第4話 無言のお隣さん

 飲み会――


 この定義って明確なものはないけれど、大多数の人数で美味しい食事を囲みながら、わいわいお酒を飲むということだと思う。その反対に属するが、ちょい飲み。一人でお店に入り、酒をちびちびあおり、おつまみを口にする。その口は、お酒を飲むため、おつまみを食べるためにあり、決してお喋りをするために非ず。

 ザ・孤独のグルメに他ならない。

 じゃあ――この状況って、なんて言えばいいの?


 ぐびっとビールを飲む俺。

 そのすぐ隣の席(距離30cm)で、ぐびびっとビールを流し込む飛田さん。

 同じ会社で、上司部下の関係、でもちょっとだけ顔馴染み。

 だが、互いに無言。目線すら合わせる気もない。

 そして、特に喧嘩しているわけでもない。

 ただ、お互いが酒のみに集中し、相手の存在をいないかの如く扱っている。

 その視線の先にあるのは、壁。

 メニュー表だけが渇いた心の風景に彩りを与え、時折、風(空調)にのって飛田さんの甘いリンスの香りが鼻腔をくすぐる。


 えっと……耐え切れん。


 ちらっと彼女に目を向ける。

 当然、ガン無視された。

 普通、真隣の人間からちらりと視線を向けられたら、ちょっとぐらいはぴくりと反応するもんだが、彼女は不動。岩のごとし、酒を飲む。一杯飲み干して、おかわりも注文しちゃう。


 ……まあ、いいか。軽く眉間を揉んで、心を落ち着かせよう。


「おまちどうさまです」

 店員さんが、俺と飛田さんの注文を同時に運んできた。

「えっと……、お会計は別々ですよ、ね?」

「はい」と反応する飛田さん。

「失礼しました」ぴゅーと立ち去る店員さん。


 さて……気を取り直して……と。


 ビールのおつまみに、餃子をひとつまみ。ぷりぷりの皮から、じゅわあっと肉汁が溢れる。旨味が口中に広がると同時に、その横から、サクサクとイワシフライを齧る飛田さんの咀嚼音が耳に入る。

 彼女はなかなかに通。

 この日高屋、隠れた人気メニューの一つでもあるイワシフライを注文したのだ。日高屋はいうまでもなく中華料理チェーン店。正式な看板名でも「熱烈中華食堂日高屋」と銘打っているので、間違いない。

 その中で異色とも呼べるメニューが、このイワシフライ。純和風なイワシが、さくさくに揚げられて、口に含めば、苦味とイワシのほくほく感がたまらない。皿に盛られたカラシとソースを絡めれば、ちょい辛でなお美味しい。


 サク、サク、サク。

 ごく、ごく、ごく。


「はあぁぁぁ……」


 艶っぽい声が俺にだけ聞こえてくる。

 だって、距離近いし。たった30cmだし。


「んう、んう、んんン……ああぁ」と追加注文のハイボールをごくごくと飲み、「はあぁぁぁ……おいしいぃぃぃ」


 おいおい、ちょっと待ってくれよ。


 こ、こんな、食欲と性欲を同時にくすぐられたら……。

 だめでしょ、飛田 香耶ひだ かやさん。


 こんなの意識するなっていうのが無茶だろ。アルコールが無くても酔いが回るのが早くなってしまう。そんな悶える俺の心を手のひらで弄ぶように、彼女のちょい飲みは続き、互いに無言のまま静かに時は流れていった。

 そして――お会計。

 奇しくも、ほぼ同じ時間にレジカウンターに向かうことになった。

 

 最近、日高屋は会計を済ますと、クーポン券が配られる。内容は、麺の大盛り、ライス大盛り、味付玉子の半額といった、わんぱくボーイ、ガールに嬉しい中身となっている。

 また来てねってことだ。

 また来るよと、心の中でつぶやく。


「いやあ、美味しかったね。ひとにくんもそう思う?」


 先に会計を済ませて、外に出ていた飛田さんから笑顔を向けられた。その頬はピンク色に火照っており、肩から湯気を出している。


「は、はい」


 えっと……、どういうこと。さっきまで、怖い顔して、わたしに話し掛けないでねってオーラむんむん発していたのに。


「仕事帰りのちょい飲みはいいわね~。これのために働いてるみたいなもんよ。あなたはどうなの? 好き? 日高屋」

「ま、まあ、そうですね。てゆうか、いいんですか?」

「ん? なにが?」

「いや、だって……。さっきまで、話し掛けないでって感じだったのに」

「ああ」と肩の埃を払うと、「別に今は飲んでないでしょ。しかも、同じ会社の仲間じゃない。そんな人に対して無視する方がおかしいじゃない」


 色々と混乱してきた。こめかみを親指で揉んで、こりをほぐす。


 つまり、飛田さんは……


「じゃあ、明日もお仕事がんばろうね」


 さっと手を上げて、ばいばーいと人込みの彼方へ消えていく。そんな彼女を黙って見送り、そのお姿が完全に見えなくなるまで、その場で立ち尽くす。


 もしかしないまでも。

 

 酒を飲む時だけは、話し掛けたらダメってこと?

 そうなんですか?

 飛田香耶さん。


 くうう~。


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