第15話

 深夜、藤吾は眠れずに一人縁側で座っていた。

 藤吾は不思議な気分だった。一度は捨てようとした命は繋がれて、想いを共にする大切な人と出会った。この幸せを手にした今だからこそ気になった。老田の父親は一人で息子の帰りを待つ間、どんな想いで待っていたのだろうか、寂しくて心折れることはなかったのか、この家に留まることが耐えられなくならなかったのか、そんなことを考えていた。

「よう、藤吾」

 声をかけられて藤吾は驚いた。振り返ると老田が居た。

「老田さんも眠れないんですか?」

「そんなとこだ、隣いいか?」

 藤吾は勿論と言って少し横にずれる。老田は空いた隣に座った。

「老田さん、体の方は大丈夫なんですか?」

「ああ、藤吾にも迷惑かけて悪かったな」

「そんな、迷惑なんかじゃありません。それにまだ問題は解決してないし」

 老田はばつが悪そうに頭を掻く。

「その事なんだがな、もう積極的な治療は受けないことにしたんだ」

 藤吾は驚いて老田に向き直る。

「駄目ですよ!そんな、琥珀さんだっているのに。治るんじゃないんですか?」

 老田は口に指を当ててしーっと藤吾を宥める。

「別に俺は諦めからそう決めた訳じゃない、完治する可能性だってあるだろうさ。だけどな、癌が再発して思ったんだ、受け入れる選択もありなんじゃないかってな」

 そう語る老田の顔は実に穏やかであった。藤吾はその顔を見たら、どう意見すればいいか分からなくなってしまった。

「藤吾、お前この家をもらってくれないか?」

「え?どういうことですか」

 老田の突然の申し出に藤吾は驚いた。

「お前に必要なのはきっと帰ってこれる場所なんだと俺は思う。藤吾は自分の事を誰も知らない土地に流れ着いても、周りをすぐに受け入れたし、受け入れられた。お前にはどこに行っても生きていける力があるんだ。俺はそれが心配なんだ」

「何でですか?」

「お前ここから去ろうと思っていただろ」

 藤吾はどきりとした。琥珀と通じ合った今はその考えは消えたが、老田の言った通り藤吾はいつかこの家から去る事を考えていた。

「その顔は思った通りみたいだな、理由を聞いてもいいか?」

 藤吾は少しだけ間をおいて、息を深く吐いてから話し始めた。

「僕は、老田さんと琥珀さんの家族にはなれないと思っていました。場に馴染めても、混ざれない。僕が居る事に自信が持てないんです。そんな僕にでも皆は優しい、それを受け取っていいのか不安で仕方がないんです」

「それがどうして消え去ることにつながるんだ?」

「大切になってしまったら僕が耐えられないからです。その結果相手を傷つけたとしてもです。非道なことは自覚しています。でも駄目なんですきっと耐えられない」

 藤吾は拳をギュッと握りしめて体を強張らせる。この気持ちは話すつもりはなかった。老田だから伝えることのできた心の奥底であった。老田は藤吾の背中を優しく叩いて言った。

「藤吾、家族ってのは何なんだと思う?」

「え?」

「血が繋がってる事か?親類である事か?一緒に住んでる事か?俺はどれも違うと思う、家族ってのは一緒に生きたいと願う心の繋がりなんじゃないかな」

 老田が空を指さして、藤吾達は一緒に同じ空を見上げた。

「お前はもう、自分をすり減らして生きなくていい。過去や経験を忌々しく閉じ込めるな、全部飲み込んで、共に生きたい人と生きるんだ」

「僕は老田さんとも一緒に生きたい」

「もちろんだ、一緒に生きよう。俺と最期まで生きてくれるか?」

 藤吾は涙を堪えて力一杯頷く。

「お前に家をもらって欲しいのは、俺が生きてきた道の先をお前に続いて欲しいからだ。これからもお前の人生は続く、疲弊して弱る事もある。そんな時に帰る場所があるだけで、味方が居ると思えるだけで、強く生きられる事もある。俺はお前の心の故郷になってやりたいんだ」

 老田は堪えきれず涙を流す藤吾の肩をしっかりと抱いた。藤吾は老田から伝わる温かさが優しくて力強くて、確かな絆を心で感じ取る事が出来た。

「老田さん、いえもう一人の父さん。貴方の優しさ、確かに受け取りました」

 老田は優しく微笑んで藤吾の頭を撫でた。

「もう遅いから寝ろ。腹冷やすなよ」

 老田に促されて藤吾は自室に戻った。

「次はそこで盗み聞ぎしてる琥珀の番だな、こっちに来な」

「やっぱりばれてたか、さすがおいちゃん」

 盗み聞きをしていた琥珀がばつが悪そうに現れる。そして藤吾が退いて空いた老田の隣に座った。


 琥珀も老田も暫くは取りとめもない普段通りの会話をした。いつものように何も変わらず、琥珀は笑顔で老田に明るく話しかけ、老田は言葉少なでも楽しそうに相槌を打っていた。二人はいつだってそう生きてきて、些細なことで喧嘩したり、何でもない事で笑い転げたりもした。そんな掛け替えのない時間が二人の家族としての確かな絆であった。

「琥珀は藤吾に想いを伝えられたのか?」

「あれ?おいちゃん私の気持ちに気付いてたの?」

「当たり前だろ、ずっと一緒にいるんだから。大体分かるさ」

 そう言った老田が恥ずかしそうに顔を赤くするので、琥珀はそれが可笑しくて笑った。

「藤吾さんにはちゃんと伝えられたよ、ちゃんと答えてもくれた」

「そうか」

「どうなったかは聞かないの?」

「それも分かってるからな」

 琥珀と老田は顔を見合わせて笑った。

「琥珀、あの朝の事は悪かった。進路はもう琥珀の好きにしていい」

「私もごめん。おいちゃんは真剣に考えてくれてたのに、ムキになっちゃって。それにね、私本当は進路について自分の気持ちが何も分かってないの、将来どうしたいかなんて考え付かない」

 琥珀は膝を抱えた。

「私不安なの、自分がどこに向かえばいいのか分からない、勉強とか運動とか成績がいくら良くても、それは私のできる事でやりたい事じゃない」

「だけど、やりたい事も思いつかない。そうだろ?」

 琥珀は頷いて肯定する。

「お前は器量が良い、人当たりも良いし、その天真爛漫な性格に人は惹かれるだろう。でもお前自身はどこか一歩引いた目で見てしまうんだろ?」

「そうなのかな、そうかも知れないけど、やっぱり分かんない」

 老田は琥珀の頭を撫でた。

「琥珀、お前は藤吾と一緒に生きろ。迷ったり悩んだり、そんな気持ちを藤吾に話せ、藤吾ならお前の話を誰より真剣に聞いてくれる。未来をどうすればいいのか正しい答えはない、だけど一緒に生きたい人が居ればいつか分かる時がくるかもしれない」

「おいちゃんは一緒に居てくれないの?」

 膝に顔を埋めて琥珀が言う。

「居るさ、だけどいつまでも一緒にはいられない」

「嫌だ」

「そうだな、俺も嫌だよ」

「置いてかないでよ」

「ごめんな、それはできないんだ」

「死なないでお父さん」

 琥珀は老田に抱き着いて、涙でぐしゃぐしゃの顔を押し付けた。

「ありがとう琥珀、俺を父さんと呼んでくれて。お前は俺の自慢の娘だ、きっと立派に生きていける」

 老田も琥珀を強く抱きしめた。二人の泣き声は夜空に溶けていく、父と娘は互いの愛情を確かめ合って、家族として生きた日々に思いを馳せるのであった。

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