第10話 思いがけない出会い 1-2

 理久が中心になって作った洋風サイドメニュー総菜のクラブDes Canaillesデ・カナリは、当初十人くらいのスタートだったが、料理を一から教える料理クラブと違い、自分たちで考えたオリジナルレシピを発表したり、既存のレシピをアレンジしたものを考えたりしなければならず、家で家事の手伝いもしたことが無い普通の中学生ではついていけずに止める生徒が続出した。

 

 結局残ったのは、理久、美来、渚紗、幸樹の四人だけだが、美来の家族のいざこざを経て、より結束を固めた四人は、材料も剥けない部員に気を使うことなく気兼ねすることもなく、凝った品に挑戦していく。

 半年間の試作を重ねて、ようやく一、二品の総菜を、理久の父のレストランChez Naruseシェ・ナルセに、Des Canailles の名前で置いてもらえるようになった。


 部活以外で作る総菜の材料は、昌喜と渚紗の祖母が用意してくれる予定だったが、幸樹の母と美来の祖母の沙和子が話し合って、材料費は結局四人で分割することに。親たちの援助に応えるべく、四人はどんどん新しいレシピを考えて形にしていった。

 気の知れた仲間と頭を突き合わせてする作戦会議は、もしかしたら今まで誰も味わったことのない料理を、自分たちの手で作り上げることが出来るかもしれないという期待に満ちていたし、そんないたずらっ子達を見守る大人の優しい言葉や態度に触れる度に、美来は祖母以外で初めて大人を信頼することができるようになっていった。


 思いやる気持ちは目には見えないけれど、丹念に泡立てた卵の中の空気のように、お菓子のスポンジをふわっと膨らませて、食べた人を幸せにする役割があるんじゃないかと美来は思う。

 親切にしてもらったお礼を言葉でうまく伝えられない分、美来は少しでも美味しいお菓子を作って、仲間たちや、その両親たちに喜んでもらいたいと思い、生地の練り加減、焼き加減などの工夫を怠らなかった。


 ただ、幸樹はそんな一生懸命な美来の姿を手放しで喜んではくれず、美来が味覚障害であることを、理久や渚紗に知らせた方がいいと何度も美来に注意をした。

 その方がいいと美来にも分かってはいるけれど、言わずに済むなら済ませたいと心がぐずって、なかなか踏ん切りがつかない。

 せっかく幸せだと思えるようになったのに、家族の虐待が残した傷跡を話すことで、また過去に囚われて、幸せが逃げてしまうのではないかという不安にかられたからだ。それにもまして、周囲が事実を知れば、お菓子を作る役目は無理だと判断されて、メンバーから外される可能性がある。美来はそれが怖かった。


 どうせ、中学二、三年生になれば、仲間たちの進路は別れてしまう。

 お店を継ぐだろう理久を除いて、幸樹は建築家になるためのコースを考えるだろうし、渚紗は農学部の受験を視野に入れた高校を選ぶだろう。まだ将来を描けないでいる自分さえも、受験に備えて勉強に時間を割くようになるのは目に見えている。

 部活をするのが難しくなるまで5カ月あるかないかの時を、美来はみんなと平等の立場で過ごしたいと語ると、幸樹はしぶしぶ頷いてくれた。


 この小さな街で、大切な友人と一緒に、ほんのひと時の夢を共有する。美来のほんの小さな希望は、やがて抜け出せない大きな渦に巻き込まれていく。その時の美来には分かっていなかった。


 最初は、ほんのちょっとしたきっかけだった。

 例えば理久が調理実習の時に作ったアレンジ料理の写真や、Chez Naruseのレジ横に置かれた小さな冷蔵ショーケースに並べられたかわいらしいサイドメニューなど、普通ならただの料理で終わるはずなのにの、時として運命はいたずらを仕掛ける。


 もちろん、理久のガーデン風サラダは外観から素晴らしく、限られた材料でアレンジされた調理実習のメニューはクラスメイトや親たちを喜ばせた。

 なによりも話題を呼んだのは、普段予約が一杯のレストランで、手頃な値段のサイドメニューが買えることだ。

 売り出して最初のころは、冷蔵ショーケースの上に注意書きを置くだけでなく、Chez Naruseのシェフ成瀬昌喜が作ったものではないこと、シェフの中学生の息子と友人たちが作ったものだということを、レジの際に係の者が口頭で説明をした。

 了解して購入した客が、美味しいという感想をあちこちで話したことから、噂が一気に広まって、売り切れるほどにまでの人気商品になった。


 学校でも、町の中でも、Des Canaillesのメンバーは有名になり、そして、最初は小さかった偶然の積み重ねが、やがてさらに大きな偶然を呼び寄せることになる。


 美来が秋のデザートの試作品を持ってChez Naruseを訪れたのは、十月の半ばだった。その日は店もお休みで、地域へのサービスデイでもなかったので、美来は五時限目の授業が終わると家に飛んで帰り、前日に冷蔵庫に寝かせた生地を取り出して、オーブンで焼いた。既に作ってあった一口サイズのデザートには、チョコやゼリーなどを飾りつける。

 デザートが出来上がるおおよその時間を、渚紗と幸樹に知らせてあったので、ちょうど頃合いを見計らって美来を呼びに来た二人に手伝ってもらい、小さなものはタッパに詰め、ケーキをトレイに載せると、Chez Naruseまで幸樹の自転車で運んでいった。

 ところが、休業のはずの店の駐車場には、一台の外車が止まっていた。お客さんがいるのだろうかと、三人が話しながら関係者用の通用口に回ると、中から理久が顔を出し、パントリーへと迎え入れてくれた。


「理久、誰かお客さんがいるんじゃないの? おじさんに試作品の味見をしてもらおうと思ったんだけど、大丈夫かな?」


「ああ、今、この店の常連さんで、テレビプロデューサーの桧山さんがきているんだ。桧山さんは食事をしに来た時に、何度かここを取材させてくれって頼んでいたみたいだけれど、ずっと父に断られているから、今日は定休日を狙って、泣き落としに来たんだってさ」


 どうする? とみんなが顔を見合わせていると、店の方から桧山と思われる男の声が聞こえてきた。


「ねぇ、成瀬さん頼むよ。これからの季節、この辺の木が紅葉して、休耕田の水に移りこむシーンって、すごく絵になるんだ。そこに童話から抜け出したようなフレンチの店。シェフはフランス帰りで、料理も絶品となれば、視聴率稼げるのも間違いない。成瀬さんにしてみれば、良い宣伝になるから、お互いいい話だと思うんだけどなぁ。お願い、この通り取材させてください」


 理久の後をついて厨房脇のドアから店内を覗くと、四十前後の男性が、テーブルを挟んで苦笑いをする昌喜に向かって頭を下げている。


「桧山さん、やめてくださいよ。番組で取り上げて頂くのは嬉しいのですが、有難いことに今は予約が先まで埋まっていて、これ以上受けられない状況です。テレビを見たお客さんが来てくださっても、お断りしなければならないので、申し訳ないのですがお受けできません」


「そのことは番組でも説明するから、店の雰囲気とか調理するシーンなどを絵に撮らせてくださいよ。ねっ? この通り」


「いくら、常連の桧山さんのお願いでも、こればっかりはね……テレビに出ると、電話が鳴りやまなくて困ると聞いたことがある。うちはこの通り家族で経営しているので、人手不足なんだ。入れることもできない予約の電話の対応に追われるわけにはいかないんですよ」


「そうかぁ~。そういう問題点があるんだな。そういえば、この間食べに来た時に、レジ横にテイクアウト用の総菜が置いてあるのを見かけたんだけれど、あれは何?」


 話が変わったのを狙って、理久がレストランの客席にいる昌喜と桧山に声をかけた。


「こんにちは、桧山さん。お話し中に失礼します。お父さん、美来がデザートを持ってきたんだけれど、ちょとだけ見てやってくれないかな?」


「ああ、今日は約束していたからね。桧山さん、さっき言っていたテイクアウト用のサイドメニューは、この子たちDes Canaillesのメンバーが作ったんだよ。今日はスイーツ担当の美来ちゃんが秋の新作を持ってきてくれたから、今から採点するんだ。ちょっと席を外すよ」


「そういえば、理久くんから、学校で料理クラブを立ち上げるって聞いていたけれど、あれのことか。僕も見せてもらっても構わない?」


 桧山の質問に困惑した理久が、昌喜にどうしようかと視線で確認すると、昌喜が仕方ないなというように頷いた。


「じゃあ、こっちに持ってきて。テーブルに広げて一緒に見よう」


 ドアの影から店内をハラハラしながら覗いていた美来は、テレビ局のプロデーサーの前でのお披露目と聞いて、呼びに来た理久に、首をブンブン振りながら嫌だと伝えた。だが、机を二つ重ねて、お菓子をセッティングする場所を用意してくれた昌喜に呼ばれては、逆らえず行くしかない。美来は仕方なく店の中に足を踏み入れた。


 後からついてきた幸樹や渚紗と一緒に、桧山に向かって頭を下げる。桧山がへぇ~っと感心した声をあげたので、何かと思って顔を上げた美来は、桧山とばっちり視線があってしまい、慌てて理久の背中に隠れた。


「いやーっ。びっくり! 理久君は見慣れてしまったけれど、この子たちはみんなビジョンに耐えられる粒ぞろいの容姿だね。美来ちゃん、試作品を披露しにきたのに、割り込みしてごめんね。大人しくしているから、君の作品を見せてくれるかな?」


 理久が美来の方を振り向いて、手に持っているトレイを受りテーブルへと誘う。幸樹と渚紗がタッパに入れた試作品を持って後に続いた。

 席につい五人の前に、昌喜が皿を置き、その上に美来が試作品を並べていく。おいしそうなケーキを見て、理久と桧山がごくりと唾を飲んだ。

 みんなの期待の視線を浴びながら、昌喜がさらに手を伸ばし、パイ生地を重ねたケーキの香りを嗅ぎ終わると、デザートフォークを入れる。


「いいね。美来ちゃん。これは紅葉をイメージしたミルフィーユだね」


「はい。ミルフィーユは千枚の葉という意味だと知ったので、生地にグレナデンザクロシロップを使って上のパイ生地だけを赤く染め、秋の紅葉に見立てました。黄色の葉は、卵の黄身で色を出しています」


「うん、グレナデンシロップは砂糖が入っているから、生地の糖分を少し抑えた方がいい。中のオレンジ色のクリームは柿かな? 香りづけのブランデーはいいとして、少しインパクトが足りないから、レモン汁を加えてごらん。黄色の葉の方はマロンか……」


 美来が分量などを質問して、メモに答えを記入していると、まだお皿に飾り付けていないタッパを覗いた桧山が、うわーっ、これはいい。シンデレラだと声を上げる。


「桧山さん、大人しくしているんじゃなかったんですか?」


「だって、成瀬さん、この飴細工のパンプスを見てみてよ! まるでシンデレラのガラスの靴みたいだ。チョコで作ったのもあるな。これ一個欲しいな。美来ちゃんもらっていい?」


 美来が困って昌喜を見ると、昌喜がいいよと頷く。喜ぶ桧山に美来が6、7cmほどのパンプスのお菓子を渡して説明をした。


「プチ・フール用(一口サイズのケーキ)の小さなお菓子です。桧山さんがおっしゃる通り、今回はシンデレラをイメージして、靴と馬車を作りました。どちらの型も幸樹君が作ってくれて、飴とチョコは理久君に扱い方を教えてもらいました。パンプスと馬車は、渚紗と一緒にデザインを考えたので、四人の合作になります」


「うん、これ、見た目だけでなく、味もいけるよ。ねぇ、成瀬さん、Chez Naruse の撮影が無理なら、Des Canailles の取材をさせてくれないかな? 理久君と美来ちゃん、幸樹くんと渚紗ちゃんだっけ? この4人自体がプリンスとプリンセスみたいじゃないか。お菓子を作っている姿を映像に収めたいな」


「桧山さん、残念だけど、デザートの担当は美来一人なので、普段は美来だけがデザートを手掛けています。俺と幸樹と渚紗はサイドメニューを作っているんです」


 理久が突っ走る桧山を止めようとして口を挟むと、それさえも素晴らしいと拍手をして、桧山が話し続ける。どうやらすっかり番組のビジョンが頭に浮かんだようで、桧山が頼む撮らせてくれと理久の手を握りしめた。


「おい、みんなどうする?テレビに出たいか?」


 テレビと聞いて、美来は喜びよりも不安の気持ちの方が勝った。

 沢山の人に囲まれて行われる撮影は、常に誰かが美来たちの一挙手一投足を監視しているように感じて、気を抜けないに違いない。その場で気が付かなくても、フィルムを確認する際に、誰かが美来の秘密を見破らないとも限らない。


 もし、そんなことになったら、味も分からない学生が作ったお菓子を、有名レストランに置いてもらったことが問題になって、理久のおじさんに迷惑がかからないだろうか? 

 怖いと思った途端、過去に通じるネガティブな感情に支配された。


 きっと、理久や渚紗や幸樹の顔は、健全な輝きを放ってカメラの向こうの視聴者に良い印象を与えるのだろうけれど、私の過去はカメラ越しにも見ている人に伝わってしまい、一人だけ暗くて嫌なイメージを与えるだろう。

 無理だと言おうとした矢先に渚紗が口を開いた。


「私は賛成!だって、理久は将来的にこのお店を継ぐんだから、今から名前が売れていた方がいいじゃない?幸樹だって、大きな建設会社の社長になるんだから、テレビに出ることはプラスになると思う。私と美来は花を添えるって感じでどう?」


「自分で花を添えるなんて言うなよ。恥ずかしい奴!」


 理久が渚紗をからかって大人たちを笑わせている横で、美来が落ち着かない様子でいるのに気が付いた幸樹が、意見を言った。


「理久、悪いけれど、僕はあまり気がのらない」


「おっ? 幸樹がはっきり嫌だというなんて珍しくないか? 何でまた反対?」


「理久は口も回るから、テレビに出ても間が持つかもしれないけれど、僕は緊張して、きっとうまくしゃべれない。サイドメニュー作りは楽しいけれど、それはあくまで作ったものがメインになるからで、自分が表に出るとなると気が引けるよ」


 幸樹が理久に対して反対意見を言うのをじっと聞いていた桧山が、首を傾げながら幸樹に話しかけた。


「う~ん、幸樹君。それだけまともな反対意見が言えれば、うまくしゃべれないなんてことはないと思うんだけれどな。快活で明るい理久くんとは反対に、幸樹君は硬派なイメージを強調すれば、喋る必要もなくなる。第一クッキングの現場を撮影するんだから、あまり会話は必要ないよ」


「それはそうですけれど……でも……」


 思わず美来に目が言ってしまった幸樹を見て、桧山が質問する先を美来に変える。


「美来ちゃんはどう? 君は画面映りがいいと思うよ。もちろん渚紗ちゃんもだけれど、クールでガラス細工みたいなイメージの美来ちゃんと、暖かな木のぬくもりを感じさせる渚紗ちゃんはいいコンビだと思うんだ。二人とも一度スタジオに来て、カメラテストを受けてみない?」


「やれやれ、桧山さんにかかると、うちの息子と仲間たちもたじたじだ。一度それぞれのご両親に相談してから、返事をするということでいいかな?」


 美来が困った顔をしているのを見かねて昌喜が口を挟むと、ほっとしたように幸樹と美来が頷いた。


「分かった。それじゃあ、四人そろってスタジオに遊びに来る約束をしてくれるなら、今日は退散するよ」


 そう言われると断ることもできず、四人が分かりましたと答える。桧山が喜びを顕わにしながら、また連絡をいれると言って帰っていった。

 その後ろ姿を見送りながら、美来はとんでもないことになったと、ほぞを噛んだ。


「美来、浮かない顔してるな。嫌なら無理すんなよ。だいたいさ、俺の父が断ったから、その代わりに俺たちに出ろっていうのは、俺たちに対して失礼だよな?」


「理久の強気が羨ましいわ。理久は本当のところどう?テレビに出たい?」


「へへ……そりゃ、チャンスがあれば有名にはなりたいけれど、まだ修業中だから、美来が嫌なら今でなくてもいいかな」


「そっか……今だって、これからだって、理久なら、有名になれるよ。ねっ、じゃあさ、今回はデザート抜きでサイドメニューを作るのを撮影してもらえばいいじゃない。元からメインはそっちなんだから、私は抜きでもいいと思う」


 横で美来と理久の話を聞いていた渚紗が、美来の手を掴んで、とんもないというように首をふった。


「何言ってるのよ美来。私たちは四人で一組のDes Canaillesなのよ。桧山さんだって、美来のことクールビューティーだって褒めていたし、私たちはいいコンビだって言われたでしょ? 一緒に出ようよ。きっといい思い出になるわよ」


 渚紗があまりにも必死な顔をして誘うので、美来は断り辛くなってしまい、見学に行ってから考えてみると言葉を濁す。出演すると返事をしたわけではないのに、理久も渚紗も、美来からオッケーをもらったように、やったーとハイタッチをして喜んでだ。その姿を見て、料理店を紹介する番組で、ほんのわずかな時間だけ出演するのなら、別にそれほど警戒しなくても大丈夫なのではないかと美来の気が緩んだ。


 同じものをいくつも紹介する番組によく見られるように、内容が平坦にならないための工夫なのか、少し毛色の変わったものが映し出されることがある。今回も大人のシェフの活躍を流す合間に、息抜きとして紹介されるのではないか。だったら、理久たちの後ろで笑っているだけで終わるかもしれない。

 美来は自分の気持ちが、すでに出演する方に傾いていることに気が付いた。


 何よりも、仲間たちが頑張っている姿をみんなに認めてもらえるのは嬉しいし、美来がノーということでチャンスを潰して、仲間のやる気を奪ってはいけないのではないかと理由づける。


「サイドメニューをメインで撮ってもらって、私はグループ紹介の時にだけ、顔が映るようにしてもらえれば参加してもいいよ」


 条件付きではあるものの、美来の前向きな答えを聞いて、理久の顔がぱあっと輝き、美来の胸に満足感が湧いた。

 幸樹が美来を心配して、本当にそれでいいの? と横でささやいたのに頷いて、ほんの少しの間でも、夢を見させてくれた理久にお礼がしたいと説明すると、幸樹もそれならと納得した。


 美来と渚紗と幸樹の三人が、昌喜と理久にお礼と別れを告げ、店を出て行った。静まり返ったレストランに響くのは、理久が皿を片付ける音。理久の背中に昌喜が話しかけた。


「理久、みんなの夢が、お前と同じだと考えてはいけないよ」


「何それ?俺が夢を押し付けているって言いたいわけ?」


「いや、そこまでは言っていない。でも、お前は求心力があって、みんなを引っ張っていく力がある。子供のうちは仲間とごっこをするのもいいだろう。それは友情を深めるのに大切な活動だと思う。だがな、これから大人になるときに、資質のある者と、そうでない者がいることを見極めなければいけないよ」


「な、何言ってるんだ? 資質が無いってなんのことだよ? いつも上を目指すには、人の何倍もの努力が必要だって俺に説教垂れるのに、その言い方じゃあ、努力しても無理な奴がいるって聞こえるじゃないか」


「資質があっても、それに胡坐をかいていては成長しないから、息子には厳しく言うんだよ。人には向き不向きがあるから、自分が料理が好きだからと言って、人にも自分と同じくらいの能力があると思ってはいけないと言った方が納得するのなら、それでもいい」

「まだるっこしいな。一体誰の事を言ってるんだよ? 渚紗は助手として洗い物をしたり、要るものをすぐ用意してくれたりと目先が利くし、幸樹は図案とか料理の配置を考えるのが得意で、型なんかも作れるし、美来だってスイーツで今日みたいなアイディアを出せるじゃないか?」


「……美来ちゃんは、肝臓でも悪いのか? それなら、納得できるんだが、もしそうでないなら、アレンジはやめて、基本に忠実なものを作るように言ってあげなさい。音楽と一緒で、楽譜通りに演奏するクラッシックが得意な人と、自由にアレンジするジャズを好む人もいる。美来ちゃんはレシピ通りのものならうまく作れるからね」


 それだけ言うと、昌喜はレストランの駐車場の北側に建つ自宅へと戻っていった。

 一人取り残された理久は、何だよ、美来の作品にケチつける気かとぶつぶつ文句を言いながら、昌喜が食べ残した美来のミルフィーユの紅葉の葉を口に入れてみる。


「ゲッ! 甘っ! そういえばグレナデンシロップが何とかって言っていたな。う~ん。色付けしたトップ以外の生地はいいし、柿テイストのクリームにレモンを入れれば味にインパクトが生まれていけるはず。でも、トップがいくらなんでも甘すぎだ。何やってんだ美来は? 一応黄色の方も味見しとくか……」


 理久はトップの皮が黄色に染められたミルフィーユを食べてみた。

 美来が卵の黄身を塗って色を出したと言っていたが、レシピ通りのミルフィーユの皮に、着色をしただけなので味に問題はないようだ。


 だがマロンのクリームを食べた理久は、飲み物を取りに厨房に行き、冷蔵庫のミネラルウォーターをグラスについで、喉に張り付いた粘り気のあるクリームを水で何とか流し込んだ。


「うっぇ~っ。窒息するかと思った」


 深呼吸を繰り返す理久の頭に疑問が次々湧いてくる。

 これ、栗とクリームを合わせただけか? いくら何でも栗が多すぎるだろ? 潰し過ぎの栗が喉にへばりついちまった。クルミとか砕いていれると空気が入って食べやすくなるかもしれないけれど……美来は作るだけ作って、味見してないんじゃないのか?


 学校から家に帰ってすぐに、美来は急いでケーキ類を作って、ここに持ってきたのだから、慌てすぎて分量を間違えたのかもしれないと、理久は思いたかった。

 だが、昌喜が言った資質のある者と、無い者を見極めろという言葉が理久の頭に蘇る。冗談じゃないと理久は首を振って、その言葉を消し去ろうとした。


 理久は美来と初めて会った時に、美味しいものが作りたいから、教えて欲しいと言った美来の声と、期待に満ちた顔が忘れられないでいる。渚紗と幸樹はいずれ家の跡を継いで、それぞれ建設と農業に分かれていくのだろうと納得しているから、美来が自分と同じ夢を語った時に、理久は心底嬉しかったのだ。


 この子となら、これから先も、同じ夢を目指せそうだと舞い上がり過ぎて、途中で意見を翻した美来を諦めることができずに、部活に入るように強引に誘い続けてしまった。

 調理実習のあとで、美来が授業に姿を見せなかったのを心配して、幸樹と渚紗と一緒に探した時、校内の隅の木にもたれかかって眠っていた美来を見つけて本当に安心した。それと同時に、自分が部活に入ることを無理強いしたのを嫌がるあまりに、美来が姿を消したのではないかと思って心から後悔した。


 だから、理久が美来の勧誘を諦めると言った時に、美来がデザートなら作りたいと言うのを聞いて、喜びで身体が弾けそうになった。

 美来をその気にさせておいて、今さら才能がないから要らないと切れる訳がない。   

 理久が調理台にやり切れない思いで、拳を打ち付けると、ステンレス製のシンクが同調するように、不満気な重たい音を反響させた。


「いいよ。レシピ通りでおいしいもの作れるなら、それでいいじゃん」


 美来は卵白の泡立ても根気よく丁寧にやって、ケーキ類のスポンジもふかふかに焼ける。シュークリームだって最初からふっくらと作れたし、あいつには絶対に才能がある。

 今、美来は覚えることばかりで、アレンジに手が回らないのだと理久は自分に言い聞かせた。

 デザートでなら参加すると言ったのを了承したときに、あの頃、美来がめったに言わなかったありがとうを口にした。

 この部活が解散するときに、美来からもう一度感謝の言葉が聞けたなら、自分の夢を誇りに思えるだろう。

 片付けを済ませた理久は、レストランの通用口を施錠して、駐車場から見える家に戻っていった。









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