私は推しがよく分からない

タカテン

推しって何?

「そういえば最近、亜子にも推しが出来たんだ。でも亜子のは――」


 なんとなく落ち着かない、ソワソワする3月14日の昼休み。

 みんなが推しのVtuberの話で盛り上がっているのを、私はぼんやりと聞いていた。 

 正直に言うと、私はあまり推しとかよく分からない。確かに話題のVtuberとかアイドルとか芸能人とかカッコイイとは思うけれど、所詮は私と違う世界に住む人だ。付き合いで動画を見たりするけど、スパチャとかしたことがない。

 そもそもこのグループにいるのも、子供の頃から友達付き合いのある優香にくっついてきただけ。現在推しを探してますというスタンスで出来るだけ浮かないようにする、それが言うならば私の推し活だったのだけれど。

    

「推し活と言うより、オジ活だけどな!」 

 

 優香が突然そんなことを言ってきた。

 

「え、オジ活って何!? なんかエロい響きなんだけど!?」

「亜子ってば大人しそうな顔してそんなことしてるのっ!?」

「ち、違うよ! そんなんじゃないってば!」


 俄かに色めき立つみんなへ必死に否定しながら、私はキッと優香を睨みつけた。

 なのに優香ときたらニヤニヤするばかり。うー、みんなには内緒にしていてねってあんなに言ったのに。もう二度と宿題を写させてやんないんだから。

 

「そんなんじゃないって、だったらどういうことよ、オジ活って?」

「うー。そ、それは……」

「さぁさぁ、ここまで来たら白状しちまいな、亜子さんよぉ」

「優香ぁ、この裏切り者ぉ」


 年頃の私たちにとって恋愛話なんてのは、パフェやクレープみたいなもの。

 しかも甘いものと違っていくら摂取しても太らないのだから、そりゃあもうこんなんいくらあってもええですからねって奴なわけで。

 見逃してくれる、なんて甘い希望は持てるはずもなかった。

 

「……実はこの前のバレンタインデーにね。チョ……チョコを渡したの」


 覚悟を決めても、いざその言葉を口にするとあの時のことを思い出して緊張のあまり噛んでしまった。顔も真っ赤になっているのが自分でも分かる。心臓の鼓動が早すぎて今にも破裂しそうで怖い。

 

「なんと! 奥手の亜子タンがチョコを!」

「で、誰に渡したの、亜子?」

「えっと、その……マスター」


 かき消えそうな声で白状した名前に、みんなが怪訝そうな顔をする。

 き、聞こえなかったのかなと、もう一度その尊い名前を繰り返そうとしたら。

 

「問おう、誰がサーヴァント・亜子のマスターか!?」

「そうじゃねぇよ! マスターと言ったら商店街の喫茶店・ミナミーノのマスターに決まってるじゃろ!」


 ボケに素早くツッコミを入れた優香の言葉に誰かが「えっ!?」と小さく声をあげた。

 そしてさっきよりもさらに怪訝さを増した目つきで私を見つめてくる。

 その視線に耐えられず、私は赤面したまま顔を俯いてしまった。

 

「えええええええええええええっっっ!?」


 そんな私の反応にみんなが大声をあげる。

 それもそのはず、ミナミーノのマスターはオジさんどころか68歳のお爺ちゃんだった。

 

 

 

  

 喫茶店ミナミーノは商店街の片隅にある、昔ながらの喫茶店だ。スタバやドトールなんかと比べると私たちみたいな高校生が入るには敷居が高くて、最初はすごく緊張した。

 だけどいざ入ってみると凄く落ち着いた雰囲気で、一緒に行った優香たちはともかく私はとても気に入ってしまった。

 そしてコーヒーのいい香りや静かに流れるジャズの中でやる勉強はすごく捗ることもあり、気が付いたら私は週に二回は通う常連さんになっていた。

 

 そんなわけだからマスターたちとも親しくなるのは自然のことだろう。 

 だから日頃の感謝の気持ちを込めてバレンタインチョコを、せっかくだから手作りのを送ろうと思ったのはいいのだけれど。


「なんかね、そんなにお話しするわけじゃないんだけど、マスターと一緒にいるとポカポカするの」

「それって好きってことじゃん!」


 わけを話して手伝ってもらった優香のその言葉から、おかしくなった。

 好き? マスターのことが?

 いやいや、相手は私みたいな孫がいてもおかしくないお爺ちゃんだし。それにたまにお店を手伝う奥様だっていらっしゃるし。

 ないでしょ? うん、ないない。このチョコはあくまで感謝の気持ちであって、好きとかそんな……。

 

『あの、マスター……好きです』


 なのにあの日、一ヵ月前のバレンタインデーに私は何故か告白をしてチョコをマスターの胸へ押し付けるように渡してしまった。

 どうしてそんなことをしてしまったのか、自分でもよく分からない。

 ただ、コーヒーを淹れるマスターを知らず知らずじっくりと見ていたら、気が付いてしまった。

 意外と長いまつ毛。その奥に潜む、木漏れ日のような瞳。髪の毛は夏空にぽっかりと浮かぶ羊雲みたいに穏やかで、微かに微笑みを浮かべる頬は心地よい清風を想像させる。

 そして何よりコーヒーを淹れる立ち姿の美しさに見惚れて、気が付けばその言葉を口に出していた。

 

 あれから一ヵ月、さすがに気まずくてお店には顔を出していない。

 本当ならもう行くつもりもなかった。

 ただ、いざホワイトデーを迎えるとなんかソワソワして、そこを優香に見抜かれ、あのタイミングでの大暴露。

 結果、放課後に半ば拉致されるような形でミナミーノまで連れてこられてしまった。

 

「いざ!」


 先陣を切って優香がお店の扉を開く。

 

「いらっしゃいませ。……おや?」


 一ヵ月ぶりに聞く、マスターの優しい声が私たちを迎え入れてくれる。

 

「そこにいるのは亜子さん……よかった、来てくれたんですね」


 背中を押されてカウンター越しにマスターと向き合う形になったものの、私はその顔を見る勇気が出てこなくて思わず俯いてしまう。

 怖かった。柔らかい木漏れ日のような眼差しが、困惑に陰を落とすところを見るのが。爽やかな青空のように佇む微笑みに、憐みの雲がかかるのを見るのが。

 

「もう来てくれないかなと思ってましたよ。さぁ、座って。いつものコーヒーでよろしいですか?」


 わざわざカウンターから出てきてくれたマスターが、窓際の席へと案内してくれた。

 かつて通っていた頃に、私がよく座っていた席だ。下を向いたまま黙って席についた。

 みんなはそんな私から離れたテーブルに座ったようだった。

 

 ほどなくして香ばしいコーヒーの濃い香りが俯いたままの私の鼻孔を擽ってくる。

 

「さぁ、どうぞ。それからこれも」


 コーヒーと共にテーブルに置かれたのは……これはアップルパイ?

 

「見た目はちょっと酷いですが、味は悪くないはずです」

「これは……もしかしてマスターが?」

「はい。先日、亜子さんがくれたのは手作りだったでしょう? だったら僕も手作りでお返ししなくちゃいけないなと思って」


 以前に訊いたことがあった。お店で出すケーキは全部マスターの奥様の手作りだって。

 マスターはコーヒーこそ上手に淹れられるものの、ケーキ作りはまるでダメなんだって。

 

 そのマスターが私の為にアップルパイを自らの手で焼いてくれた。

 私の中に渦巻く恐怖がたちまち綺麗さっぱりと消え去る。

 見上げる久しぶりのマスターの顔は、いつものように優しい微笑みを浮かべていた。

 

「あ、えっと。それじゃあ、いただきます」


 マスターの言うように、見た目はあまり美味しそうとは言えないアップルパイをそっとフォークで切り取り口へと運ぶ。

 瑞々しくシャキシャキとした甘いリンゴと、パイ生地のサクサクとした歯ごたえが、やっぱりこれもマスターの言葉通り、とても美味しかった。

 

「美味しいです」

「本当ですか? やった!」


 くしゃりと、マスターが顔を大きく崩して笑った。

 まるで幼い子供のような笑顔。こんな顔もするんだと思わず見とれた。

 

「やったわね、あなた」


 そこへ厨房から現れたのは、マスターの奥様だった。

 マスターと同じように髪の毛は染めずに白いままだけど、うっすらと乗せた化粧といい、身に付けている装飾品のデザインといい、品の良いお洒落なお婆様だ。

 

「聞いたかい? 僕が作ったアップルパイを美味しいって言ってくれたよ!」

「良かったわね。それより他の可愛らしいお客さんたちがお待ちよ。早くコーヒーを淹れて差し上げなさいな」


 言われてマスターは慌ててカウンターに戻り、代わりに奥様が私の席の向かいに座った。

 

「さて、あなたとは一度話をしてみたいと思ってたの」

「あ、あの……私……」

「あ、大丈夫よ。怒ってないわ。それよりも私ね、嬉しいの。私以外にもあの人の良さを分かる人がついに現れたかって! だってあの人、喫茶店のマスターなんて洒落た職に就きながら私以外にモテたことないのよ? あまりにモテないから私の感覚がおかしいのかと思っちゃった」


 てへとお茶目に笑いながら、奥様がマスターのどんなところに惹かれたのかを訪ねてくる。

 私はそんな奥様に少し驚きながらも


「あの、コーヒーを淹れる姿が」

「そう! アレ、カッコイイのよね!」

「それから温かいお日様みたいな瞳が」

「分かる! 日向ぼっこみたいな温かさなのよね」

「それに穏やかな笑顔が」


 奥様に乗せられて気が付けばどんどんマスターの好きなところを挙げている自分にもっと驚いていた。

 

「いいわねー! こんな風にあの人の素敵なところを話し合える仲間が出来るなんて思わなかったわ」

「私もです」

「これってアレね。若い人たちがいうところの推しって奴よ!」

「推し?」

「そう。私たち、あの人の推し仲間ね!」


 屈託ない笑顔で笑う奥様に、私もつられて笑った。

 そうか、これが推し。好きとはまた違う、どうしようもなく惹かれてしまう感覚。

 みんなの言いうそれが、なんとなく私にも分かったような気がした。


 

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