第13話 出演依頼

 ダブルデートを成功させた四人が家に帰って手にしたものは、テレビ局から届いた番組出演への依頼の手紙だった。

 祖母の沙和子から渡された手紙を読んだ美来は、その依頼が、高視聴率を維持しているバラエティー番組への出演依頼だということを知った。


 大物女優やタレントたちの前で料理を作って食べてもらうから、Des Cnaillesのメンバーにとっては、テレビ業界で活躍する大きなチャンスになると書いてある。美来への要望は、今度はメンバーと一緒にスイーツを作ってもらいたいとのことだった。

 一度テレビに出て、みんなから良い反応をもらっていたため、美来は前向きに考えた。

 レシピ通りのお菓子なら作ってもきっと大丈夫。それに、今度は理久たちと一緒に、忙しく料理する姿を映してもらうのも楽しそう。


 美来は番組への出演を積極的に考えられたことを、祖母も喜んでくれると疑わなかった。

 ところが、一読した沙和子は、前回のようには良い顔をしなかった。


「一度なら、良い思い出で済まされるけれど、二度声がかかると言うことは、意図があるのでしょうね。美来は将来何になりたいの?女優?それともタレント?」


「そんな大げさな物じゃないと思うよ。女優やタレントなんて考えてもいないし、私はできれば食べ物に関することをしたい。理久が将来お店を持つから、その時に手伝ってって言われたし……」


「理久君には、美来が味覚を感じないことを話したの?」


「……言ってない。言わなくちゃダメって分かっているけれど、なんか、最近周囲の態度が優しいっていうか、特別な存在になったみたいに感じて、元に戻りたくなくなっちゃったの。料理しているくせに、味が分かりませんなんて、みんなを騙していることが分かったら、今度はどんな風に見られるのかなって……」


「そう……怖くなっちゃったんだね? 前は他人が悪く言うと、噛みつきそうなほど尖がったし、それを過ぎたら笑顔で丸め込んじゃうのを覚えたから、美来は強い子だと思っていたけれど、見せかけの愛情でも欲しくなっちゃったんだ」


 沙和子なら味方をしてくれると思っていた美来は、棘のある返事に驚いた。


「そんな……私が笑顔でいたのは、おばあちゃんが悪く言われないためだったのに、酷いよ。少しぐらい良い思いをするときがあったっていいじゃない」


「良いって言ってあげたいよ。美来がどんなに耐えてきたか分かるから。でも、あなたが大事だから間違っていることを良いって言えない。理久君に伝えなさい。知ったからって離れたりしないでしょ?」


「でも、必要とされなくなるわ。お母さんだって弟さえいればよかった。理久だって、そのうちお料理が得意な女の子の方がよくなるかもしれない。私はそんな時も、笑って仕方ないって言うしかないの? 誰がこんな私を必要としてくれるっていうの? 見せかけの愛情だってないよりましだわ」


 沙和子がくしゃっと顔を歪めた途端、皺のきざまれた頬に涙が伝った。


「私の愛情は見せかけじゃないよ。美来を必要としてるでしょ? すぐに無くなるような偽の愛情に身を任せたら、傷つくのは美来なの」


 沙和子が声を震わせながら、切々と訴える言葉は美来の胸をうった。すぐに掌を返すような他人の沢山の称賛よりも、祖母が美来を思って叱ってくれる言葉の方がずっと重くて大事なのだと感じる。俯いてじっと考えている美来に言い聞かせるように沙和子が続けた。


「それと自分から裏切るのはやめなさい。大事な物を全て失くすから……まだあなたたちは若い。先の気持ちがどうなるかを心配するより、今の誠実さを大切にしなさい」


 美来の目からぽろぽろと涙がこぼれた。沙和子の言う通りだ。自分の気持ちばかりを大事にして、今の理久の真剣さを信じようとせず、騙したまま恋人ごっこを続けようとしたのだ。疚しさを隠すために言い訳ばかりをしたずるい自分が恥ずかしい。


「おばあちゃん。ごめん。……私、理久に本当のことを言ってくる」


「ああ。行っておいで。夕食はおばあちゃんが作っておくから、とことん話しておいで」


「ありがとう。おばあちゃん。失恋したら慰めてね。行ってきます」


 美来は理久の家まで走っていった。今は余計なことは考えないで、理久に本当のことを話すことだけを考えよう。味覚を感じないことを伝えても、理久がそれでも私を好きだと言ってくれるなら、今までの過去なんて全部帳消しになるくらい、幸せになれる気がする。


 Chez Naruseの明かりが、休耕田の水に神秘的に映っているのが見えてきた。

 まだ夕刻の5時半なのに、十一月の中旬は陽も落ちて暗いため、周囲に何もないレストランの明かりは、童話の国の建物のようなシェープを浮かび上がらせている。幻想的な景色を見ながら進むうちに、美来にはそこが夢を叶えてくれる場所のように思えた。


 レストランの敷地に入ると、この時間でも相変わらず駐車場は車で一杯だった。そこを横切り、美来は駐車場の北側にある理久の家に急いだ。

 インターフォンを押しても何の応答も無いので、理久のスマホに電話をすると、レストランにいるから、こっちにおいでと告げた。

 振り返ってみると、通用口があいて、中から漏れた光に照らされ、影になった理久が手を振っている。美来が再び駐車場を横切ろうとしたとき、見覚えのある外車が止まっていることに気が付いた。


「美来急にどうしたんだ? でも、ちょうどいいところに来たよ。桧山さんがすごい人を連れてきているんだ! 個室でアペリティフ食前酒を飲んで話しているんだけれど、もう、オーラが半端じゃないよ」


「……そうなんだ……あのね、理久にどうしても話したいことがあったの。今、少しだけいい?」


「うん、いいけれど、さっきスマホに出たのは桧山さんがいいって言ったからなんだ。美来がここに来てるって話したら、連れてきて欲しいって。挨拶してから美来の話を聞いてもいい?」


「だめ!」


 あまりにも美来がきっぱりと言い放ったので、理久が怪訝な顔をした。口を開きかけた理久よりも早く、背後から顔を出した佳奈が未来に話しかける。


「こんばんは。美来ちゃん。さぁ、中へ入って。桧山プロデューサーと女優の片桐葉月さんがいらしているの。美来ちゃんに会いたいんですって」


「こんばんは、あの、私……」


 理久だけならまだしも、佳奈が通用口を手で押さえたまま、どうぞと手招きをするので断り切れず、美来は不安を抱えたまま店内を横切り、奥のプライベートルームへと入っていった。


「やぁ、美来ちゃん、久しぶり。この前の番組は大好評だったよ。出演ありがとうね」


 入り口を背にして座っていた桧山が席を立ち、美来を自分の隣の席へと誘う。理久には向かいの葉月の横に座るように勧めた。


「葉月さん、この子が話していた美来ちゃんだよ。どう? 自分がデビューした頃を思い出すだろ?」


「あら、私はもっと色気があったわよ。今は肉気の方が多いけれど」


 ころころと笑う四十台の女優は、名前と顔を知らない者がいないのではないかと思うほど、映画やドラマで活躍をしている大物女優だ。肉気と言っても若いころの硬く引き締まった青さがなくなっただけで、艶やかな脂肪が胸や腰回りについた肉感的な姿態は、一段と女を上げ、相変わらずプロポーションもよく、十歳以上は若く見えた。


 美来が頭を下げて挨拶をすると、にっこりと笑ってくれるが、いかにもとってつけた様な笑みに、美来は居心地が悪くなって早く帰りたくなる。だが、桧山と話しながらも、時折ちらりとこちらを見るので、どうやら態度を観察されているのではないかと美来は思った。


「桧山さん、どうしてこのお店予約が取れたの? マネージャーに頼んだけれど、ずっと先まで予約がいっぱいだと言われたわよ。VIP扱い無し? って驚いちゃった」


「うちの局長が若いころパリに遊びに行った時に、成瀬さんと会って意気投合したみたいなんだ。それで、成瀬さんが日本に帰って店を持ったら、月に一回は食べに行くって約束したらしくって、ずっと予約済になっているのを時々使わせてもらっているんだ」


「ふぅーんそうなんだ。男同士の友情なのね。私も理久君を先物買いしちゃおうかな。今度一緒に出る番組で、私が理久君の料理を気に入ったら、将来お店を持つときにスポンサーになってあげる。その代わり、私のために席をいつも空けておくこと。どう?理久君」


「うわ~っ。ホントですか? 俺頑張ります。絶対に片桐さんを満足させるものを作りますから、スポンサーになってくださいね」


 美来は理久がもうテレビ出演を承諾したと知って驚いた。他のメンバーも出演を決めたのだろうかと思いながら理久を見ると、理久が期待を込めた表情で美来を見つめ返す。


「昼間言ったこと、本気だから。俺が店を持ったら、美来に手伝って欲しい。だから、美来も今度のバラエティー番組に出演してデザートを作って欲しいんだ」


「そんな……でも、理久、私の話を聞いてから返事をして欲しいの」


「あら、美来ちゃんは私にデザートを作るのが嫌なわけ? この間も特別扱いしてもらったみたいだけれど、また一人だけ何もしないで見ているつもりかな?」


 険のある言葉に、美来がピクリと身体を震わせて葉月の方を見ると、彼女は挑戦的な微笑みを浮かべている。桧山がまあまあと葉月をなだめながら、慌てて美来との間に入った。


「葉月さんは苦労して成功しているから、芸能界なめるなって気持ちは分かるけれど、前回も、今回もこの子たちの希望じゃなくて、僕が何とか推し進めようとしているんだ。その気になってから指導してやってもらえると有難いな」


「分かったわ。私は、甘ったれて、仕事をおろそかにするいい加減な子が嫌いなだけ。その代わり、理久君みたいに夢に向かって一生懸命な子には援助を惜しまないわ」


 理久がありがとうございますと葉月にお礼を言った後、美来にも手を合わせてお願いポーズをしながら頭を下げる。

 葉月に今回も特別扱いしてもらうのかと言われていなければ、今回は美来を除いて理久たちだけで撮って欲しいと桧山に言えるのだが、どうやら追い込まれてしまったらしい。

 美来が困っているのを察して、桧山があと一回だけでも出てくれないかと、理久に合わせて頭を下げた。


「もし、理久君がまたカッコよく調理してくれて、視聴率がアップしたら、僕も理久君の将来の夢にいくらか出資させてもらう。僕の場合は毎日じゃなくていいから、予約を入れたら優先的に席を確保してくれる条件でどうかな?」


「おいしいな~。それ! 美来、どうしてもだめか? もし、本当に嫌なら……」


「待って、理久。嫌とかじゃなくて、私がもし……どこかが悪くて料理できないって言ったら、どうする?」


 突然の思ってもみなかった言葉に、理久が目をぱちくりとして動きを止めた。


「何で急に? 美来はどこか悪いのか?」


「それは、その……」


 こんなところで話したくないと美来は思った。どうせ本当のことを話せば、桧山プロデューサーは掌を返したように、見向きもしなくなるだろう。理久の反応だけでも怖いのに、それ以上余計な心痛は受け止められそうにない。

 ところが、美来が言いよどんだことで、葉月が探るような眼を美来に向けてきた。


「怖くなっちゃったのかな? みんなの前でうまく作れる自信がない?」


 美来の中で何かがひっくり返った。

 美来が他人と接している時の通常の心は、不格好でも何とかならした半分にあたる。だが、もう反面は美来の叫びや痛みで育った鋭い棘が、びっしりと蔓延はびこった針山だった。

 目つきまで鋭くなった美来に、葉月も桧山も、理久さえも固唾かたずを飲んだ。


「おばさん。さっきからウザいよ。自分だけが苦労してると思わないでくれる?」


「なっ、何を……おばさんって、あなたね……」


「ウザいって聞こえなかった? 桧山さん。期待させて悪いんですが、私はお姫様になんかになれる性格じゃないんです。これが本当の姿だから、もう美化しないでください。これでよかったら、あと一回だけ番組に出ます。でも、そこのおばさんは、もうこんな生意気な私となんかと一緒に出る気はないでしょ?」


 桧山も、理久もどう割って入ったらいいか分からず、蒼白になりながら葉月の顔を窺う。葉月はさっきまでの半分からかうような態度を改め、睨みつけている美来の視線を真剣な顔で受け止めた。


「この子、なかなか気骨がありそうで、面白いじゃない。桧山さん、すぐに企画を通してちょうだい。美来ちゃんが私に美味しいと言わせるものを作ったら、理久とあなたのために、レストランの土地だけでも先に買ってあげるわ」


「言わせるに決まってるでしょ! でも、土地は理久のためだけに買ってあげて。私には必要なくなると思うから。じゃあ、楽しみにしていて」


 席を立ってくるりと背を向けた美来を、理久が呼び止めるが、美来は返事もせずにドアから出る。店内を横切る途中で、昌喜が厨房から顔を覗かせたが、美来は硬い表情で会釈をすると、通用口から外へ出た。


 すぐに理久が追いかけてきて、美来の腕を掴んで振り向かせ、何も見逃さないように美来の顔を凝視する。

 理久がどんなに美来の本心を探ろうとしても、美来はまるで仮面をつけてしまったように表情を見せず、焦れた理久が美来を揺さぶった。


「どうしたんだ美来? 美来が話そうとしたことに関係しているのか? どこか悪いって言ってたよな? そのことか?」


 美来は黙って首を振ったが、理久は引き下がらなかった。


「テレビに出たくないから言ったのか? 美来の気持ちを考えずに、出演を進めようとして悪かったよ。美来が本当に嫌なら断って来るから、さっきの話の続きを聞かせてくれ」


 理久の問いかけに、美来は今度も静かに首を振って、悲し気にもういいと呟いた。


「さっきは、めちゃくちゃにしてごめんね。今度はメジャー番組だから、あの女優さんが言ったみたいに怖くなっただけ。本当のことを言われて向きになちゃったみたい。二人に謝っておいて」


「俺は美来に無理をしてほしくないし、美来が望まないなら、自分の店なんて欲しくない」


 美来が腕を掴んでいた理久の指から身体を捩って離れ、一歩後退る。捕まえようとして伸びてきた理久の手を振り払った。


「私、すぐに考えを変える人って大っ嫌い。理久の夢は私が望まないなら、簡単に捨てられる夢なわけ? それなのに本気で叶えたいから手伝ってなんてよく言えたよね。嘘ををつく理久なんて、もっと嫌い」


「違う。本当に叶えたいんだ。でも美来の気持ちを犠牲にしてまで、あの人たちから何かをもらおうとは思わない。それなら、いつまでかかったって、自分で頑張って働いて手に入れた方がずっといい」


 理久の言葉が嬉しくて、美来はそっと微笑んだ。断ってくると言う理久を止め、諭すように話す。


「あのね、理久。あの企画は中学生の私たちがやるから、すごいと思われるのよ。理久が一生懸命料理する姿に感激してくれた視聴者は、お店を持った時にお客さんになるかもしれないでしょ? だったら、夢を叶えるためにテレビに出て。理久を応援できるなら私も喜んで出るから」


 美来の気持ちを量りかるように、理久が黙って見つめる。美来は料理のテーマを桧山さんに聞いておいてと告げて、くるりと向きを変え、駐車場から道路に向かって走りだした。


 田んぼの畦道に生えた草むらで鳴いている秋の虫たちが、美来の駆けていく足音に警戒してぴたりと鳴くのを止める。理久が見送る中、美来の姿は、休耕水田に浮かび上がるレストランの明かりからどんどん離れていき、色を失い影になって闇の中に消えていった。


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