15.傲慢はどっち?
真っ白い空間。上下も分からず、俺はただ漂うだけ。クラゲのようにゆらゆらと。
「派手にやったなぁ、嬢ちゃん」
豊かな白い髭のサンタクロースみたいな老人に顔を覗き込まれていた。服は赤くないけど。
「……やべぇ、なんで爺さんがいるの」
俺はこの爺さんに見覚えがあった。日本で死んで、転生する前に出会ったのだ。たぶん神様とか、そういう存在。
「儂の空間に嬢ちゃんが落ちてきたんじゃぞ。意識だけで飛び込んでくるとは、まこと予想外な人間じゃ」
「マジか。まさかの幽体離脱?」
うぇーい、初体験! 言われてみれば、体の感覚がない。現実世界での俺って今どうなってんの?
「意識不明。昏睡状態ってヤツじゃな」
「心を読むな!」
「嬢ちゃんはいつもうるさいのぉ。あっちへこっちへ騒ぎ回って、元気じゃのぉ」
育てている観葉植物に話しかけてるみたいな雰囲気やめろ。爺さんの見た目で言うと観葉植物より盆栽かな。とにかく、あまりにちっぽけな存在になった気がしちゃうから、愛でるのやめろ。
「元気だったらこんなとこ来てないわい!」
「そうじゃの。良くない傾向じゃ。ここは本来、人間が来るところではないからの」
爺さんが指を振ると、畳と
その光景のあまりの懐かしさに、気づけば目が熱くなっていた。零れそうになるものを必死に堪える。
俺は、転生を決めたときに、もう泣かないと心に誓った。前世を忘れることはない。だが、既に今の自分からは切り離された一つの記憶でしかないことも、よく分かっていた。
「まあ、来てしまったものは仕方がない。座りなさい」
「……ねぇ、体の感覚がないんだけど?」
た、食べたい。懐かしい煎餅食べたい。なのに体が動かないの、なんで!?
「ふむ。魂が疲れているんじゃな。生命力を浄化の力に転用した
そう言って、一人バリボリと煎餅を食い、美味そうに緑茶で一服する爺さん。マジ堕ちればいいのに。呪ってやろうか!? 呪いの藁人形作るの、俺得意だぞ?
「あの状況では、そうするしかなかったじゃないっ!」
「他にも道はあったじゃろう?」
「はあ!? どんな道があったって!?」
「全てを捨てて逃げれば良かったんじゃ。嬢ちゃんは自分なら状況を打開できると傲慢にも思い込んだ。その結果、力足らずで自分の身を損なった。当然の顛末じゃろう」
「……あの場で、命を懸けて、戦っていた、みんなを見捨てて、逃げるのが、最善だったって、そう言っているの?」
ふつふつと込み上げてくるこの思いはなんだろう。体の感覚はないはずなのに、手が握りこぶしを作って、震えている気がした。
「儂からすれば、あの場で誰が命を落とそうと、誰が生き残ろうと、ほんの些細な違いじゃ」
「……ああ、そうでしょうね。あんた、あの世界で生きてないもんね。思い入れなんかないもんね」
声が震えないのが不思議なくらい、感情が煮えたぎっていた。コイツはやっぱり嫌いだ。身勝手で理不尽。人間風情では理解できない存在だ。
「なにやら怒っておるのぉ」
ズズッと緑茶を
「これでも、儂は嬢ちゃんのことは気に入っておるのじゃぞ? 愛しのウリちゃんを助けてくれた恩もあるしの」
ウリちゃんと言うときだけ、陶酔した顔するな! シンプルに気持ち悪いからな!?
「この……猪フェチジジイッ!」
「何を言うか。ウリちゃん可愛いじゃろう? 年を重ねる毎に貫禄も増して、愛らしい。人間ごときの罠に捕まったと知ったときは、どう呪ってやろうかと思うたが、嬢ちゃんのおかげでたくさんの子らと棲みかに帰れたしの」
「簡単に人間を呪おうとするなよ!」
「神の愛し子に手を出す方が悪いのじゃ」
シレッとした顔で宣う爺さんの猪
「さて、そろそろ時間かの?」
「何の時間?」
「嬢ちゃんが帰る時間じゃ」
その言葉と同時に、どこかへ引っ張られる感覚がした。爺さんが少しずつ遠くなっていく。これは目覚めの時間だと考えていいのか。
「転生時ボーナスで、非殺傷の銃を使える世界に送ったが、少しばかり優しさが足りなかったようじゃ。ウリちゃんに怒られてしもうた」
爺さんが何か言っている。だが、上手く聞き取れない。
「だから、浄化の力を増加してやったぞ。好きなだけ銃を撃つがいい。今後、生命力を使う必要はなくなるじゃろう」
温かい何かで包まれる感覚がした。
「もう来るんじゃないぞ。……儂は本当に嬢ちゃんを気に入っておるんじゃよ」
その言葉だけが、なぜか頭に直接語り掛けられるように伝わってきた。
***
「なにが、気に入っているだ、ボケジジイッ! どうせ、気に入りの順番で、ウリちゃんと俺の間には、何百匹ものうり坊がいるんだろっ!」
拳を突き上げた。
「うおっ!」
そうしたら仰け反ったランディに睨まれた。なんでだ。
ソロソロと腕をおろして、掛けられていた毛布を口元まで引き上げる。
視線をまっすぐ上に向けると天井があった。どうやら俺は仰向けで寝ていたらしい。寝相悪いのに珍しいな。
「……知らない天井だ」
「お前の部屋ですけど? お決まりの文言とか要らないから」
ランディがため息をついて椅子に腰かけた。それを横目で見て、ベッドの上で身を起こす。よし、ふらつきもないし、視界良好。
「ルイちゃん、完全復活ー!」
「うるせぇ、まだ寝てろ」
万歳をしたら、ベッドに倒されました。なぜ? 俺、もう元気一杯なんですけど?
「今夜中の二時」
「察した。騒がしくしちゃいけないね。幽霊さんびっくりしちゃうね」
「何を察したんだ?」
ため息つくなよ。幸せ逃げるぞ。
素直に横になりながら、ランディをじっと見つめる。居心地悪そうにしだしても見つめ続ける。
「……やっべ、目が乾いちゃった」
「馬鹿なの? 瞬きしろよ。ホラーかと思った」
「俺はベッドの下から覗いてないぞ?」
「幽霊がベッドの下から覗いているっていう固定概念はどこから生じたんだ」
「まさか、あのホラー映画を見ていないのか!?」
「どれだよ」
あれだよ、あれあれ。熟年夫婦並みに察してくれよ。日本のホラー映画多すぎるけど、絶対あれは見てるはず!
枕元のほのかな明かりに照らされるランディは、目立った怪我もなく元気そうだった。こいつ体力化け物だからな。そこに不思議はない。
「なんでランディここにいるの?」
「部屋の前通りがかったら、お前が
「つまり……不法侵入?
「時代錯誤やめろ。不名誉極まりねえ」
「いてっ」
額を叩かれた。酷い。訴えてやる。
「元気そうだから、もう寝る。明日から忙しいから、お前も寝ろ」
「今起きたばかりの人間に、寝ろって指令は難し過ぎると思うんだが」
「横になってりゃ自然と眠れるさ」
そう言われましても。
ランディが毛布をしっかりとかけ直してくれた。だが、正直ちょっと暑い。
目の上に掌が置かれた。
強制的に眠らせようとしてるな? だが、その温もりがなんだか心地よくて――逆らわずに目を閉じた。
「……おやすみ。明日はちゃんとおはようって言えよ」
小さな呟きが聞こえる。
「お前が騒がしくしてくれてないと、つまらないんだよ……」
……ランディは、もう俺の虜だな! いいだろう。明日からまた楽しい日々を提供してやろうじゃないか!
ランディが立ち上がって、部屋を出ていく音が聞こえる。隣の部屋の扉が開いて、閉まった。
一分、二分、三分……。
パチリと目を開けて天井を見上げる。辺りは静けさに包まれていた。
あの戦いがその後どうなったのか、聞くことができなかった。
どれだけの人が死んだのだろう。きっとたくさんの人が住居を失った。当たり前の日常を失った。広範囲の壁が崩壊していたから、この時間もきっと、寝ずの番をしている人たちがいるはずだ。復旧にどれだけの時間がかかるのだろうか。
「やっぱり、寝るのは難しいよ、ランディ……」
起き上がって、消されていた明かりをつける。足を床につけたら、ヒヤッとする空気が伝わってきた。今日はやけに冷える気がする。
「意趣返しするなら、今がチャンスかな」
荷物を静かに探って目当ての物を発掘した。ニヤリと笑って歩き出す。静かに、こっそり、バレないように。
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