第3話 【単純に性格が悪い】ブルーチープ

「よっしゃ、あらかた片付いたな」


 車から悠々と降りたドレッドは、うんと背伸びをした。僕も窮屈な思いをしたせいで、体のふしぶしが痛くなっていたので外で休憩させてもらっている。


 端的に言えば『圧勝』だった。なかなか激しい戦闘が起こっていたように思ったのだけれど、ドレッドたちは一人も欠けないどころか傷を負った者さえいないらしい。


 現在は検問と称して集められていたらしい偽のパトカーをイエローの念動力でどけてもらっているところだった。彼の纏うな雰囲気からはおよそ読み取れない底知れぬパワーを感じる。


 ドレッドが、透明な襲撃者の生死を迷うことなくイエローに確認させに行った理由がわかった気がした。


「運転してどけたりはしないんですか?」


 それでも彼一人に任せっきりなのは心配で、僕は隣に立っていたホワイトに問うた。


「爆弾か何かが仕掛けられているかも知れませんからね。我ながら慎重すぎる気もしますが、それでも命に関わることですから。用心するに越したことはないでしょう」


 それにイエローにとって、これぐらいのことは朝飯前です──僕の心配を察してかホワイトは、そう付け加える。その言葉にあるのは無責任な押し付けではなく、イエローに対する確かな信頼だと僕は受け取った。きっと普段から仲間のことをよく見て、深く知っているからだろう。立派な人だと思う。でも、そんな人がどうして……。


「……どうして、嘘ついたんですか?」


 少しばかり非難の意味を込めて彼の顔を斜めに見上げた。


  『嘘』とは、僕がドレッドを手錠のついた手で殴りつけた時の彼の発言だ。


『ああ、これは死んでますねぇ』


 と、すかさず彼が言ったことを僕は忘れていない。


「ハッハッハッ! あれは、ほんのたわむれのようなものでして」


 ホワイトは僕の前で初めておかしそうに笑った。


「冗談じゃないですよ! あの時ホント、ヒヤーッとしたんですからね! 頭ッから足の先まで血の気が引いて……冷たくなって、めちゃくちゃ怖かったんですから!」


「いやぁ、申し訳ない。あなたの様子があんまり可愛らしいので、ちょっとからかってしまいました」


 そう言ってまたフフフと笑い出す。笑い事じゃない。あの時は本当に……。


「──ですが、相手がドレッドでなければ本当に死んでいたかもしれない」


 突如、ホワイトの口調が真剣味を帯びたので僕の身体は強張こわばった。


「人と言うのは一見頑丈なようにも見えますが、わりかしあっさり死ぬものです。何も銃やナイフといった道具を使わずとも、殴ったり、下手をすると転ぶだけで、その命を落とす」


 その言葉の重みに、僕は固唾かたずを飲んだ。


「それだけはどうか、お忘れなきよう──まあ、私たちのような者が申し上げても、あまり説得力がないかも知れませんが」


 ホワイトは先ほどまでの柔らかな雰囲気に戻って、今度は困ったように笑った。その表情になんとなくじいちゃんの面影を見て、僕は懐かしい気分になる。


「いえ、勉強になりました。ありがとうございます」


「……それなら良かった。私も恥を忍んで申し上げた甲斐かいがあるというものです」


 おそらく彼は、僕のために『距離感』というものを考えてくれているのだろう。裏社会に近づきすぎて、命というものに対する僕の考え方が麻痺しないように。その遠ざけ方はちょっぴり寂しいような気もしたけれど、それ以上に深い優しさを感じた。


「……お、どうやら終わったようですね」


 ホワイトが向いたのと同じ方に視線を投げると、バリケードのように道を塞いでいた偽パトカー群は道の脇に『逆さにして』どけられていた。そうしたほうが再利用されにくいということだろうが、そんなふうに動かせること自体がイエローの念動力のデタラメさ加減を表しているような気がした。


「それでは出発しましょうか」


 ホワイトがそう言った時に一つの疑問が浮かんだ。そう言えば、彼らは僕をどこに連れて行こうとしているのだろう。


 そこまで考えたところで──僕の視界は切り替わった。




 本当に一瞬の出来事だった。ホワイトが目を見開き、驚いたような表情をしたかと思うと目の前の景色が歪んだ。


 僕は途端に目を開けていられなくなった。顔面に強烈な風圧を感じたからだ。僕自身が高速移動しているのだとわかったのは、世界が再び僕の目でしっかり捉えられるようになってからの話だった。


「ちょいと、休憩」


「あなた、誰ですか……?」


 スピードが落ち、視界が安定すると僕の身体は大柄な男に抱えられていたのだと今さらながらに気づいた。


 ホワイトのあの表情からして彼の仲間でないことは、なんとなく理解していた。


「誰でも構わない。ワタシはただ仕事をするだけだ」


 いったん僕を下ろして男はニッコリと笑う。その妙に柔和な顔つきが、かえって僕を薄ら寒い気分にさせた。


「さて……それじゃあ、お楽しみとしゃれこもうか」


 大柄な男の影が僕の身体を覆うように差す。どうにも荒い彼の鼻息が、最悪な想像を喚起させる。


 現在地は、どこかの空き地のようで昼間だというのに周囲に人気はない。


「や、やめてください! 僕、男ですよ!」


「おいおい、何を言ってるんだ? 可愛ければノープロブレムさ。むしろ、そそるね。そんな格好をしているぐらいだから、実はちょっと期待してるんだろう? さぁ、ワタシが君を正真正銘の『女の子』にしてあげよう」


「ひぃ……ッ……やだっ、やだぁッ!」


 僕は逃げ出そうとした。しかし、男は大柄な体格に似合わない俊敏な動きで回り込む。


「逃げたいなら逃げてくれ。できるものならね。ワタシは、とことん付き合おう。疲れ切った獲物こそがワタシにとって最もステキなご馳走なんだ」


 男はもはや本性をさらけ出した醜悪な笑みを浮かべる。僕は突然、この世に自分一人しかいないような気分になって、泣き出したくなった。それでも、誰かに助けを求めてしまう。誰か──。


「──ふむ。こんなところか」


 風を巻き起こし、僕の視線の先に、男の背後に『誰か』が降り立つ。僕も男も、思わず彼のほうを向く。そこに立っていたのは──ブルーだった。


「ぶ、ブルーさん!」


「どうして……いや、どうやってここに?」


 僕が驚きながら、男があくまで平静を装うためか、つとめて冷静な声で尋ねる。


「さあ、どうやってかな?」


 ブルーは、イエローのマネをするかのように小首を傾げる。ただ、いま目の前にいる彼の場合は右の口角が上がっていて、明らかに相手をおちょくるための仕草なのだとわかった。


「ワタシと同じ異能力を持っているのかね?」


「無意味な質問だな。答える義務はない」


 今度は軽く首を回している。さっきの仕草のせいで少し痛めたのかもしれない。


「まあ、それもそうだ。ワタシより速い者など、そうそういるはずが──」


「──さっさと帰るぞ、小僧」


「え?」


 いつのまにか僕はブルーの小脇に抱えられ、今度は彼による高速移動を体験させられる。


「え! えええええええぇぇぇぇェェェ……」


「逃すものか!」


 再び強い風圧を感じ目を閉じる直前、あの男もまた高速移動で追いすがってくるのが見えた。


「追ってきますよ!」


「構わん。好きにさせておけ。とにかく、今は距離を稼ぐことが肝要だ」


「はぁ⁉︎」


 言ってる意味が、よく……いや、全然わからない。


「今は喋るな。舌を噛む」


 そう言う彼のほうは平然と喋りながら高速移動を続けている。眼鏡がずり落ちたりはしないのだろうか。


「安心しろ。相手の中に『恐怖』がある限り、俺が一対一タイマンで負けることはありえない」


 やはり、その言葉の意味も僕にはわからなかったが、ただ妙に心強かった。




「よし、この辺りでいいだろう」


 僕とブルーが降り立ったのは、男に連れ出される直前までドレッドたちと一緒にいた都市……『指先市』が近くに見える場所だった。それなら、現在地は『戸爪街道』の近くだろう。


  『指先市』はX県の都市で、Y県とのちょうど境あたりにある。地図上で境界線を見てみるとその名の通り、人差し指だけを立てた握りこぶしのちょうど『指先』にあるように見える。


 と、くると『戸爪街道』はさしづめ『指先市』を出たところから、爪の付け根ほどまでの長さに例えることができる。


 僕はおそらく、さっきの男によって戸爪街道沿いに連れ去られたが、ブルーに助けられたおかげで指先市の近くまで戻ってこられた、ということだろう。


 あの男もずいぶんなスピードで追ってきていたように思うが、まだ姿は見えない。


「小僧、酔っていないか? 酔い止めの錠剤ならくれてやる」


「え、あ、ありがとうございます」


 思わぬ優しさに戸惑いのほうが先に出てしまう。それでも差し出された錠剤とペットボトルに入った水をいただいた。実際、気持ち悪くなりかけていたので、とてもありがたかった。


「礼はいらん。吐かれても困るだけだ──おっと、やっと追いついてきたか」


 ブルーは僕から視線を外し、こちらに向かって歩み寄る影に目を向ける。よろよろと近づいてきたのは、やはりあの男だった。


「ずいぶん遅かったな。一体、何をしていたんだ?」


「ぜぇ……わ、ワタシより速い異能者など……そ、そうそういて、たまるものかぁ!」


 一瞬のことだった。大柄な男の姿と、ブルーの右腕が消える。次の瞬間には、頰を腫らした男が地面に倒れてうめいていた。


「ふむ。なるほど。自分の見える世界に身体が追いつくというのは、なかなか気分が良い」


「な、なんなんだ! なんなんだ貴様はァ!」


 もはや嘆くように叫ぶ男にニヒルな笑みを浮かべながら彼は言った。


「俺は──【単純に性格が悪い】ブルーチープ。人の嫌がることが大好きだ」




「俺の異能力は『他人の嫌がる、または怖がることをするため』の機能を自分の体や身につけた物に付与できる力なんだが……これ以上簡単に言い表すのは骨が折れる。今の説明で理解できないなら、それでいい」


 ブルーは男を──僕の見えないところまで引きずってから──始末した後、僕と一緒に指先市を目指して歩きつつ、タバコに火をつけながらそう言った。


「な、なんとなくわかります」


「そうか。まぁ、要するにあの男の嫌がることは『自分より速いやつと敵対すること』だったわけだ。自らの強みが潰されるわけだから当然だな」


 ブルーは思い出したようにククッとあざけるような笑い声を漏らす。彼自身も認めているぐらいだし、やはり性格は悪いのだろう。でも──。


「ブルーさん、なんか僕に優しくなってません?」


 彼は、ふうっと空に向かって煙を吐き出す。


「いいか? 俺は『強い者いじめ』が好きだ」


「よくないですよ⁉︎」


「理由は簡単。その昔、俺の大切なもの……いや、何もかもは『強い者』によって踏みにじられたからだ」


「……」


 僕はそう言われて何も言えなくなる。彼の過去を知らずに下手なことは言えないし、その過去に踏み込むにはまだ彼との距離が足らなかった。それは、彼自身にとっても同じことのようで、すぐに現在の話題に話が戻される。


「……逆に言うとな、弱い者をどうこうしてもあまり面白くない」


 ──俺は最初、お前が強いほうの人間だと思った、とブルーは続ける。


「金持ちの家に生まれているらしいし、若いくせに多少の礼儀もある。立派なじいさんもいたようだから、どうせ今まで結構幸せな人生を送ってきたんだろう、と」


 ……それは、どうにも否定しきれないことだった。ブルーたちのいる裏社会というのがどんなものか、まだ全貌をつかめていないが、みんな人を殺してもわりと平気でいる様子を見ると僕よりかは──いや、僕よりもずっと辛い人生を歩んできたのだろうということは簡単に予想がついた。


「『幸せな人生を歩んできた者』と『強い者』……その二つは俺の中で、なんとなくイコールで結ばれていた。だが、あの男から逃げるお前の様子を見て、なんだかそれも違うんじゃないかと思い始めた」


「あれ、見てたんですか……」


 見てたんならすぐに助けてくださいよ、とちょっぴり距離が近づいたために生じた気安さから、そんな言葉が口をついて出る。


 ブルーは特に気分を害した様子もなく「悪い」とひとこと呟く。そうして、タバコをくわえたまま右手で一、二度頭をかいて、心中の逡巡しゅんじゅんを表すかのように少し視線をさまよわせてから意を決したように言った。


「お前は弱い──だから、俺と同じだ」


 言葉に乗せて漂ってきたタバコの煙がツンと鼻をつく。しかし、そのにおいを不快に思わなかったのは、もしかすると初めての経験かもしれなかった。


「もちろん、部分的な話だ。急に妙な仲間意識を持たれて気色悪く感じるなら、それでもいい。自分でもどうかと思っている」


「いえ、そんなことは……」


「ただ、俺は俺のために話した。ちょっとでも共鳴してくれるんじゃないかって、しょうもない期待を込めて」


 僕は、その歩み寄りが嬉しかった。そのことを言葉にして伝えてから、素朴な疑問を口に出す。


「……もしかして、ブルーさんって……寂しがり屋なんですか?」


 彼は「あほ」とだけ呟くといったんそっぽ向いて、煙を吐き出す。 カッコつけたがりの言葉が、どこかの空へと溶けていった。

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