なまえ

もりさき いく

第1話 なまえ 其の一

 私の名前は、田中ぱせり。


 私は、自分の名前が嫌いではない。だからといって、好きというわけでもない。好きでも嫌いでもないのである。


 『田中』は、どこにでもある、ありふれた苗字だけど、この『ぱせり』のお陰で得をした事もある。すぐに名前を覚えてもらえるし、友達に「可愛い」と羨ましがられる事だってある。

 だけど、私の心の奥はなんだかパッとしない。『ぱせり』って、料理の飾りについてくるものだし、好んで食べることもない。

 大好きなハンバーグの付け合わせに、にんじん、じゃがいも、ぱせり、とあったら、決まって、ぱせりだけを皿の上に残す。

 私が描いているイメージは、例えば、サスペンスドラマでいったら、事件を解決する主役でもなく、物語を盛り上げていく名脇役でもない。最初に、インパクトを与える、死体役なのだ。


 私の父は、どうして、こんな名前を付けたのだろう。何百回と自問自答してきた問いだ。父に直接、聞いたこともある。返ってくる答えはいつも同じ。


「可愛い響きだよな、ぱせりって。お父さんはとても、気に入っているんだ」


 そう言って、笑って誤魔化ごまかされてしまう。私は、それ以上踏み込むことはできない。


 父は、私を、生まれた時からずっと男手一つで育ててきてくれた。感謝してもしきれないくらいだから、父を困らせることはしたくないのだ。


 母だったらどんな答えをくれただろうか。


 母は、私を生んですぐに死んでしまった。

もともと病弱だった母は、私をお腹に宿した時、ひどく体調を崩していた。お医者さんからは、出産は命の危険を伴う、と言われたが、それを振り払って私を産んでくれた。

 私は、母の命を引き継いで生まれてきた。


 小学生の時に、『ぱせり』という名前が原因で、いじめられた事があった。誰にも言えなくて、毎日が辛くて、苦しかった。

 でも、絶対に死のうなんて思わなかった。母から受け継いだこの命は、私の一番大切な宝物だという事を知っていたから。


 そんな事を改めて振り返ると、私も大人になったものだと、しみじみと感じる。

 まあ、高校一年生だから、まだまだ子どもなんだけど。


 ぼんやりと考え事に浸っていると、なんだか眠くなってきた。いつも一緒に勉強している友達の綾ちゃんが、今日はいなかったせいかもしれない。静まりかえった図書館の机に、突っ伏して、いつの間にか眠りに落ちていた。

 閉館を知らせる係りの人に起こされて、私は慌てずにはいられなかった。

 

 すぐに帰って、夕食の準備をしなくては。


 家に帰ると、こんな日に限って、父は帰宅していた。


「ごめん、お父さん。ご飯、急いで作るから」


 私はそう言って、エプロンをつけ、台所に向かう。


「ぱせり。ご飯はいいから、こっちに来ないか」


 何やら、私を呼ぶ父の声は上機嫌だった。


 やはり。


 父はビール瓶を片方の手に、もう片方の手にはコップを持っていた。もうすでに顔は、茹であがったタコみたいに真っ赤である。

 父は、私に、隣に座るように目で合図を送ってきた。私がイスに腰掛けると同時にビール瓶を渡してきた。


「お父さんに、注いでくれないか。娘から注いでもらうのが、前からの夢だったんだ」


 そう言いながら、コップを私に向けて突き出した。


【今までに何度も注いだ事ありますけど】


 私は心の中で、そう父の言葉に、ツッコミを入れる。

 父の様子は、いつもと違い、やけに酔っ払っていた。私は少し心配になった。


「お父さん、あまり飲みすぎないようにね」


 そう言って、ビールをコップに注いだ後、ビール瓶を机に置いた。相変わらず、ゆでダコの父は、満面の笑みで私の方を向いている。


「ぱせり。いい名前だ」


 そうボソリと呟いてから、父は急に話を始めた。


「お前の名前は、母さんの想いが詰まっているんだ。母さんはぱせりが大好物だった」


 私は、何のことなのか、と半分呆れ顔で聞いていた。さらに、父の話は続いた。


「母さんは、お前を産んで、死んでしまったが、お前に命を繋いでくれたんだ。お前に命のバトンパスをしてくれたんだよ」


 父は、ヒートアップして、演説でもしているかのように、手振りも加えてきた。


「お前の名前の由来はそこなんだよ」


 父がそう言った瞬間、話半分に聞いていた私の脳は素早く反応した。


「どういうことなの?」


 今まで、一度も父に詰め寄ったことなど無かったが、何故だか勝手に、その言葉が口を衝いて出てきた。

 父は狼狽うろたえて、先程の笑顔が、一変して、困り顔になった。

 私は、ここぞとばかりに、父を睨みつけて、逃げ場を無くした。しぶしぶ、父は口を開く。


「まあ、それは、何というか。......最愛の妻、えりのバトンパスということだ。その、えりのパス、ぱすえり......ぱせり、だ」


 その答えに、私は拍子抜けしてしまった。私の悩みって、一体、なんだったのかと馬鹿馬鹿しくなった。そして、 間髪入れずに父にツッコミを入れた。


「私の名前って、ダジャレかよ!」


 父は、困り顔から泣きそうな顔になった。


「ぱせり......。怒ったのか?」


 ほとんど半泣きの父が、そう言って、私の救いを懇願してきた。

 私は、こらえていた笑いを抑えきれずに、ぷっと、吹き出してしまった。

 それを見た父は、安堵あんどの表情を浮かべた。


 父のそういった所作しょさが、愛おしくもあり、滑稽こっけいでもあり、私は笑いが溢れて止まらなくなった。つられて父も笑い始めた。


「じゃあ、私、夕飯の準備するね」


 そう言って、私は台所に立った。

 父の大好物の、豚の生姜焼きを作ろうと、下拵したごしらえしてあった豚肉をフライパンで焼きながら、私はふと思った。


 私の名前は、田中ぱせり。


 私は、私の名前が嫌いではない。

 

 もちろん、好きでも嫌いでもない、ということもない。


 私は、ぱせりという名前が大好きである。



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 最後までお読み頂きありがとうございます。

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