黒獅子の刃に魅せられて。

羽鳥(眞城白歌)

桜色の猫は、黒い獅子に憧れて。


 暗い路地裏の片隅で、私は別れを告げようとしておりました。

 自身の命と、培ってきた技能スキルと、全力をこめ推してきたあの方とに。


 湿った石畳に広がった私の真白い髪を踏みつけて、お顔だけは美しい暴漢が不気味な笑みを向けてきます。ギラギラ光る薄氷色アイスブルーの目には狂気があふれ、男が私をなぶり尽くしてかららうつもりなのは明らかでした。

 逃れようにも両手首は男の左手にがっちりつかまれて、衣服は引き裂かれ、口をふさぐよう頭を押さえつけられた状態では、激しく肌をねぶられようと抗いようもないのです。


 たとえ誰かが路地裏で襲われている私を見たとして、助けは期待できないでしょう。魔族ジェマにとって獣人族ナーウェアなど、野の獲物と同じ。もてあそぼうとらおうと、その行為を裁く法など存在しないのですから。

 楽しげに私の肌をいたぶる暴漢の目には、怯えて涙をこぼす私が映っていて、そのあまりに救いようのない姿は、私の中にあきらめをわきあがらせて。

 私は憧れ続けた精悍せいかんな横顔を思い浮かべ、幸せを願う祈りを捧げてから、目を閉じ絶望に心をゆだねたのでした。



 † † †



 私があの方と運命の出逢いを果たしたのは三年前、夢あふれる十五歳の時でした。

 猫獣人ウェアキャットの両親と森の奥で何不自由なく暮らしていた私でしたが、幼い頃から本を読むのが大好きで。森には精霊たちも多く、手はじめにと父が買い与えてくれた魔法入門書に書かれていた理論は、私を夢中にさせたのでした。

 特に興味を引かれたのは、魔法道具マジックツール魔法製武器ソーサリーウェポンの加工技術です。

 独学で習得できる技術ではなく、森の奥地では師となり得る人物もおりませんから、私は都会に憧れました。基礎理論は独学で学び、限られた中で資金を貯め、希望に胸を膨らませて家を出たのです。


 思えば、私は人の縁に恵まれたのでしょう。

 その国は人間族フェルヴァーの国家でしたけど、魔法学校の教師は善良な魔族ジェマの方で、非常に質の高い授業を受けることができました。応用理論と実践技術を学びながら、街の雑貨屋や武器屋を回り、魔法製の品物を眺めるのを日課にしつつ。ある日私は小さな武器屋で、運命に出逢ったのです。

 非常に美しい造形の、けれども機能的な狩猟ナイフでした。

 大型のナイフというものは、汎用はんよう性に優れ、それ一つで狩りも料理も日常の雑事もいざという時の護身も、こなせるものです。それだけに、作成者のこだわりが明確に表れるもの。向ける相手にはどこまでも固く鋭く、しかし扱う者の手に馴染む温もりとやわらかさを兼ね備えたその造りに、私は魅了されました。


 興奮する私に武器屋の主人は親切にも、造り手である鍛冶かじ師を紹介してくれました。初めて扉を叩いた日のことは、今でも覚えています。飾り気のない金属片を『黒獅子工房』の文字に組んで掲げた、工房と店を兼ねた建物でした。鉄を打つ音が店に外まで響いていて、その涼やかで力強い音に私の胸は高鳴りました。

 店主で鍛治師の男性は驚いたことに私と同じ獣人族ナーウェアで、黒銀の髪を雑な感じで後ろへ流した、深碧ジャスパー色に沈む鋭い目の、見あげるほど大柄で筋肉質な人物でした。厚みのある丸い獣耳と、腰で揺れる先端にふさ毛のついた長い尾。あまりの感動に私の尻尾は逆立ちました。その方は、深い森の奥地に住み滅多に出会うことがないとされる獅子獣人ウェアレオンだったのです。

 狩猟ナイフを手に、興奮に上気した表情かおで感動ポイントをまくしたてる猫獣人ウェアキャットの女を、彼がどう思ったかはわかりません。無口で無表情で、尻尾にすら動揺を表さない方でした。それでも嫌な顔もせず、彼は私を工房に招き入れて、自分が手掛け造りあげた品々を私に見せてくれたのでした。


 今思えば、私にとってあの方は『推し職人』というべき存在だったのでしょう。学友たちは皆それぞれ趣味もまっているものも違いましたが、互いの推しを語り合い、それぞれの楽しみ方を応援し合うのは充実した日々でした。勉学だけでなく交友の面でも、私は都会で楽しく幸せな時間を過ごせたのだと思います。推し職人が造った武器を集めまくる私を引きもせず受け入れてくれた友人たちには、感謝しないと。

 卒業後の就職先はあの方の工房に、と心に決めておりました。彼が、熱く自分アピールをする私の勢いに負けたのか、私が学業によって身につけた技能スキルに魅力を感じたのかはわかりません。

 無愛想でしたが嫌な顔もせず、足しげく工房に通う私を受け入れてくれました。私の提案する武器への魔法付与も、材料と時間に余裕があれば実践してくれました。彼が造りあげる武器や道具はやはりとても美しく機能的で、二人で芸術品を造り上げるという喜びに、私は――女房気取りで調子に乗っていたのでしょう。

 私は、私の楽しみ方を彼に押しつけて、貴重な時間を無為むいに奪っていたのです。


 そもそも魔法製武器ソーサリーウェポンというものは原料費がかかり、繊細な技術が求められるため時間もかかり、価格もつりあがるため商売には向きません。私の好奇心と独占欲に付き合ったあと、彼は本来の仕事を夜更けまでこなしていたのだと。私の猫耳は人間族フェルヴァーよりより多くの音を拾うため、噂話をしていたご近所の方々は私が聞いているとは思わなかったでしょうけど。

 折しもその日は急ぎの受注があったとのことで、彼は早朝から炉に火を入れ、真剣な顔つきで熱した鉄を叩いておりました。朝方の涼しい空気に美しく響くその音を聴いていると、初めの頃の憧れがよみがえって胸を締めつけます。私は、あろうことか私の趣味活動に憧れの人を巻き込んだ挙句、大切な生業を邪魔していたのだと、ようやく気づいたのでした。

 自覚が芽生えた以上もう彼を振り回すなどできません。結局のところ私は学者に過ぎず、鍛治師の助手としてつちを振るう腕力もありません。工房に通わずとも武器屋に行けば、彼の作った武器を見ることはできるのですし。


 勇気がなかった私は、決意を伝えることができませんでした。

 もうここに来るのをやめると伝えて、そのほうがいいと認められるのも、やめなくてもいいと引き止められるのも、どちらも苦しく思えたのです。でも、こんなことになるなら――最後に感謝と謝罪と祝福の祈りを、残してくれば良かった、と。

 あれからもうすぐ一週間。突然来なくなった私を彼が心配しているかわかりませんが、万が一にも彼が私を捜し、私の身に降りかかったことを……就職先を探して誘い込まれ、騙され、路地裏で襲われ殺されたと聞いたら、心を痛めるのではないでしょうか。

 願わくばこんな悲報が、彼の元に届きませんように。



 † † †



 ざらつく太い指に腿の内側を深くつかまれ、私の尻尾はぶわりと総毛立ちました。いよいよ――そう絶望に胸が震えた、その時。鈍い衝撃が走って、覆いかぶさっていた男がふいに視界から消えたのです。何が起きたかわからず、恐怖に縛られた身体は思うように動いてくれず、私は無様に泣きながら視線だけをさまよわせ、そして言葉を失いました。

 暗く闇がよどんだ裏路地の片隅で、黒々とした大きな影が男を捕らえています。その影が、黒銀のたてがみと毛皮をまとった巨大な獅子であると気づき、波立つ感情が涙となって一気にあふれました。有利に見えたのはつかの間で、魔族ジェマの男も変身し、鷲頭と獅子の胴、大きな両翼のあるグリフォンと呼ばれる幻獣の姿に。


 形勢が一気に互角になってしまいました。二人は激しいうなり声を上げながら組み合い、噛み合って、路地裏に羽毛と毛と血が飛び散ります。何か支援をと思うものの、恐怖に震えた心と身体は魔法の一つも紡ぐことができず。

 私なんかのために彼が命を失うことになったら。

 そうでなくても、彼は職人なのです。太くたくましい両腕も、厚い筋肉をまとった上体も、戦いのためではなく、鉄を打ち金属を細工するためのものなのです。

 万が一にも彼の職人生命に差し障る大怪我を、彼が負うようなことになったら――。


 茫然ぼうぜんとする私の意識を、おぞましい絶叫が貫きました。黒獅子の強靭きょうじんあごがグリフォンの翼を引きちぎり、放り捨てるのを見ました。苦しげにもだえたグリフォンは暴れ狂い、黒獅子の爪を逃れ、逃げ去っていきます。

 黒銀の毛並みに赤黒い血液を飛び散らせ、彼はゆっくり私を振り返りました。深碧ジャスパー色の両目が私を見、それから低い声が響いて。


「……猫の姿になれ。一緒に、帰るぞ」


 優しさの中に戸惑いと、確かに込められた怒りの熱情。視界が涙の膜に覆われてゆきます。不義理な私を捜しに来てくれて、恐ろしい相手と戦ってくれた、勇敢なひと。獣人族ナーウェアは変身すると衣服が駄目になってしまうから、帰りつくまでは人の姿には戻れません。そんな状態では通りを歩くのも目立ってしまうでしょうに。

 とはいえ私も服がズタズタなので、こぼれた胸もむきだしになったお尻も隠すことができず、このままでは表通りを歩けません。震えながらも言われた通り桜色の猫姿に変われば、彼はゆっくり近づいてきて、大きな顎で優しくくわえあげ、背に乗せてくれました。

 ふかふかと豊かなたてがみに潜り込めば、身体中に彼の体温と匂いを感じます。それは今までの、ただ興奮するだけの気持ちとは違う、もっと深いところを刺激して。


「ごめん、なさい。でも、嬉しかったです。すごく、怖かったです」

「もう大丈夫だ。帰ったら、手当てをしてやる、……から」


 すがるように囁けば、低い声が返ります。私の小さな全身を満たす、優しい熱と声。ざわざわと心が震えるこの感情は、やっぱり今までとは違うものだと思うのです。

 やわらかなたてがみを涙で濡らしつつ、私は彼の工房へ帰る道すがら、淡く芽生えた恋心の温度にじんわりと浸ったのでした。

 


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黒獅子の刃に魅せられて。 羽鳥(眞城白歌) @Hatori

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