第6話 ASMR

 ろ、ろ、ろ――ロリババアだと……


 ロリはいいけどババアでは断じてない。だって、めちゃくちゃ色気もあるし、可愛いし。そういえば、情報通?の先輩いわく、どうやら飛田さんは36歳らしい。


 これってアラサーなの? 

 アラフォーなの? 

 どっち? 


 いや、どっちでもいい。だいたい、何でもかんでもひとまとめにしようとするネーミング自体が、俺は好きじゃない。横文字に置き換えればいい、みたいな、そんな風潮が嫌いだ。その最たる例がニート。ニートお? あんなのただの無職でいい。汗水働いて、社会保険料を差っ引かれて、スズメの涙しか残らない俺の財布がそう叫んでいる。変な言葉遊びが差別だなんだのと、余計な言葉狩りを助長するのだ……っ!


 と。


 今日も日高屋のカウンター席でひとり酒を飲む。

 ぐびぐび、ぐびぐび。

 ぷっっっはあ~。

 いやあ、今日もビールが旨いわ。


「ロリババアなんてありえないですよねっ、飛田さん」


 そう思わず、言葉に出してしまった。


 PM10時。日高屋カウンター席。俺の隣には、先ほどから、ぐちぐち妄想と妄想を戦わせていた話題の張本人――飛田香耶さんが鎮座する。その距離30cm。今日もご機嫌麗しい。甘い香りを漂わせて、きっちりと前髪が垂れないように髪を結んでいる。

 はっきりしていることは、当然仲良く示し合わせてこの店にきたのではない、ということ。単純にお店に入ってぐびぐび酒を飲んでいたら、店員が「この席どうぞ」と飛田さんを誘導したのだ。


 つまり――素敵な偶然。

 必然ではない。


 そのため、当然、俺のこの呼びかけは無視された。一瞬だけ、飛田さんのジョッキを持つ手がぴくりと反応したが、無情にも店内のがやがや音にかき消されていく。


 彼女はちょい飲みをする時、自分の世界に入り込む。そこに――わずか30cmの距離に――同じ会社、かつ一般の社員に比べてそこそこ顔馴染みな俺にさえ一瞥もしない。

 まさに、いないも同然。

 他人(俺)は路上の石ころとイコールだ。


「は、話し掛けちゃってすみません」


 そんな謝罪も無視。だいたい、なんで謝るのかも理解不能なのだ。俺も、当の飛田さんだって。


 今日の彼女は……マカロニサラダと冷ややっこを食べていた。

 その純白のコンビネーション。

 飛田さん……俺も好きです、ソレ。


 飛田さんはマカロニをちゅるんと食べると、ごくごくとホッピーを飲む。そうそう、マカロニみたいなさっぱりしたやつって、意外とホッピーが合うんだよな。顔だけは前を向き、全ての神経は彼女の一挙手一投足に向けながら、にやけてしまう。むにむにとマカロニを咀嚼する音さえも聞こえてくる。


「んんン……。ああぁ……。んふううぅ」


 至福の飛田さんの喜びが吐息となって漏れてくる。


 飛田さん……。

 ちなみに、俺が好きなのは――

 あなたの注文と、

 あなたのエロい食べっぷりと、

 あなたそのものです、

 から……。


 ああ、なんであなたは毎回毎回、そんな艶めかしく酒を飲んだり、おつまみを食べれるのだろう。もしかしてわざと男を誘惑してませんか。こんなの意識せずにはいられないだろ。こちらもその食べっぷりに呼応するように、彼女と同じ注文をしてしまう。嗚呼、悔しいかな、確かに彼女のチョイスしたおつまみとホッピーがよく合うわ。

 くううと今日も悶える一二 三ひとに みつ、26歳(童貞ではない)。


「てゆうか、ひとにくんとはよく会うわね。この辺に住んでるの?」


 前回と同じく、会計を済ませて外に出ると声を掛けられた。この変わりよう。さっきまで1ミリたりともこちらの顔は見なかったくせに。


「はい。僕の家はここから歩いて10分ほど大通りを歩いて、路地に入ったところです」

「ふーん。そうなんだ。それで、ここにしょっちゅう入り浸ってるわけね」

「家がちっちゃいんで、台所も狭く、料理する気も起きず、いつも外食がてらここで飲み食いしてる感じですね」

「台所狭いと何にも作る気しないよね。わかるわかる」


 ん? この流れって……「切っ掛け」ってやつじゃないのか? 


「も、もしかして飛田さんもこの辺に住んでるんですか? ご近所さんってやつですか? 意外と、俺のマンションの隣だったりして」


 この問いかけに、飛田さんはきょとんと黒目を小さくした。やっばい。興奮のあまり、ちょっと、いやかなり食い気味に彼女のプライベートを探ってしまった。


 飛田さんは無言だ。じっと、こちらを見つめる。


 どうなんだ。というより、流石に怪しまれたか。アルコールも相まって鼓動も早くなり、顔が真っ赤に染まり始める。

 そして――




「ぶー」




 この回答。

 ふふっと彼女は意味深に笑い、春風がさああっと走り抜けた。アスファルトに散らばった桜を舞い上げ、彼女の笑顔を覆い隠す。


「じゃあ」と飛田さんは手をあげて、「明日もお仕事頑張ろうね」と背を向けた。薄いベージュのスプリングコートに舞い落ちた桜の花びらが、体の動きに合わせて舞い上がる。

 その可憐な後ろ姿に思わず、こう突っ込んでしまった。


「飛田さん!」


「ん?」と振り返る。


「明日は休日ですよ」


「ああ」そっかそっかとうんうん頷き、「ゆっくり休むことも仕事のうちよ」


 ばいばーい。


 と、そのまま去っていった。


 どんどん小さくなる背をいつまでも見つめながら、込み上げる胃酸を飲み込むと、仄かな甘みがした。



 ――第一章「飛田香耶ですけど」終わり。第二章へ――


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