17.再会

 本当は怖かった。

 あの子は魔物だった。

 街を襲った魔物だった。


 だから、既に打ち倒され、亡骸も解体されて、そこで戦いがあった痕跡しか残っていないんじゃないかって、心の何処かで覚悟してた。


「ぎゃうっ」

「……ネコ様ぁああ!」

「がうっ!?」


 元気いっぱいに尻尾を揺らす姿を目にして、思わず飛びついた。周囲で怖々と俺たちを窺っている人たちなんて目に入らなかった。


「なんで、なんで、なんで!? ランディ、切なそうだったよね!? あれ、せめて墓参りでも……っていうノリだったんじゃないの!? 騙したのか!?」

「人聞き悪いなぁ」

 ほけほけ笑ってんじゃないよ! 人を無駄に怖がらせるな!


 両腕を目一杯伸ばしても、ネコ様の首に回りきらない。それでもギュッと抱きついた。襲われるかも、なんて恐れは全く感じなかった。

 俺を見た瞬間から揺れる尻尾。嬉しそうでありながら、不安も抱えていた瞳。

 ちょっと姿が変わったくらいで、俺が態度を変えるなんてありえないのに。意思に沿わない狂暴性を目にしたところで、ネコ様自身に怯えるなんてありえないのに。


「ふぉおおっ、もっふもふしてる……。もっふもふ、ふっわふわだぜぇ……」

 ネコ様を撫で回す。シャンプーなんてされてないはずなのに、至福の触り心地だった。獣っぽい香りも善き。


「ぎゃう……」

「そろそろ離してやれよ。困った顔してるぞ」

「困り顔もチャーミングだよ!」

「グルッ」

 離さないでいたら、喉を鳴らして身動ぎされた。その声も可愛いよぉ。喉撫でてやろうか。ここか、ここなのか。


「グルルッ……」

「撫でテクすげぇな」

 抵抗しつつも心地良さそうなネコ様と呆れた声のランディ。


「そろそろ周りにも目を向けような」

 諭す声に渋々冷静に立ち返れば、土壁の上から怖々と様子を窺ってくる人々の姿が目に入る。

 土壁は本来街を囲う壁があった位置にできていて、短時間でできたとは思えないほどの高さと厚みがあった。ここに来る途中、その技術に感心したものだ。


「……一体、何があった?」

「お前がグランノアタイガーに恐れもせず抱きついたから、みんな驚いてんだよ」

「ふむ」

「まあ、その魔物が、人への害意を持っていないっていうのは、みんな知ってはいるけどな。だからと言って、無闇に近づけるもんでもない。戦ったのはまだ数日前なんだから、その恐れは簡単には拭い去れないからな」

 ランディの言うことは理解できる。知っているのと納得しているのとでは違うということだろう。


「そもそも、こんな短期間でこの子が理解されているだけでも不思議なんだが」

 ネコ様が街を襲った事実は、そこにどんな理由があろうと、覆るものではない。それなのに、ただ遠巻きにするだけの人々の姿に疑問が浮かぶ。


「だって、そいつがこの壁造ったんだぞ。そりゃ、多少は警戒感も弱まるさ」

「……は?」

 ランディが指差したのは、俺が感心していた土壁だった。高さは三メートルを超えるだろうか。元々あった壁より多少低いが、この辺にいる魔物への対策には十分な大きさである。それが、崩壊した壁があった位置に延々と続いているのだ。

 これを、ネコ様が造った? ちょっと意味が分からないんだけど。


 ネコ様を無言で見つめると、きょとりと真ん丸な目を瞬かせ、首を傾げてきた。可愛すぎか。

 というか、そろそろネコ様呼びはやめた方がいいのだろうか? 今の見た目は大きな虎だしな。


「最初から説明するか。とりあえず、お前が銃でこいつを撃って、ぶっ倒れた後な」

「はーい」

「穢れが綺麗に祓われたこいつは、すぐに戦闘をやめて止まった」

「やったぜ!」

「……俺もこいつに理性が戻ったのを感じたから距離をとった。正直、災害級の魔物とはできるなら戦いたくなかったし、俺一人しか動ける奴いなかったし」

「へぇ~」

「……そしたらこいつは倒れている人間と壁を見渡してから街の方に近づいたんだ。俺はもちろん警戒したし、いつでも攻撃できるように構えていた」

「ほうほう」

「……こいつが地面を強く踏み締めたと思ったら、壁がはえてきた」

「ふぉっ!? ネコ様、土の妖精だったのか!」

「俺の話、ちゃんと聞いてるか……?」

 聞いてますよ? ちょっとネコ様の魅惑の毛に埋もれて至福を味わっていただけですよ? ネコ様の活躍は一言も聞き逃さないよ!

 まるでアニメみたいな光景、俺も見たかったなぁ。今見せてくれる気はない?


 じっとネコ様を見つめたら、呆れたように顔を背けられた。

 やる気はないんですね。その気儘な感じも好きです。


「はあ……。俺が驚いている間に、こいつは倒れている人に近づいて俺を見つめてきた。乗せろって言っているみたいだったから、周りの怪我人集めて乗せた。すると、こいつが街の中まで運んでくれたってわけだ」

「人助けするとは、ネコ様やるにゃん!」

「……その後はここに居座って、魔物の襲撃を警戒してくれてた。こいつの方が脅威だから、むしろ立ち去ってくれた方が街の奴ら的にはありがたかったんだろうが」

「ぎゃうっ!?」

「ネコ様に酷いこと言うな!」

 ネコ様が項垂れてしまったじゃないか。

 ランディを睨むと、さすがに気まずそうに頬を掻いていた。


「ま、元は余程のことがなければ人を襲わない魔物だとマトリックスさん達が説明してたからな。それで受け入れられたんだろうさ。穢れもすっかりなくなってたし」

「浄化できて良かったよぉ」

「がうっ」

 ネコ様からもすり寄られた。どうやら感謝してくれているらしい。

 話に一段落がついたところで、そろそろ目を逸らしていられない問題に目を向けねばなるまい。


「事情は理解できた。だから、そろそろ重要な問題について話し合いたいと思う」

「重要な問題?」

 ランディが不思議そうに首を傾げる。

 察しが悪い奴である。今話し合わなければならないのはただ一つだろう。


「ネコ様に相応しい呼び名はなんだろな? みんなで討論会の時間だよ~!」

「絶対今すべきことじゃねぇ!」

「痛ッ」

 ランディに叩かれた。酷い。病み上がりだぞ。


「ぎゃう……」

 ネコ様も慰めてくれない。呆れたようにため息をつく仕草が人間臭くて、それも善き。



 ***



「にゃふにゃふ」

「ふぉおっ、首もとが幸せで溢れてる」

「街中でだらしない顔するなよ……」

 ランディが頭を押さえている。頭痛かな? 俺、良い頭痛薬持ってるよ?

 懐から出した薬は、ため息とともに断られた。


 俺は、グランノアタイガーの姿から一瞬で猫の姿になったネコ様を肩に乗せている。分かってはいたけど、質量保存の法則はどこいった? って聞きたくなる。異世界は科学が通用しない世界だったのだ……。一応魔法もあるみたいだし、浄化の力だって非科学的だけどね。

 ちなみに、グランノアタイガーの姿の時はトラ様、猫の姿の時は今まで通りネコ様と呼ぶことになった。ネコ様の見た目は黒灰縞柄で金目のアメリカンショートヘアっぽい感じだ。

 ランディが俺のつけた名前に対し、「様付け強制かよ……」って愚痴っていたのは黙殺した。意見を出さなかったのだから、文句を言う資格はない!


「っ、ここの喫茶店、無事だったのか!」

 見覚えのある喫茶店。その店構えを目にして嬉しくなった。頑丈そうな石造りだったから大丈夫だろうと思っていたのだが、実際に目にすると嬉しさもひとしおである。

 ちゃんと営業中の札が掛かっているのを見て、自然と顔が綻んだ。


「おー、ここでケーキ食うか?」

 ランディもケーキを食べる約束は忘れていなかったらしい。その提案に頷こうとしたが、不意にミリアを思い出して固まった。

 前回は、ミリアを連れてこの店を訪れたのだ。ミリアは無事だろうか。


「あ、お姉さまだー! 元気になったんだね」

 これが噂をすれば影ってヤツか?

 元気に駆けてくるミリアにブンブンと手を振った。


「ミリアじゃーん! ケーキ食う?」

「おごってくれるなら食べるー! お母さんも一緒でいい?」

「おふこーす!」

「なに? いいってこと? 連れてくるね~」

 近づいてきたと思ったら通りすぎていった。あれ? もしかして幻だった?


「あっちに避難者用の宿泊施設があるんだよ」

「……そっか」

 ミリアは家に帰れなかったのか。


「スッゲェボロ家だったもんな! あれで家が無事だったら、謎の耐震構造にビックリだわ!」

「同感。逃げられただけ幸運だったな」

 まさか、失礼だと咎められることなく同意されるとは思わなかったでござる。

 微妙な気持ちでミリアが走り去った方を見つめた。

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