【7】

松山を離れる前に両親と道後温泉に行った。

道後温泉の記念に何か想い出になるような おみやげ1つ選ぶように言われて 色々ある中で 自分は 靴の形の 鉛筆たてを選び でも 道後温泉らしくはないなあ って言ったら それがいいのなら それでいいよって両親に言われた。

松山の中学の担任の先生は毎日よく「~するぞな」 だとか「ここは覚えとくぞな」「テストに出るぞな」とか言ってて、先生から松山愛を凄く感じていた。松山を愛してる気持ち凄く伝わってきてた。

担任の先生が放課後のホームルームで みんなに、沖縄へ転校することになったと伝えてくれて 何か少し遠くに行ってしまうから さびしい みたいな感じに言ってくれたけど まあ確かに松山を離れるのは さびしかったんだけど 沖縄の中学に転校して行くことには 楽しみのような気持ちも実際あった。なかなか沖縄の中学まで行けないだろう っていう。松山の友達や学校や、松山の街の景色や、ミカンや坊っちゃん団子や一六タルトや五色そうめんなどの松山の美味しいものたちと離れてしまうさびしさはあったけど これから新しく沖縄で暮らしていく楽しみもあった。松山には4年間住んでたから そろそろどこかに転校するんだろうなぁ~っていうことは わかってたし。

松山城の近くの中学は趣きあって良かった。毎日通学できて貴重だった。出来たら3年間通学したかったけど自分の場合は転校のあることはわかっていたから次の沖縄の中学でしっかりやっていかねばっていう気持ちだ。松山の小学校へ転校して来た初日は、街であいちゃんに会ったりだとか、その日から松山での小学校生活の始まる期待に胸をふくらませていたんだけれど、松山を離れる日は逆にとてもさびしくて、胸がめっちゃ切なく感じる。松山空港から飛行機に乗って大阪に行った。大阪には、お母さんのほうの祖父母の家があるからだ。祖父母と会って、何日間か一緒に家で沖縄に行く話とかをしながら過ごして、そのあと空港から飛行機に乗って那覇空港へ行った。

沖縄の中学への転校初日 ぶっちゃけ中学生くらいで転校するのも めっちゃめんどくさいなあって ふと思ったりもしたけど そんなことを思っても 沖縄の中学生活は始まってしまうから めんどくさいとかって思うより 沖縄でやっていくぞと そう思うようにして だからそれ以降 めんどくさいだとか 転校するのイヤだなあ とかは思わなかった。

沖縄の中学への転校初日 教室の前でみんなに愛媛県松山市の中学から転校して来ましたと自己紹介した。それから自分の席についたら先生に 松山での中学生活のことを色々聞かれて 沖縄の先生も本土の中学生のこと やはり興味あるんだなあと思た。でも先生が色々聞いてくれて みんなも自分の話を聞いててくれるから それで少しは みんなにも自分のこと わかってもらえるし それもあって 先生も自分に みんなの前で色々聞いてくれてるのかなあと思った。その日は学級委員を決める日でもあったらしく 先生が自分に松山の中学はどうやって決めてたかを聞くから立候補ですって答えたら 自分も立候補してたのって聞かれ 自分はしてないですって答えたら 「そうか」って言って しばらく何か考えてるみたいで そのあと先生が自分に学級委員になるように言った。それからクラスの他の色んな委員をみんなの立候補で決め出した。その日のうちにクラスの各委員すべて決まって沖縄の中学への転校初日も終わった。先生が自分の家の近くの子を紹介してくれて その子と一緒に話しながら下校した。

沖縄の中学の担任の先生は 生徒の弱い点を 強い点に 変えようとしてくれる先生だった。中学生活3年間で その生徒の弱いところを 強いものに 変えてやろう と、そういう意思を持って 教育してる先生だ。だから 先生は 自分の転校初日に 自分は 前の中学で 委員に立候補していない つまり積極性がない だから この中学に来たからには 積極性を出させるためにも 自分を学級委員に させよう と、そういうふうに考えて 自分を学級委員にさせてくれたようだった。

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