第10話 寂しくないの?

「寂しくないんですか?」

 大路さんからのこんな一言。

 その目はほどよく蕩けており、どこか誘うようでもあった。


 一体、なぜこんなセリフを言われたかといえば、時は2時間ばかり遡る――


 今日は大路さんの歓迎会。会社の近くの居酒屋で開催された。

 幹事かつ一番年下だった(今は大路祥子さん)俺は、皆の注文を聞いて回ったり、料理の減り具合を見計らいながら空いた皿を端にどけたり、ビールが無くなりつつあれば空瓶を脇に片付けて追加注文したり――まあ、せわしなく動いた。


 今は会社の飲み会自体が減っているらしい。


 理由は2つ。日本全体のお給料が抑えられて皆の懐具合が寂しくなっていることと、若い子たちが積極的に参加したがらない、といった具合だ。


 正直、その気持ちわからなくもない。


 これって、幹事や若手は仕事の延長と何も変わらない。むしろ、自分の作業に没頭できる仕事以上に、大変な役回りだ。

 わいのわいの。盛り上がれば盛り上がるだけ、労力は増し増し。

 そりゃ、敬遠されるわけだ……と、ぬるくなったビールをぐいっと口に流し込む。場がまったりし始めてようやく自分の酒が飲めるようになった。すぐ近くでは、「やだなあ、もう」なんて、合いの手入れながら、巧みにおじさんたちを回していく大路さんがいる。

 この飲み会を通じて得意先との接待を学ぶ、なんて建前もあるのだが、彼女ならそんな杞憂も必要ないほど、うまく立ち回れるだろう。こういう時は、来世があるなら女の子(容姿に恵まれた)に生まれ変わりたいなと、しみじみ思ってしまう。


 はあ、疲れた。

 明日は休みだし、歓迎会が終わったら、いつもの日高屋で飲み直そう。もしかしたら、飛田さんにも会えるかも……。そんな期待に胸を膨らませていると、


「先輩。もちろん行きますよね」

 大路さんだ。酔っているのか酔っていないのかわからない、その口調。

「えっと、どこに?」

「に・じ・か・い」

「ごめん、俺はパス。もう疲れちゃったよ。さっきから料理もほぼ食べてないしね。大路さんは皆とコミュニケーションも兼ねて行ってきたら」

「え?」

 きょとんとされた。くりくりした大きな瞳が俺を捉える。そのまま顔を迫ってきて耳元に唇を近づけられた。

「皆とは行きませんよ。先輩とですよ」

「二人で?」

「あれ~」

 約束忘れちゃったんですかあ。

 そんな尾を引く甘ったるい声をされた。


 そんなわけで、今、俺と大路さんは例の場所にきている。

 大路さんから「先輩の好きなところでいいですよ」と投げられたので、それならばと、いつもの定位置へと。

「あの~」とこちらの顔を覗き込む大路さん。「なんで、一緒に来てるのにカウンター席なんですか?」

「だって、俺の好きなところでいいって言ったじゃない」

 ぐびっとビールを飲む。幹事の疲労に、麦とホップが優しく染みていく。ああ、うまい。


 そう――ここは日高屋カウンター席。


 配置は左から順に、知らないお客さん➡俺➡大路さん➡知らないお客さん。

 以上、終了というわけだ。

「もしかして、ひとに先輩って……」

「て?」

「KYってやつですか?」

「ちがわいっ!」


 確かに、彼女と一緒に入店しているのにカウンター席をチョイスしたのは自分でもまずかったと反省している。でも、金曜日の夜ということで既にお店は満員御礼状態。テーブル席が空くまで待つのも、それはそれで面倒だ。

 彼女から締めのラーメンなら王将でもいいんじゃないですか?と提案されたが、そこは譲らなかった。


 今、おれは……。

 1週間のお仕事から解放された、いま……。

 俺は無性に……。


「おまちどうさまでーす」


 若い店員さんが運んできたのは「ちょい飲み」定番中の定番メニュー。

 メンマ、キムチ、やきとりの三点盛り合わせ。

 そう、俺は――この三点盛りでちょい飲みをしたかったんだ!


 ほぼ何も食べられず、おじさんたちに気を配りまくり、空腹は極限ということも重なり一心不乱に貪りつく。

 やべーっ、うますぎ。

 しかも、このやきとりってネギまで合えてるんだよね。キムチの辛味と合わされば、まさに至福。全くいい仕事してるわ。ビールがよく合う。

 嗚呼、そしてこのメンマもしゃきしゃきで、

 キムチも……


「先輩って、いつもひとりで飲んでるんですか?」


 はっと気がづく。横を向くと、大路さんがつまらなそうにレモンサワーを飲んでいた。


「一応。あたし。いるんですけど。となりに。先輩の」


 ごほんと咳払いをして、「ごめんごめん。全然、食べれなかったからさ。腹減っちゃって」

「先輩、気にし過ぎなんですよ。皆と一緒にわいわい飲んで食べればいいじゃないですか。必要以上にお酌とかして欲しいなんて誰も思ってませんよ。皆さんいい大人ですし」

 実際、彼女の言う通り、細やかな気配りなぞ誰も望んでいないのかもしれない。でも、昔からずっとこうだったし、人に気を遣い過ぎて――


「――いつしかひとりで飲むことの気楽さ、癒しを覚えてしまったわけよ」


 ぽつりと本音が漏れてしまった。はあ、情けない先輩だこと。

 案の定、大路さんの返しは厳しい。


「話し相手がいないお酒なんて寂しくないんですか? つまんないですよ、そんなの。先輩、気付いてますか? あたし、今、すごいつまんないんですけ――」


「それは聞き捨てならないわね」


 どこかで聞いた声。

 その香り。

 俺の隣に、どかっと座ったのは――飛田香耶さんだった。




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