狙撃手(スナイパー)の憂鬱

Youlife

第1話

「お疲れ様、今回も無事に任務完了コンプリートだね。いい仕事をしたよ」


 殺害依頼のあった標的を仕留めることを生業としている狙撃手スナイパー中御門峻作なかみかどしゅんさくのスマートフォンの向こうから聞こえるボスの岸川広重きしかわひろしげの声は弾んでいた。

 峻作は岸川からの依頼を受け、麻薬を世界中に横流しするマフィアとの繋がりがある世良組せらぐみの若頭・横尾光行よこおみつゆきを銃撃した。

 組事務所の入るビルの隣の建物に潜伏し、横尾がビルから出て車に乗り込む所を一撃で仕留めた。横尾が胸を押さえてよろめき、倒れるのを見届けると、峻作は銃口からの煙を口で一吹きし、スマートフォンで岸川に「無事、任務完了コンプリートしました」とだけ伝えると、車に乗り込んだ。


 峻作は警察や世良組からの追っ手をかわすため、都会から遠く離れた海辺の町まで車で逃走し、誰もいないことを確認すると、胸をなでおろして煙草に火を灯した。煙を深く吸い込むと、目の前にある写真に目を遣った。


桃菜ももなちゃん。今日も無事に仕事を完了したよ」


 写真には、ライブハウスを中心に活躍するアイドルグループ『ちゅちゅ☆あんな』の榎木えのき桃菜の姿があった。握手会で笑顔で握手する峻作と桃菜が写った写真である。峻作にとっては桃菜の写真を見ている時間が、何よりもの心の癒しであった。

 峻作は子どもの時に読んだ漫画の影響で狙撃手スナイパーに憧れ、若い頃に裏社会に入り、一撃で標的を仕留めるための激しい訓練を受けてきた。血も涙もないシビアな世界に息苦しさを感じた峻作は、プライベートでは心の癒しを求めて、アイドルを追いかけるようになった。アイドルと言っても、テレビ等で活躍する有名なアイドルではなく、小さなライブハウスなどを拠点に活躍する、いわゆる「地下アイドル」の推し活をしていた。

 その中でも峻作が昔から注目ていたのが、ちゅちゅ☆あんなであった。結成当時からライブを見続けていたが、桃菜には加入した時から他のメンバーとは違うものを感じとっていた。峻作は見た目のいかつい雰囲気から、握手会やファンとの交流イベントに参加しても、桃菜以外のメンバーはどこかぎこちなく腫れ物に触るかのように接していた。しかし桃菜は、峻作にも怖がることなく気さくに話しかけ、握手にもしっかり応じてくれていた。

 そんな桃菜も、看護婦を目指し学業に専念するために、もうすぐグループを卒業することが決まっていた。峻作は、桃菜卒業のニュースを知った時には大きなショックを受けたが、桃菜が卒業を決意した理由を知り、彼女のこれからの夢を応援しようと、卒業ライブに参加することを決めた。この日はたとえボスからどんなオファーが来ようとも、全て断るつもりだった。

 峻作の後部座席の下には、ライフル銃の入った箱と、桃菜の顔写真入りの法被と団扇、そして桃菜が好きだと言うムーミンのぬいぐるみが置いてあった。ぬいぐるみは、ライブの最後、ステージからの去り際に手渡そうと思い、用意していた。あとはライブに向けて掛け声の練習をするだけだ。

 桃菜の写真を持って掛け声を練習していたその時、峻作のスマートフォンから、けたたましい着信音が鳴り響いた。


「あ、中御門君か?またまた仕事が入ったぞ。今度は大物政治家からの依頼でね。高速道路発注の便宜を図るようひたすらゆすり続けている『浮島うきしま建設』の社長・浮島信康のぶやすを狙撃してほしいとのことなんだ」


 電話の主は、ボスの岸川だった。


「わかりました。で、実行日は?」

「今度の日曜日なんだよ。浮島建設も含めた大手ゼネコン関係者と政治家が集まり、『意見交換会』という名の懇親会がホテルボンクラで行われるから、そのタイミングでな」

「え?今度の、日曜日!?」

「そうだ。何か問題でもあるのか?」


 峻作は慌てて手帳をめくった。日曜日には、太く赤い文字で「桃菜ちゃんラストlive☆」と書いてあった。


「すみません、俺、日曜日にはどうしても外せない用件があるんです。計画の変更は可能でしょうか?」

「あのな。浮島社長は懇親会の翌日から海外にゴルフに行っちまうんだよ。次のチャンスはいつになるかわからない。だからこのチャンスは逃せないんだよ」

「でも、俺には絶対譲れない約束が入ってるんですよ。何とかならないんですか?」

「ならない。そもそも今回の依頼主は、いずれ大臣になると言われている大物政治家だ。今回の懇親会はわざわざ依頼主が会場も予算も段取りしてくれたんだ。それをこっちの都合で勝手に予定変更なんかしたら、機嫌を損ねて二度と依頼してくれなくなるぞ。とにかく、今回の任務も予定通り完遂しておくれよ。わかったな?」


 そう言うと、岸川は峻作の反論を聞くこともせず一方的に電話を切った。

 峻作はため息をつき、スマートフォンを座席に叩きつけた。


「どいつもこいつも……もうこれで桃菜ちゃんに会えなくなるというのに」


 峻作は桃菜の写真を手にすると、黒のレイバンのサングラスを外し、とめどなくあふれてくる涙を拭いながら、最後に会える機会を失うことの虚しさと、雇われ狙撃手という自分の立場の弱さを憎らしく思った。


 日曜日の夜、峻作はホテルボンクラの対面に立つオフィスビルの屋上に立っていた。

 ちょうどホテルの玄関が真正面に来る場所を見つけると、峻作は手にしていた大きな箱を開き、ライフル銃を取り出した。

 弾倉に弾を込め、照準を玄関すぐの所にあるタクシー乗り場に定めた。

 予定では、午後八時までには懇親会は終わる。

 桃菜の卒業ライブは、これまで参加したライブの終了時間を考えると、おそらく九時頃になるだろう。そう考えると、峻作が最後に会えるチャンスは、わずか一時間だけである。何とか任務を無事に終わらせ、すぐにでもライブに駆け付けたい。

 とりあえず、今の所は動画配信を見ながら、参加している気分だけ味わって我慢するしかないと考えた峻作は、スマートフォンを取り出すと、動画配信サイト『tacotubeタコチューブ』にアクセスし、ちゅちゅ☆あんなのライブをじっと見ていた。


「くそっ……配信じゃ全然臨場感がねえな。あーあ、このまま桃菜ちゃんの生歌を聴けないまま会えなくなっちゃうのか。本当にどいつもこいつも、くそったれだよ。うちのボスも含めて、このスキャンダルに関わる奴らは全員撃ち殺してやりてえくらいだ」


 懇親会が終了する午後八時を迎えたが、標的は一向にホテルから出て来なかった。ホテルで見張りをしている岸川にスマートフォンで確認を取ったが、裏口にもいないとのことだった。

 しばらくすると、迎えの黒塗りの車が続々と玄関に到着したが、玄関からは誰も出て来なかった。そして時間は刻一刻と過ぎ、ライブが終演する予定時刻の午後九時が徐々に近づいていた。

 配信動画では、桃菜がメインボーカルを取る曲が流れていた。桃菜は途中から感極まり、他のメンバーに背中を抱えられながら唄い続けていた。


「ぐぬぬ……何やってるんだ!もう今から会場に行っても終演ギリギリだぞ。この落とし前はどうしてくれるんだ!」


 その時、動画から『いよいよ、次が最後の曲です』という桃菜の声が聞こえてきた。


「桃菜ちゃん……見に行けなくて本当にごめんな。卒業しても、ちゅちゅ☆あんなのことは忘れず、幸せになれよ!俺は加入した時からずっと応援してきた君を最後まで見届けられなくて、情けない気持ちで一杯だよ」


 峻作が悔し涙を流しながら動画を見つめていたその時、ようやくホテルの玄関の方から男達が談笑する声が聞えてきた。護衛するガードマン達に囲まれながら、懇親会に参加した経営者達が続々と玄関に姿を見せ始めた。

 その中に、ひときわ体格の良い、顎に髭をたくわえた男が現れた。

 あらかじめ岸川からもらっていた標的の写真を見て、峻作はライフルを構え、酒を飲み上機嫌な浮島の顔にしっかりと照準を合わせた。


「あいつが、浮島建設の社長・浮島信康か……!ちくしょう。お前のせいで、俺は……俺は……!」


 浮島が黒塗りの車に大きな体を滑りこまそうとしたその時、峻作のライフルが渇いた発砲音を上げた。

 浮島は胸の辺りを押さえながら地面にひっくり返り、そのまま手足をばたつかせながらもだえ苦しんでいた。

 やがて浮島がピクリとも動かなくなった所を見届けると、峻作はスマートフォンをポケットから取り出し、岸川に連絡を取った。


「ボス、無事に任務完了コンプリートしましたよ」


 ★★★★


 峻作は次の任務命令を受け、北海道へ向けて高速道路を走り続けていた。

 次の標的は、銃を手に他の船舶を威嚇しながら北洋でサケを密漁する集団である。

 北に向かうにつれ、雪が勢いを増して峻作の車の窓ガラスにまとわりついて来た。

 慣れない雪道運転に疲れた峻作は、近くのサービスエリアに車を停め、しばらく仮眠をとることにした。


 峻作は煙草に火を灯すと、煙を深く吸い込み、吐き出しながら、ダッシュボードに置かれた写真に目を遣った。

 そこには、法被を着て団扇をかざしながら、桃菜と写真に収まる峻作の姿があった。桃菜は、峻作からプレゼントされたムーミンのぬいぐるみを抱きしめ、満面の笑顔を見せていた。


「最後の曲には間に合わなかったけど、ステージの去り際に何とか渡すことが出来てよかったよ。こちらもとりあえずは任務完了コンプリート、だな」


 そう言うと、峻作はスマートフォンから桃菜の卒業ライブの動画を流し出した。画面の中で、桃菜は感極まりながらも、最後の曲「いつかまた君を好きになりたい☆」を必死に声をふり絞って唄っていた。

 峻作は涙を流しながら、煙草の煙を車の窓の外へ吐き出した。冷えた北国の空気の中、煙が白く空に舞い上がるのを見届けながら、峻作はそっと呟いた。


「最後の曲、やっぱり生で聴きたかったなあ……」


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