第2話 【注意喚起】のイエローガード

「い……異能力?」


 僕は目を丸くした。そんな漫画みたいな話があるのか?


「手錠で思い切り殴られて、車にぶつけられて、銃で撃たれたんだ。普通の人間なら、平気なわけないだろ?」


 いやいや、そんな能力あるわけがないでしょうと言いたいところだが、実際僕はドレッドの復活も、その直前に『透明になる能力』があることも二度も目にしている。反論する材料も、意味もない気がした。ただ……。


「良かったぁ……」


 生きていてくれたことが、嬉しい。


「おお……」


 ドレッドが僕のほうを見て眼を見張る。


「な、何ですか?」


「いや、何かお前の反応って新鮮なんだよ。普段の依頼人クライアントは、だいたい『高い金払ってんだから、命張って当たり前』って感じのヤツばっかだからな。オレなんて能力が能力だから弾除け扱いだ」


「ひどい……」


 いくら回復能力があるからって、痛くないわけじゃないだろうに。


「おいおい、殺す勢いでオレの頭ぶん殴ったお前がそれ言うかぁ?」


「あれはドレッドさんが悪いですッ!」


 僕は思わずスカートの端を押さえる。あの出来事は、今後トラウマになってもおかしくないと本気で思う。


「いや? オレ悪くないだろ?」


「心底不思議そうな顔で首を傾げないでください!『冗談、冗談。アレはオレが悪かったよ』的な言葉すらないのは、いかがなものか!」


「んなこと言われてもなぁ」


「護衛対象、いじめる、だめ」


 ふと何かふわりとした感触が右腕を包んだので視線を向けると、いつのまにかイエローが僕の右腕を抱き込むようにしていた。


「ふぇ……!」


 改めて近くで見ると、あまりの可愛らしさに思わず心臓が跳ねる。つぶらな瞳や、きめ細やかな肌、そして柔らかそうでありながら肉感的過ぎないくちびる……。それらかもし出すあどけなさは僕を危険な世界へと迷い込ませそうだった。もちろん、彼が実は男だという事実も含めて。


「なかよく、しよ?」


「別にケンカしてるわけじゃねぇんだが……」


「ちゃんと、なかなおり。あやまって?」


 イエローが頰を膨らませてドレッドに抗議する。怒っているのだろうが、エサを口に含んだ子リスのようで迫力などまるでないというのが僕の正直な感想だった。


「……う、悪かったよ。オレはお前が……その『いいヤツ』だってのはわかった。オレもお前と……仲良く、したい」


 そう言ってドレッドは少し照れくさそうに僕から目をそらす。裏社会の住人だと聞いてどんな人間かと思えば、案外僕たちと変わらないところもあるようだ。


「ちょっとゴメンね」


 僕はまだ腕にしがみついていたイエローに一言断ってから立ち上がる。


「はい。こちらこそよろしくお願いします」


 そして、深々と頭を下げる。命を預かってもらう者として当然の礼儀だと思った。ブルーが「育ちの良さが腹立たしい」と呟いたような気がしたが、聞かなかったことにする。


「みなさん、良いお話が聞けましたよ」


 今まで僕たちから離れた場所で尋問を行なっていたらしいホワイトがこちらに歩み寄ってきた。




「もっと他に良い場所は無かったんですか……?」


「しゃーねぇだろ。そこが一番見つかりにくいんだ」


 怒気を込めた僕の言葉に対し、ぶっきらぼうにドレッドが言った。この人はどうも雑というか、他人の気持ちを考えるのが苦手らしい。


 僕はブルーが工場まで運転してきた車──そこらにいたチンピラから隙を見て盗難したという話だが本当だろうか──に乗った……というよりも詰め込まれた。


 具体的に言うと、後部座席の足を置く空間に寝そべらされていた。あんまりに素晴らしい特等席なので、僕の胃はかなりムカムカしている。


「顔だしてたら撃たれる可能性があるし、トランクも後ろから狙われるとまずい。前なんてエンジンが爆発したら……」


「あーもう、わ・か・り・ま・し・た・よ! 我慢します。贅沢言えませんよね、命狙われてるんですもん!」


「まあ、そう言うな。もしもの時は、さっきみたいにオレが体張って、お前のこと守るから」


「う……」


 そう言われてしまうと、どうにも弱い。複雑な気持ちだ。嬉しいけど、後ろめたさで途端に何も言えなくなる。


「おちつかないなら、ぼくの足……さわる?」


「……イマ、ナントオッシャイマシタ?」


 唐突なイエローの発言により僕の情緒は、ますますかき乱された。


「ぼくの足、もちもちだってひょうばん。ふあん、なくなるらしい」


「ドレッドさん〜〜?」


 なぜかとっさに『ドレッドがイエローの太ももやら、ふくらはぎを触っている』という最低な絵面が浮かんだので、反射的に僕は彼を非難した。


「何でオレなんだよッ⁉︎」


「僕のスカートにだって……顔突っ込んだじゃないですか?」


「だから、そりゃ悪かったって!……おい、イエロー。お前もテキトーなこと言ってんじゃねぇよ」


「ちょっとした、じょーく」


 そう言ってイエローはイタズラっぽく笑う。見た目も雰囲気もふわふわしているが、案外悪い子なのかもしれない。


「でも、さわっていいのは、ほんと。護衛対象が安心、するなら」


「えっ……?」


 確かに、僕の目の前には彼の足がある。さっき彼の顔が近くに寄せられた時に見受けられたのと同じようなきめ細やかさを持った肌。程よい肉付きのももとふくらはぎ。ちょっと手を動かせば、きっとすぐにでも触れられる。


「ぼくは、ぼくのことかわいいって言ってくれた、護衛対象がすき。だから、さわってもらえたら、ぼくもうれしい」


 そう言ってイエローは微笑む。魔性の女ファム・ファタール……なんて言葉が僕の頭をよぎる。何を考えてるんだ相手は男だぞいや男だからまだ触ってもセーフなんて思考してる時点で僕は実は変態なんじゃないか──混乱した頭のまま、僕は、そうっと手を──。


「おや、検問……?」


 ホワイトの呟きが一瞬、僕を咎めるものかと思ったので、すぐさま手を引っ込める。僕は、今の運転は彼が担当していることを思い出した。


 寝そべっている僕は、車がスピードを緩めていくのを振動が落ち着いていく様子から感じ取った。


「あのォー、すいません。ちょっといいですかぁ」


「ええ、どうも。お疲れ様です」


 一部の警察官に特有の、親身にも馴れ馴れしいようにも思える声に対しホワイトは窓を開け、落ち着き払って丁寧に返した。


 反対に僕は気が気ではなかった。車内を覗き込まれたら、もうダメだ。僕の体を隠すために毛布ぐらい被せてくれても良かったのに、と今さらながらに考えてしまう。


 僕が見つかったら、ドレッドたちは誘拐の疑いで刑務所行きだろう。きっと警察に事情を話して保護してもらったとしても、今の彼らより心強い味方ができるかどうかわからない。そうなったら、僕は──。


「おや? それは……」


 ふと、車内に目を落とした警官と様子が気になって首を動かしてしまった僕の目が合った。一瞬、世界が静止して不気味な絵画の中に迷い込んだのかと思われた。警官の黒目がちな瞳がより一層開いて、驚くように、しかしそれでいてある程度予期していたかのように僕のほうを見つめる。


 気がすっかり遠くなりかけたところで──男の首が大きく傾いた。それをきっかけに世界が再び動き出す。ホワイトが殴ってたのかもしれなかった。でも、そんなことしたら……!


「残念ながら地方警察への根回しはすでに終えています。もし検問などをしていても、私なら顔パスで済ませるように、と。それがなかったとしても、殺気を放ちすぎだ」


 怒りも焦りも感じさせない様子で老人が告げる。つまり、今の警官は偽者だったということだろうか?


 明らかに慣れている様子だった。この人は、一体この世界で何年の時を過ごしてきたのだろう。


「みなさん、気を引き締めて。見えない敵がいるとわかっている以上、おそらく敵は見た目通りの数ではない」


 また頭上で銃撃戦が始まり、僕は思わず耳を塞いだ。どうして僕はこんなところにいるんだろう。数十分前まで本当の銃の音なんて知らなかったのに。帰りたい。場所ではなく、日々に。じいちゃんがいたあの頃に……。


「──大丈夫、だよ」


 ふと降りかかった声に僕は目を向ける。イエローが僕のほうを慈愛のこもった表情で見下ろしていた。ふわふわした喋り方にもかかわらず、その『大丈夫』には強い響きがあった。


「ぼくたちは、護衛対象のこと、ちゃんと守る。絶対、死なせない。だから、怖がらないで」


 彼の声が僕の耳を優しく包み込むようにして、安らぎを与えてくれる。そばで聞こえているはずの銃声が、だんだんと遠ざかっていった。


「……時也」


「……?」


「僕の、名前。『護衛対象』じゃ、呼びにくいと……思って」


 イエローは一瞬、ちょっと驚いたような顔をしたが、すぐに微笑みを取り戻して一度頷いた。


「うん。ありがとう、ときや。ぼく、ますます、ときやのこと、すきになった」


 何故だろうか。顔が熱くなってしまう。それでも僕は彼から目を離せない。


「絶対にときやを帰してあげる。キミが元いた世界に……」


 ──それは、スローモーションのように見えた。あるいは走馬灯の類いかもしれない。でも、死ぬのは僕じゃない。イエローだ。左方から彼のこめかみに、弾丸がゆっくり、ゆっくりと迫って近づいていく。


 僕は叫びそうになってから、どうにもならないことに気づいた。僕自身の動きもまたゆっくりだったからだ。もうとっくに叫んだつもりだったのに、やっと唇が動き出す。時間が遅くなったわけじゃない。僕が速くなったわけでもない。突然、ドレッドのような異能力者になった──わけじゃない。僕は──。


「ぼくは──大丈夫」


 ……数時間、もしくは数日が過ぎたような体感時間の後にイエローの口がのんびり動いた。見ると、弾丸は彼のこめかみに当たる直前で止まっている。さっき警官に覗き込まれた瞬間のような観念的な世界での話ではなく、ちゃんと目の前の現実としてその弾は静止している。


「あ、そうか。教えてなかった。ふふ、ぼくもドレッドのこと、言えないね」


 弾丸はイエローから遠慮しがちな感じに少し距離を取ると、突然思い立ったように平仮名の『く』を鏡文字で書いたような軌道を描き、飛んで行った。直後に遠くで男の短い唸り声が響く。今の弾丸が襲撃者の一人に当たったのかもしれなかった。


「ぼくは、念動力さいこきねしすの異能持ち。【注意喚起】のイエローガード。ちょっぴりキケン……かもね?」


 彼は僕に無邪気な笑顔を投げかける。僕とってそれは──たぶん彼が言ったのとは違う意味で──『キケン』だった。

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