第13話

 老田からの申し出に二人は大層驚いた。

「おいちゃんそれって」

「一度だけお前たち夜の話を聞いてたことがある。すまなかったな」

「そ、それはも、問題ないですけど」

 藤吾も琥珀も、もっと違う話、治療に関することや病状についての話がされると思っていた。それが思い出話だと言われて、心持ちをどうすればいいのか迷った。

「まあ、聞いてくれ。二人に俺が話したいんだ。話があまり上手じゃないから退屈かも知れんがな」

 そう言われて藤吾と琥珀は顔を見合わせた。そして二人とも頷いて言った。

「聞きたい」

「き、聞きたいです」

 それを聞いて老田も頷いた。

「俺はな若い頃ずっとこの場所が嫌いだった。親父やお袋ともしょっちゅう喧嘩してたし、乱暴者で近所からも鼻つまみものだったよ」

 始まりから意外な言葉が出たと藤吾は思った。老田は愛想こそよくないが近所付合いに悪いところはない、むしろ円滑である。今の姿からは想像がつかなかった。

「ここは僻地で、昔は今なんかと比べ物にならない程不便だった。何もないつまらない死んだ場所だと思っていたよ。勝雄と一緒になって暴れまわってた。不良のたまり場に乗り込んでいっては殴り合いの日々だった」

「かっちゃんもそんな感じだったんだ」

「ああ、俺たちは有り余る体力と情熱を、どこに向ければいいか分からなかったんだ」

 老田は少し遠くを見つめて懐かしそうに微笑む。

「だけどそんな馬鹿な行動はすぐに破綻する。ある時喧嘩が熱くなりすぎて勝雄が

 大怪我を負った。そして俺も相手に大怪我を負わせてしまった」

「そ、それは」

 藤吾は言い淀む、その先が想像できたからだ。

「そうだな、子供の喧嘩じゃ済まなかった。色んな人を巻き込んで、すべてに迷惑をかけた。俺も親父にぶん殴られたよ、今思えば愛の鉄拳だったんだろうな。お袋はさめざめと泣いていた」

 老田は寂しそうに眼を細めた。

「俺はそれに猛反発したよ。親父もお袋も何も分かっちゃいない、俺はもっとすごい人間なんだ。こんなド田舎で腐っていられない、出て行ってやるってな。そのままバックに詰めれるだけの持ち物だけ担いで都会に飛び出したんだ」

 老田から語られる過去は、現在から想像もつかないものばかりだった。藤吾は口を開けたまま、琥珀は大きな目をぱちぱちとさせて聞いていた。

「都会に出て俺はすぐに後悔したよ。広い広い世界に何の考えもなしに飛び込んで、俺は何も出来なかった。いや何もすることがなかった。身元不詳の奴に家は見つからない、田舎から出てきた世間知らずに仕事はない、喧嘩を売ってみようかと思ったけど、誰も俺の事なんか見てもいなかった」

 老田には悪いと思ったが、藤吾はそうだろうなと思っていた。目的もなく社会に飛び出すのは茨の道だ。過酷でもあるしモチベーションも続かない、周りも手を差し伸べられる余裕がある人は稀有だ。

「俺はそこで取り返しのつかない事をしてしまうんだ」

 藤吾と琥珀は生唾を飲み込んだ。老田の雰囲気が徐々に不穏な空気を纏い始めた。


 故郷を飛び出して都会にでた老田は、早々に生活に行き詰った。持ち合わせも減り続けて途方に暮れていた。ふらふらと街を歩いても、みすぼらしい恰好を通行人に見咎められ、人目を避けるために自然と路地裏や人通りの少ない場所が行動範囲となった。そんな場所で出会ったのが西岡という男だった。

 西岡は街の不良を集めて喧嘩をさせ、その勝敗で金銭のやり取りをさせる元締めをやっていた。老田は西岡から声をかけられてそれに参加することになった。体が大きくて度胸もあった老田は不良相手の喧嘩では負け知らずだった。そんな老田の事を気に入った西岡は、老田に住む場所を用意したり、小間使いとして傍に置く代わりに生活の面倒を見た。

 西岡は暴力団の構成員だった。金稼ぎのために法に触れることをしていた。老田が気に入られたのは、腕っぷしが強いのと、いっぱしの恰好をさせておけば、見た目の迫力も相まって、相手が委縮するので、傍につけておくだけで箔がついたからだった。

 老田は利用されているとは知らずに、西岡に懐き尊敬していた。生きるための場所をくれて、仕事まで用意してくれる。困っていた時に手を差し伸べてくれた恩は老田の心を掴んだ。西岡は老田のような世間知らずや、不良やはぐれ者を手駒にしていただけだったが、若い老田にそんな事は分からなかった。

 ある時、西岡に呼び出された老田は、一つの仕事を頼まれた。西岡はでかい仕事になると息巻いていて、老田もすごいことが起きるのではと期待を膨らませていた。老田は妙に重たい紙袋を渡されて、西岡に教えられた場所へ行く、そこで人を待つように言われていた。

 指定された時間近くになって、遠くからガラの悪い男が老田に向かって歩いてくる。仕事の内容は聞かせれていなかったが、きっとあの男に紙袋を渡すのだろうと老田が近づこうとすると、どこからか西岡が現れてその男を拳銃で撃ち殺した。

 何が起こったか分からず混乱する老田を置き去り、西岡は去っていく、とにかく撃たれた人をどうにかしなければと、その人の元へと駆け寄った。何発も体に銃弾を受けて血まみれの男の前で呆然とする老田、触ってみると体中の力がすべて抜け落ちているのが分かった。その男は死んでいた。しかも殺したのは尊敬していた西岡だという現実が老田に重く圧し掛かった。

 そして事態はさらに悪くなる。銃声が響いた事に通報があり、現場には警察が駆けつけた。その場に居た老田は当然取り押さえられた。荷物検査で開けられた紙袋からは拳銃が見つかった。老田は西岡の替え玉に利用されたのだ。


 ここまでの話を聞いて、藤吾と琥珀の二人は絶句していた。老田にそれほどの壮絶な過去があったと、藤吾は勿論琥珀も知らなかった。

「一息入れるか?」

 そんな二人の様子を見て、老田が言う。琥珀は頷いて台所にお茶のお代わりを用意しに行く、藤吾は窓を開けて外の空気を吸い、遠くの景色を眺める。老田の過去は藤吾には想像もつかないようなものだった。

「あ、あの一つ気になっていて、き、聞いていいですか?」

「何だ?」

「かっちゃんはどうなったんですか?お、大怪我したって言ってましたけど」

「勝雄は怪我を治療して、すっかり落ち着いた。勝雄の親父さんから仕事を教えてもらって田畑に出たら天職だって手紙で寄こしたよ」

 藤吾はほっと胸を撫でおろした。今無事なのだから、当時もなんとかなったのは分かっていても、こうして言葉で聞くと安心感が違う。

 琥珀がお茶とお茶菓子を用意して戻ってきた。老田はまた話を始めた。


 状況証拠から当然老田は疑われた。しかしやっていないと言う証言に、逃げる西岡の姿を見ていた目撃者もいて、証拠として使えそうなものにも老田の痕跡が見受けられないことから、疑いが晴れるのにそこまで時間がかからなかった。決め手になったのは西岡があっさりと捕まった事で、老田は殺人犯の謗りを受ける事はなかった。

 事件を担当していた刑事がこっそりと教えてくれて知った。西岡は老田を使う事で上納金が良く集まるようになり、調子に乗ってその金に手を付けた。当然のように首が回らなくなって、上から見逃してもらう条件に敵対組織の要人殺害を命令された。自分が捕まりたくない西岡は、自分によく懐き、考えなしに簡単に動かせる老田を身代わりにすることを思いついた。西岡は老田の事を「べたべたと鬱陶しく、上納金集めが老田のお陰で上手くいくのが気に入らなかった。代わりに刑務所送りにするには丁度いい」と言っていたと教えられた。

 さらに追い打ちをかけるような事実が老田を襲う、あれだけ尊敬していた西岡も組織の中では末端で、いつでも切り捨てていい程の価値しかない男だった。そして老田が巻き込まれた殺人の被害者も、暴力団員の中でも末端で、要人でも何でもなかった。

 こんな下らない事に巻き込まれて人生を棒に振るのかと、刑事は老田を睨みつけた。老田はすっかり気が抜けて、今まで自分がしてきた事すべてが無に帰すのを感じていた。荷物を纏めて田舎に帰れと刑事は言った。こんな下っ端の下っ端を捕まえた所で時間の無駄だと吐き捨て、やり直したいなら自分の頭で考えろと怒鳴りつけた。

 老田はそこで自分がいかに愚かであったかを思い知った。自分が慕っていた人は罪を擦り付けるために平気で人を売り裏切る人間だった。体よく利用されて捨てられた。この刑事はそんな老田を真剣に叱りつけてくれている。老田は実家に帰る決意をした。父も母も自分の事を思って叱ってくれた人たちだった。そんな人達こそ大切にしなければならない宝物だと気付いたのだ。

 その時叱ってくれた刑事は、それから方々に手を尽くして老田が帰る手助けをしてくれた。若くて無知な老田が悪道に堕ちるのは忍びないと言って、無理を押してまで面倒を見てくれた。

 別れ際に刑事は連絡先が書いてある名刺を老田に渡した。無事家に帰れたら連絡をしろと老田の背を叩いて送り出し、老田は苦く辛い思い出をその街に残して去った。


「俺はそうして家に帰ることができたんだ」

 三人は暫く黙っていた。お互い掛け合う言葉が見つからなかったし、心の内にある複雑な感情を上手く表現できなかったからだ。

「もう少しだけ続きがある。聞いてくれるか?」

 老田の言葉に二人は頷く、そして老田は自分の思い出の終着点へ、話をまた始めるのだった。

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