咖喱草子

菅沼九民

咖喱夜話

 以下は私が大学3年生の頃、所属していた日本史学研究室の随筆集(?)に投稿を求められ寄稿した文章です。


 * * *

咖喱夜話


 古来より「腹がへっては戦はできぬ」という。戦争における兵站の重要性を鋭く指摘した至言である。


 学生である私にとっては学業が戦にあたる。学業という日々の戦を生き抜くために食は欠かせない。


 しかし食にかけることのできる予算は限られている。時間,体力等諸々の条件を勘案するにアルバイトによって得ることのできる収入は月8万円が限度だ。


 学生が一人暮らしをするのには十分な金額に思えるが,そこから家賃,光熱費,通信費等の費用を差し引くと食費に充てられる費用は意外に少ない。


 当然外食は控え,自炊を中心に生活していくことが望ましい。


 親元を離れ,一人大阪へやってきた私は,自炊を誓い各種の調理道具を取りそろえた。その調理道具たちがホコリをかぶって棚を無意味に占拠するだけの存在に成り下がるまでには,さほどの時間を要さなかった。


 自炊はただひたすらに面倒であった。


 腹の虫を黙らせるために,なぜここまで手間をかける必要があるのかという疑問が包丁を動かす手を鈍らせた。


 また不経済に思えたことも自炊をする意欲をそいだ。最寄りのスーパーは企業努力を怠っているきらいがある。端的に言えば高い。


 お手頃なスーパーを求めて遠征しようにも長い坂がそれを阻んだ。行きはよいよい帰りは後悔。


 私は一人暮らしを始め半年ほどですっかり初心を忘れ,コンビニの弁当やカップ麺に魂を売った。虚しく刃を鈍らせていく包丁や蜘蛛の棲み処と化した鍋から目を背けた。

 

 しかし部屋の片隅に腐り果てた玉葱を発見した時,私の目は覚めた。


 かつて玉葱だった物体が放つ化学物質が鼻を通って私の脳を殴りつけた。生活を改めねばならぬ,新たな誓いが心に刻まれた。


 自炊を再開した私であったが,やはり億劫であることに変わりはなかった。毎日自炊するのは困難だ。そこで私は,簡単で,一度に多く作れ,日持ちのする料理を探し求めた。そして湯船につかりながら考えていたところひとつの解へと至った。


 ユリイカ。


 その料理とはカレーである。


 材料を切って煮込む。これほど簡単なことはない。


 また一度に大量に生産でき日持ちもする。


 そしてこれは極めて個人的な利点であるが,飽きないというのも大きい。


 幸運なことに私は一日三食カレーという日が一週間続くことに微塵の苦痛も覚えない人間であった。


 カレーと言えば多くの人はインドを思い浮かべる。しかしインドでは「カレー」とは煮込み料理を指し,「カレー」という特定の料理が存在するわけではない。


 日本人が一般に思う「カレー」とは明治時代にイギリスから伝わった curry を日本風にアレンジしたものだ。


 カレーの歴史は深淵かつ広大であり,ここでその全てを語るには,筆者の力量も,割り当てられた紙幅も不足であるので割愛する。


 時間・空間を越えて人類に愛されてきたカレー。それを自炊の軸に据えるという結論に至ったことは歴史を学ぶ者としてある種必然だったのかもしれない。


 私はここ数年の自炊生活で市販のルウを用いたカレーに加え,バターチキンカレー,キーマカレー等のルウを用いないカレーも修得してきた。時には友人に毒味をさせてクオリティの向上にも努めた。


 これまでの学生生活の傍らには常にカレーがあり,これからも共に歩み続けるだろう。最早我が身の大半はカレーで成っているといって過言ではない。


 「学生よ,カレーを作れ」とは私の至言である。


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