ。カットに使えるモデルか――あーでも勇ちゃんがいないと意味がないし……。あとはせいぜい買い出しくらい、かしら?」

「ひっでぇよ、姉さん」

「あはは……」

「だからねお願い。勇ちゃんがいないとね、締め切り間に合わなくなるの。じゃないとゴールデンウィークのイベント、新刊落ちちゃうの……」

「わかったから。メッセするから。スケジュール調整して、なんとかするからさ」

「助かるわぁ――あ、お礼はあの件でいいんでしょう?」

「はい、絶対に手伝います。大丈夫、安心して。とくかくこっちからお願いしたいくらいです」

「何の話をしてるんだか……」


 トラックの運転手から声がかかる。


「あの、そろそろ出ますが」

「はい。わかりました。それじゃ、文ちゃん、鈴子お姉ちゃん、行くね」

「元気でね。勇ちゃんがいないと私、生きていけないの。私、『新刊落ちました』はもう嫌なのっ」


 ひらひらと、名残惜しそうに手を振る鈴子と、呆れる文庫の姿がまたシュールだった。


 勇次郎たちが住んでいた地区の、ちょうど反対側。市民ビーチを見下ろす場所にあって、ここいらでは珍しく高台にある一軒家というより、小さなホテルのような建物。そこが、東比嘉あずまひが家のお屋敷らしい。


 タクシーの運転手が勇次郎に、まもなく到着すると教えてくれた。二、三メートルの高さはありそうな、塀に取り囲まれた場所に出たのだ。入り口は見た限りひとつだけ。人力では開けられそうもない、重厚な正門がある。その横にインターフォンがあるので、勇次郎は一度、タクシーから降りて押してみる。


(ぽちっとな)


 すると、正門上にある監視カメラがこちらへ動く。じっと、勇次郎を、まるで値踏みでもされているような、視線を感じるほどのものだ。


『当家へご用でございましょうか?』


 男性の声でそう受け答えをしてくれる。


「あの、僕」

『もしや、勇次郎様ございますか?」

「あ、はい。その勇次郎です」

『少々お待ちくださいませ。今、お迎えにあがります』


 勇次郎はタクシーに戻ると、連絡が取れた旨、運転手に伝えた。


 ややあって、正門が開く。フル電動で『おぉおおおお』と感動する勇次郎。そこには、前後二輪になった、珍しい電動アシスト型自転車に乗った、黒い燕尾服に似た服装の、初老男性。


「あなたが浜那覇勇次郎様で、間違いはございませんね?」

「はい。その勇次郎で間違いありません。その……」

「ご事情は伺っております。では、ご案内いたします。お部屋も、勇次郎様の私室と寝室。縁子様の私室と寝室。それぞれ少し離れた場所に、用意させていただきました」


 なるほど。母、縁子は結婚したんだから、今まで通りというのもおかしい話だろう。勇次郎と少し離れた場所に私室を置くということは、お相手の静馬への配慮もあるのだと、男心に知ってしまう。


(そりゃね、新婚になるんだし。いくら忙しいからって、少しくらいは仲良くして欲しいって気持ちもあるからね)


 内心そう思いながらも、勇次郎は口には出さない。それよりも、自転車好きの勇次郎は、前を走る乗り物のギミックも気になったが、それよりも先に思ったのは、このことだったはずだ。


(どれだけこの庭、大きいんだろうね?)


 普通なら歩いてくるだろう距離を、このようなものに乗ってくるのだから。


 電動アシスト自転車と言って良いのか悩むものに乗って先導する、執事さんのような人についていくトラックと勇次郎の乗るタクシー。ぐるりと弧を描く、道幅四メートルはあるだろう、石畳で舗装された通路を進むと、百メートルくらい進んだだろうか? やっとお屋敷らしきものが見えてきた。


(あぁ、こりゃ歩くと結構あるわ。てか、なにさこの、ホテルみたいな建物は……)


 おそらくこの、学園都市が設計されたとき、同時に作られた建物のひとつなのだろう。勇次郎たちが通う学校の様式にも、似た感じがあるからだ。


 縦五センチ、横二十センチの、沖縄の赤土を素材として使われて焼かれたと聞くレンガブロック。それが組み合わさってできた壁。

 某○イオンズマンションに使われている壁材にも似てはいるが、それとは違うもっと淡い色味で、素朴な感じのする素材。話に聞くと、割れたとしてもすぐに交換できて、便利だから使われるようになったらしい。


 ホテルのエントランスにも似た、入り口前で男性の乗る自転車が止まった。


(凄い、あれって自立するんだ)


 建物より驚いたのは、男性の乗っていた自転車だった。前後四輪の仕様だからか、スタンドをかけなくとも、各輪に備えられたサスペンションがそうさせるのか。倒れようとしない緊張感が保たれているように見える。正直『乗ってみたい』と思っただろう。


「改めまして、勇次郎様。わたくし、こちらの管理を任されております、大浜と申します」

「あ、はい。よろしくお願いします」


 丁寧に腰を折り、挨拶をしてくれる大浜。勇次郎もつい、ぺこりと会釈をしてしまう。


「いえ、もったいのうございます。では、少々お待ちください」


 大浜は、懐からスマートフォンを取り出す。どこぞにダイヤルしたように見えたあと。


「大浜です。勇次郎様がお着きになりました。えぇ。引っ越し業者さんの指示は私が。あなたはご案内をお願いします」


 そう言い終わると、勇次郎の背後から足音が聞こえてくる。一瞬のうちに、気配が感じられると、その方向へ振り向いた。そこにいたのは。


「わっ、め、メイドさん?」


 黒字に白いアクセントの入った、いわゆるスタンダードな『メイドさん』と言える姿。踝の丈のスカートを両手でふわりとやや持ち上げ、ヘッドドレスの乗る頭を軽く傾げ、挨拶をしてくれる。


「はい。この屋敷の従業員でメイドの、大浜麻乃あさのと申します」


 大浜? そういえば、執事然とした彼の名も確か同じだった。


「そうでございます。麻乃は私の娘でございまして、家内と共に東比嘉家にお仕えさせていただいております」

「そうなんです。勇次郎様、よろしくお願いいたしますね」

「あ、はい。よろしくお願いいたします」


 年の頃は二十歳以上だろうか? 勇次郎と同じくらいの身長で、少し安心したのは秘密である。何せ彼は、百六十一センチしかない。今年高校一年になるのだが、おそらく同学年でも一番低いかもしれないと思っているくらいだ。少々コンプレックスを感じていても仕方がないだろう。


「麻乃、勇次郎様をお願いできますかな?」

「はい。承りました。ではこの、麻乃がご案内いたします。こちらへどうぞ」

「すみません、お世話になります」

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