黒獅子の刃に魅せられて。
羽鳥(眞城白歌)
桜色の猫は、黒い獅子に憧れて。
暗い路地裏の片隅で、私は別れを告げようとしておりました。
自身の命と、培ってきた
湿った石畳に広がった私の真白い髪を踏みつけて、お顔だけは美しい暴漢が不気味な笑みを向けてきます。ギラギラ光る
逃れようにも両手首は男の左手にがっちりつかまれて、衣服は引き裂かれ、口をふさぐよう頭を押さえつけられた状態では、激しく肌をねぶられようと抗いようもないのです。
たとえ誰かが路地裏で襲われている私を見たとして、助けは期待できないでしょう。
楽しげに私の肌をいたぶる暴漢の目には、怯えて涙をこぼす私が映っていて、そのあまりに救いようのない姿は、私の中にあきらめをわきあがらせて。
私は憧れ続けた
† † †
私があの方と運命の出逢いを果たしたのは三年前、夢あふれる十五歳の時でした。
特に興味を引かれたのは、
独学で習得できる技術ではなく、森の奥地では師となり得る人物もおりませんから、私は都会に憧れました。基礎理論は独学で学び、限られた中で資金を貯め、希望に胸を膨らませて家を出たのです。
思えば、私は人の縁に恵まれたのでしょう。
その国は
非常に美しい造形の、けれども機能的な狩猟ナイフでした。
大型のナイフというものは、
興奮する私に武器屋の主人は親切にも、造り手である
店主で鍛治師の男性は驚いたことに私と同じ
狩猟ナイフを手に、興奮に上気した
今思えば、私にとってあの方は『推し職人』というべき存在だったのでしょう。学友たちは皆それぞれ趣味も
卒業後の就職先はあの方の工房に、と心に決めておりました。彼が、熱く自分アピールをする私の勢いに負けたのか、私が学業によって身につけた
無愛想でしたが嫌な顔もせず、足しげく工房に通う私を受け入れてくれました。私の提案する武器への魔法付与も、材料と時間に余裕があれば実践してくれました。彼が造りあげる武器や道具はやはりとても美しく機能的で、二人で芸術品を造り上げるという喜びに、私は――女房気取りで調子に乗っていたのでしょう。
私は、私の楽しみ方を彼に押しつけて、貴重な時間を
そもそも
折しもその日は急ぎの受注があったとのことで、彼は早朝から炉に火を入れ、真剣な顔つきで熱した鉄を叩いておりました。朝方の涼しい空気に美しく響くその音を聴いていると、初めの頃の憧れがよみがえって胸を締めつけます。私は、あろうことか私の趣味活動に憧れの人を巻き込んだ挙句、大切な生業を邪魔していたのだと、ようやく気づいたのでした。
自覚が芽生えた以上もう彼を振り回すなどできません。結局のところ私は学者に過ぎず、鍛治師の助手として
勇気がなかった私は、決意を伝えることができませんでした。
もうここに来るのをやめると伝えて、そのほうがいいと認められるのも、やめなくてもいいと引き止められるのも、どちらも苦しく思えたのです。でも、こんなことになるなら――最後に感謝と謝罪と祝福の祈りを、残してくれば良かった、と。
あれからもうすぐ一週間。突然来なくなった私を彼が心配しているかわかりませんが、万が一にも彼が私を捜し、私の身に降りかかったことを……就職先を探して誘い込まれ、騙され、路地裏で襲われ殺されたと聞いたら、心を痛めるのではないでしょうか。
願わくばこんな悲報が、彼の元に届きませんように。
† † †
ざらつく太い指に腿の内側を深くつかまれ、私の尻尾はぶわりと総毛立ちました。いよいよ――そう絶望に胸が震えた、その時。鈍い衝撃が走って、覆いかぶさっていた男がふいに視界から消えたのです。何が起きたかわからず、恐怖に縛られた身体は思うように動いてくれず、私は無様に泣きながら視線だけをさまよわせ、そして言葉を失いました。
暗く闇が
形勢が一気に互角になってしまいました。二人は激しい
私なんかのために彼が命を失うことになったら。
そうでなくても、彼は職人なのです。太く
万が一にも彼の職人生命に差し障る大怪我を、彼が負うようなことになったら――。
黒銀の毛並みに赤黒い血液を飛び散らせ、彼はゆっくり私を振り返りました。
「……猫の姿になれ。一緒に、帰るぞ」
優しさの中に戸惑いと、確かに込められた怒りの熱情。視界が涙の膜に覆われてゆきます。不義理な私を捜しに来てくれて、恐ろしい相手と戦ってくれた、勇敢なひと。
とはいえ私も服がズタズタなので、こぼれた胸もむきだしになったお尻も隠すことができず、このままでは表通りを歩けません。震えながらも言われた通り桜色の猫姿に変われば、彼はゆっくり近づいてきて、大きな顎で優しく
ふかふかと豊かな
「ごめん、なさい。でも、嬉しかったです。すごく、怖かったです」
「もう大丈夫だ。帰ったら、手当てをしてやる、……から」
すがるように囁けば、低い声が返ります。私の小さな全身を満たす、優しい熱と声。ざわざわと心が震えるこの感情は、やっぱり今までとは違うものだと思うのです。
やわらかな
黒獅子の刃に魅せられて。 羽鳥(眞城白歌) @Hatori
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます