【KAC20222】推しは人生を救う

いとうみこと

負うた子に教えられて浅瀬を渡る

「ただいまあ、って何この段ボール?」


 実家の玄関を開けた結愛ゆいなが目にしたのは山積みにされた段ボールだった。いずれの箱にもマジックで『ぼーいずびー』と書かれている。『ぼーいずびー』は妹の愛紗ありさが推すアイドルグループだ。


 そこへ二階からもうひとつ段ボールを抱えた愛紗が下りてきた。まだ春も浅いというのに素足に腕まくりの軽装で、今日の奮闘ぶりが窺える。


「なに、お姉ちゃん、また来たの?」


「またとは何よ。せっかくミスドの新作買ってきたのに要らないんだねえ」


「いるいる〜! これ物置に入れてくるから紅茶淹れといて」


「オッケー」


 結愛は勝手知ったる台所で湯を沸かし紅茶を淹れた。程なく顔を洗ってさっぱりした様子の愛紗がテーブルについた。


「うわあ、これ食べたかったヤツだ! 今日は片付け頑張っちゃってお昼食べてないのよ。持つべきものは小金持ちの姉だわ。ありがと、いただきますっ」


 愛紗は勢いよくドーナツにかぶりついた。デザートというよりランチの食べっぷりだ。時々むせて紅茶をすするを繰り返し、あっという間に三つも胃に収めてしまった。結愛はやっとひとつ食べ終えたところだというのに。


「あ〜、うんまいねえ。奢ってもらうと更に美味しいわ!」


 満足そうに指先をしゃぶる妹に目を細めながら、結愛はおかわりの紅茶を注いでやった。


「玄関にあったの推しグッズでしょ? あんなに大事にしてたのに片付けちゃうんだ?」


「うん。もう使うこともないし、あたしもそろそろ就活に本腰入れないとだしね」


 そう言いつつ、愛紗は少し寂しそうだ。


「なんで解散しちゃったのよ」


「まあ、色々あるけど名前負けかな。メンバーの半数が三十路になって、最近じゃ『ぼーいずびーおっさんズ』とか言われてたからしゃーないね」


「そっか。アイドルは難しいね」


「まあ、アイドルだけが人生じゃないし、仕切り直して頑張ってくれたらあたしも一緒に頑張れるからちょうどいいよ」


「我が妹ながら、なんと前向きな」


「まあね。それよりどしたの? 最近しょっちゅう帰ってくるし、いっつも浮かない顔してるよね。婚活頑張って理想の旦那様と結婚して、我が世の春じゃなかったの?」


 結愛はカップを置くとふうとため息をついた。愛紗の言うように奮闘努力の末婚活が実って年末に式を挙げたばかりだというのに、ここのところ少しも楽しくないどころか憂鬱ですらあるのだ。


「完璧な結婚のはずなのよ。彼は心が広くて優しくて、あちらのご両親も長男だけど同居しなくいいって言うし、希望通り専業主婦にもなれたし、何ひとつ不満はないはずなのよ」


「だよねえ。あんな素敵な旦那様掴まえて文句言ったらバチが当たると思うよ」


 早くも次のドーナツを品定めしながら愛紗が言った。


「そうなのよ、わかってるのよ。それなのに、あんなに辞めたかった仕事の続きが気になるのよ。こないだなんか、制服着てランチしてるOLを羨ましいと思った自分にビックリしたわ」


「わがままだなあ」


「ほんとよね。だけど、将来に希望が持てないっていうか、そのうち子ども生まれて、育児に髪振り乱して、なになにちゃんのママって呼ばれて、いいわね専業主婦はとかイヤミ言われたりして……なんかもう、夢も希望もないじゃない?」


「なんじゃそりゃ。そうなりたくて結婚したんでしょ」


「そうなのよ、ホントわかってるのよ」


 愛紗は囓りかけのポンデリングを皿に置き、グイと身を乗り出した。


「お姉ちゃん三十じゃん?」


「まだ二十九だけどね」


「そういうのはいいの! 三十としてね、人生百年時代なんだって。残り七十年あるじゃない? 子ども生まれて成人したって残り五十年だよ? その間ずっとそうやって愚痴ってるつもり? それとも独身に戻りたいとでも言うの?」


「まさか! こんな幸せな結婚、そうそう見つけられやしないもの」


「でしょ? だったらさ、今いる場所で幸せになる方法考えなきゃ」


「どうやって?」


 結愛も身を乗り出した。


「お姉ちゃんが余計なこと考えるのってさ、時間を持て余してるからじゃない?」


「まあ、そうかも」


「それってさ、逆に言えば自由に使える時間がたっぷりあるってことじゃん。そんなの学生時代以来でしょ。しかもその頃と違って稼ぎのいい旦那がせっせと貢いでくれるからバイトもしなくていい」


「確かに」


「となったら、なんだってやりたい放題じゃん」


「そんなこと言ったってさすがに遊び呆けるわけにはいかないわよ」


「そんなこと言ってないわよ。お姉ちゃん社会に未練があるんだったらさ、例えば料理得意だし調理師免許取るとかさ。そこまでじゃなくても何かの資格でもいいじゃん。前にファイナンシャルプランナー取ろうかなとか言ってなかった?」


「言ってた言ってた! テキストまで買ったのに仕事忙しくて断念した!」


「それとか、家に車あるのに使ってないでしょ。子ども生まれたら免許あった方が便利なんじゃないの? そうでなくても好きなとこ自分で行けるよ」


「確かに」


「てかさ、もっと単純に好きなもの見つけたらいいんじゃない? 趣味でも旅行でもアイドルでも、推しは人生を救うよ。あたしだって辛いとき苦しいとき悲しいとき、どれだけ推しに救われたかわかんないもん」


 結愛はしみじみと愛紗の顔を見つめた。


「なによ、どしたの、何かついてる?」


 愛紗は自分の口元を左手で撫で回した。


「ありがと、愛紗。まだまだ子どもだと思ってたのに、負うた子に教えられるってこういうことかしらね」


「大タコ? 何それ、タコが何を教えてくれるって?」


「タコ?」


 結愛がきょとんとする。


「お姉ちゃん、今タコって言ったよね?」


「タコ……タコって、愛紗、あんた、ひゃはは……」


 結愛は腹を抱えて笑い出した。愛紗は口を尖らせ不満顔だ。


「何よ、感じ悪いなあ」


「あひゃひゃ、ごめん、ごめん。……よし、わかった、今夜はタコのアヒージョにしよう! ブルスケッタでワイン開けよう! そして私の輝かしい未来に乾杯だ!」


「何それ、お姉ちゃんばっかずるい。私も明るい未来に乾杯したいから、そのブルなんとか作ってよ」


「そうだね、金曜だし、たまにはダンナも呼んでみんなでご飯食べようか」


「よっしゃ! 久しぶりにお姉ちゃんのご飯が食べられる!」


「そうと決まれば買い物行くよ! 荷物持ちする人!」


「はいっ、愛紗二等兵お供させていただきますっ!」


「よし! まずは冷蔵庫のチェックだあ」


「イエッサー!」


 愛紗と肩をぶつけ合いながら、結愛はまだ見ぬに心躍らせていた。

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