第4話 すごくおいしいわ。

「あ、それでね、早速で悪いんだけど、勇ちゃん今、お休みでしょう?」

「あー、うん。そうだけど」


 入学式までは確かに休みだ。制服が替わるけれど、すでに支給されている。だから慌てて何かをする必要もないわけだ。


 勇次郎個人のことを言えば、仲田原家でお手伝いの約束はあるにはあるが、今日の予定は入っていない。


「お昼にね、ランチをご一緒することになったのね」

「お昼って、……あと一時間じゃないのさ?」


 今は午前十一時。朝七時に軽い朝食を取って、軽い作業をしていたところ。昼くらいには縁子が起きてくると予想していたから、そろそろ仕込みをしようと想っていたところだった。


「そうなのよ。困っちゃってるのよね」

「あぁああああ。ちゃんとしたのを着ていかないと駄目でしょう? 母さんのスーツ、クリーニングから持って帰ってきてたっけ? ほら、さっさと顔洗って、歯を磨いてってば」

「ほんと、勇ちゃんってせっかちさんなんだから」

「いや、仕事してないときの母さんに言われたくないってば……」


 ▼


 東城あずまぐすくプリンセスホテル。ここは、東海岸駅に隣接して建てられた最新のホテルで、冠婚葬祭からリゾートホテルとしてまでなんでもこなす、東城市の玄関口となる施設でもあった。


「あのぉ」

「母さん、いいから。すみません。僕たち、浜那覇と申しますが」


 縁子が何かを言いそうになる前に、勇次郎が処理をする。すると、フロントで受付の男性が笑顔で迎えてくれる。


「はい。承っております。浜那覇縁子様と、ご家族の方ですね?」

「はい。そのとおりです」


(立派にそだったわねぇ)


 しっかりとした受け答えをする勇次郎を見て、縁子はそう想っていた。


 そのホテルの最上階にあるカフェレストラン『イーストスカイラウンジ』。予約席で、個室になってる部屋があり、その手前のウェイティングルームと記された、待合室に通された。


 そこには、恰幅の良い背中が見える。立ち上がってこちらを振り向くと、とても良い笑顔で迎えてくれるではないか? おまけに、その笑顔を最大限に引き出す、立派なおでこ。


 どこまでがおでこかわからないほど、後退はしているのだが。別段、勇次郎は気にすることはなかった。なぜなら、残された写真の中の勇一郎も、おでこがそれなり以上に、広かったからである。


(予想してた通り、沖縄の人という感じの、立派な体格。それでいて、父さんに負けないくらい、笑顔が気持ちいい人だね)


 勇次郎はそう思った。


「パパ、お相手の女性が着いたのね? さっそく、紹介してもらえるかしら?」


 奥の間から、声が聞こえる。ドレスを着てるように見えるのだが、なんと、お相手の男性よりも二十センチくらい背が高いではないか?


 勇次郎よりも大きな男性、それより大きな娘さん。その身長差に、勇次郎は驚いた。


「勇ちゃん、この方がね。東比嘉静馬あずまひが しずまさん」

「杏奈、この女性が俺のお相手で、浜那覇縁子さん」


「……え?」

「……え?」


 逆行になっていたから、よく見えなかった。そこにいた女の子は、勇次郎の顔を見て。勇次郎は、紹介された名前を聞いて。共に目が点になっているかのように、驚いていたのだった。


 ▼


 浜那覇家、正確には勇次郎にとって、とんでも事件があった翌々日。勇次郎の自宅で、彼ともう一人の少年の声が響いている。


「先生。引っ越すって、本当だったんだな」

「う、うん。母さん昨日、再婚しちゃったからさ。式は先になるって言ってたけど」


 静馬と縁子は、昨日のうちに入籍だけを済ませてしまったのだ。忙しい二人だからか、決断力と行動力も半端ないのである。


 少年は、勇次郎の部屋で、引っ越しの手伝いをしてる、部屋の主よりも年上に見える彼は、お隣に住む仲田原文庫ふみくら。文庫は勇次郎のことを『先生』と呼び、勇次郎は文庫のことを『ぶんちゃん』と呼ぶ。勇次郎の幼なじみで親友。新年度から、同じ附属高校に通う仲間でもあった。


「それで、どこに引っ越すん?」

「んっと、ここから車で十分くらいって言ってたかな?」

「なんだ、市内じゃないか」

「あのねぇ文ちゃん。そりゃそうだよ。僕、付属通うんだし、母さんだって、職場変わんないからね」

「心配して損したよ。それで、先生の誕生祝い、どこでやる? なんならうちでやろっか?」

「んー、あとでまたメッセ入れるよ」


 文庫がドアのある入り口付近を見たとき、そこにもの凄く呆れた表情をした鈴子と目が合ってしまった。やや前屈みで、両腰に手を当て、『困った弟たちね』という表情。そのあと左手人差し指を前に出し、左右に軽く揺すりながらお小言タイム。


「ほらほらほら。二人で乳繰り合ってるのかな? もしや、勇ちゃんの『ヘタレ攻め』? それとも文庫の『誘い受け』かな? どっちにしてもお姉ちゃん、萌え苦しんじゃうわ、……ぐへへ」


 そう言いながら、四つん這いで匍匐前進でもするかのように這い寄る女の子。彼女は二人の手前まで迫ると、左手の甲で口元を拭うような仕草をする。そんな彼女を、呆れるような表情で見下ろす文庫。


「前者でも後者でも、俺が受けってどういいう解釈だよ、姉さん? って言っても仕方ないか」

「いや、僕たち違うでしょう? って鈴子お姉ちゃんに言っても仕方ないよね……」

「わかってるじゃないの。ほらほら、お話しててもいいから手は動かすの。こっちだってまだ終わってないんだから」


 『今までのはただの冗談』とでも言うかのように、すくっと立ち上がり、隣の部屋へ戻っていく。彼女は、文庫のひとつ年上の姉で、鈴子りんこという、いろいろこじらせている女性ひとだ。


 ちなみに、附属中学の前生徒会長であり、附属高校でもすでに生徒会役員だったりするのだ。家ではこんな感じだが、外面は完璧。まるで別人を演じている。


  縁子が仕事で忙しいことを知った仲田原姉弟きょうだいは、勇次郎には連絡も入れず、合鍵を使って侵入。

 勇次郎が目を覚ましたときにはもう、段ボールを組み立てていて呆れられたのは笑い話。文庫は勇次郎の部屋を、鈴子は縁子の部屋を片付けけてくれている。


「それでさ先生」

「何? 文ちゃん」


 鈴子に『手を動かせ』と言われてるからか、素直に手だけはしっかり動かす二人。


「名字はどうなる?」

「あぁ、それね。一応、どっちでもいいって話なんだけど」

「どういうこと?」

「僕が浜那覇を名乗ろうと、新しい姓を名乗ろうと、好きにしてもいいって言われたんだ」

「んんん?」

「昨日、母さんに聞いたんだけどね。浜那覇ってさ、父さんのじゃなくて、父さんと母さんの育ての親の名字なんだって、昨日教えてもらったんだ」


 縁子に親族がいなかったのは、勇一郎と同じ理由。二人とも両親がいない。そういうことだと、勇次郎は知ったのだ。


「……そういう意味か。うん、言われなくてもわかるよ」

「察してくれてありがとう。やっぱり持つべきは親友だよね」

「あぁ。俺も最低限の気配りができて、良かったと想うよ」


 小さな額縁に入った勇一郎の写真を見ながら、口元をほころぼさせる勇次郎。何重にも柔らかな布でくるんで、荷物の中へそっとしまいこむ。


「僕はさ、父さんのことは絶対に忘れない。でもね、母さんにはいい加減、幸せになってほしいんだ。だからね、僕は『東比嘉』の姓を名乗ろうと思うんだ」

「……ちょっと待て」

「ん?」

「東比嘉って、あの東比嘉か?」

「あのって?」

「俺たちの学校の」


 勇次郎と文庫、鈴子が通う学校。『その関係者か?』という意味だろう。


「あれ? 言わなかったっけ?」

「聞いてないよ」

「そっか、ごめん。そうなんだ」

「いやいや、別に悪いってわけじゃないんだ。それよりもあれか?」

「あ、うん。新しい父親になる人と、一緒に来てたんだよね――」


 かいつまんで勇次郎は説明した。縁子の夫になる人は、学校関係者の親族であって、理事ではない。ただ、『そうでない人も同席していた』ということも。


「あの会長さんが、か?」

「うん。僕も一瞬固まった。会長さんも、固まってたと、思うよ……」

「そっかぁ。先生の憧れの女性ひとだもんな。そりゃ驚くってば。とりま、頑張れ」


 親指をびむっと伸ばサムズアップしてみせる文庫。


 二人のいるとなりの部屋、縁子の部屋で偶然聞いてしまった鈴子も、その場で固まっていたのは仕方のないこと。


(えぇ? 杏奈ちゃんと一緒に住むことになるの? それはなんというか、……すごくおいしいわ)


 あっさりと再起動して、何やらメモを取り始める鈴子だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る