推しの部屋の壁になりたい

陽澄すずめ

推しの部屋の壁になりたい

 ハッと気が付くと、私の目の前に綺麗な女の人がいた。

 豊かに波打つ金色の髪に、宝石のごとく輝く青い瞳。ファンタジーの物語で見たような裾の長いローブを身に纏っている。まるで……


「私は命を司る女神。あなたは今、生と死の狭間にいます」

「えっ……私、死んだの?」

「そうです。大型トラックに轢かれて」


 思い出した。

 推しアイドルのライブに向かう途中、道路を渡っている時に信号無視のトラックが突っ込んできた。そこから記憶が途切れている。


「ラ、ライブは……?」

「残念ながら」

「嘘ぉ……ライブだけを楽しみに仕事とか頑張ってきたのに……あんまりだよぉぉ」


 絶望が全身を襲う。だけど私の身体は既に実体がないらしい。周りにあるのは一片の曇りもない青空ばかり。どうやら魂だけの状態になってしまっているようだ。


 女神は穏やかに微笑む。


「あなたが頑張っていたことは、天上界から見ていました。このまま生を終えてしまうにはあまりに不憫ですので、好きなものに転生するチャンスを与えましょう」

「転生……?」


 な◯う小説のプロローグでよくある感じのやつだ!


「好きなものって、何でもいいんですか?」

「えぇ。何がいいですか?」

「じゃあ……」


 またとない機会だ。私は日頃から考えていたことを口にした。


「じゃあ私、推しの部屋の壁になりたいです」

「壁」

「壁になれば、推しの様子を観察できるじゃないですか。アイドルとしての顔じゃない、ありのままの彼を見守りたいんです」


 リアルに絡むのは興奮しすぎちゃうから、たぶん無理。私を私と認識されずに、ただの無機物の立場でじっと見つめていられたら、どれほど幸せだろうか。


 女神はゆっくりと頷く。


「分かりました。最近はそういう声も多いので、壁として生まれ変わるコースのご用意もございますよ」

「へぇ、そんなコースがあるんですか」

「えぇ。お客さまはどんな壁になりたいか、具体的なイメージはありますでしょうか」

「どんなって……いや、ぱっと思い付かないですね」

「例えば窯業系サイディングがいいのか、金属系サイディングがいいのか、それともモルタルがいいのか」

「ちょっと何言ってるか分からないですけど」


 戸惑う私に、女神は提案する。


「最近ですと、断熱性の高い壁が人気ですね。夏は涼しく、冬は暖かく過ごせますよ」

「あぁ、それは大事ですね」


 推しを見守ることに加えて、暑さ寒さからも守れるなら一石二鳥だ。


 女神は二つの模型を取り出した。


「特長が分かりやすいように壁の構造模型を用意しました。右は他社さんの壁なんですが、中身は分厚いコンクリート材の一枚のみなんです。だけど左の方、ウチで扱いのある壁ですと、外壁サイディングの内側に通気層パネルと防湿シートがあり、一二〇ミリの断熱材を挟んで石膏ボードという構造になっています。これで通気性を確保しながら保温性も抜群という、高い機能性を実現しました」


 しかし、それぞれのボードは驚くほど薄い。


「これ、耐震性とか大丈夫なんですか? 大きい地震が来たら割れちゃいません?」

「その点もご安心ください。厳選された頑丈な素材でできた壁と床を、独自の技術で強固に緊結しています。それを高強度のベタ基礎でしっかり支えていますので、業界の中でも高い耐震性を誇っているんですよ」


 それならば安心しても良さそうだ。

 私の子供の頃に阪神淡路大震災があった。東日本大地震も記憶に新しい。

 地震の多い国である。強い壁となることで推しの身を守れるなら、これ以上ない本望だろう。


 私の前に、今度はモニターが現れる。


「せっかくなので、この映像もご覧ください」


 映し出されたのは、数年前にあった水害の様子。局地的な集中豪雨により川が決壊し、下流域にあった街が大規模に浸水した。

 轟々とうねる濁流に、家も車も押し流されていく。

 その中にただ一つ、どうにか原型を保って耐えている家があった。屋根の上には幼い子供を連れた家族の姿がある。救助を待っているようだ。


「あっ、この映像、見覚えあります」

「えぇ、業界内でもちょっとした話題になったんですよ。実はこのお宅、ウチで建てた家なんです」

「えっ! そうなんですか? すごい!」


 女神は満足そうに頷く。


「こういう大災害では、住宅はどうしても駄目になってしまいます。だけどこのように、少しでも長く崩れずに耐えられるならば、ご家族の命を守ることができるでしょう」

「命を……」


 モニターは、屋根に避難した家族がヘリコプターの梯子で降りてきた隊員に救助される様子を映している。

 私は既に失った胸が震えるのを感じた。


「私……この壁になりたいです。推しの命を災害から守ります」

「分かりました、お安いご用です。これまでは構造の話ばかりでしたので、次は壁紙を決めてくださいね」

「えっ、壁紙も選んでいいんですか?」

「えぇ。カタログがありますので、ぜひご参考になさってください」


 女神から分厚いカタログを受け取る。各ページに壁紙のサンプルが貼り付けられたものだ。

 柄だけ見ても、シンプルなものからお洒落な柄の入ったものまで、多種多様だ。更には汚れ防止機能や抗菌・抗ウイルス仕様になっているものもあり、その種類は優に二〇〇を超える。


「なんか、見れば見るほどどれがいいのか分からなくなってきた……」

「何かお好きな柄はありますか? お客さまのイメージですと、可愛らしい小花柄なんかお似合いだと思いますよ。壁紙は自分らしさを表現できる部分でもありますので、ぜひお好みに合うものをお選びくださいね」

「まぁ、確かに花柄とか好きですけど」


 そこで私ははたと気付く。


「……推しの部屋の壁ですよね?」

「そうですよ」

「私の好みじゃ駄目ですよね?」

「転生特典で、問題ありません」

「いや、そうじゃなくて」


 そもそも、なぜ壁になりたいと思ったのか。


「そこに私らしさがあったら意味ないんですよ。私は無機物でいいんです。ただの壁として、推しを見守りたいだけなんですから」


 だんだん冷静になってきた。


「いや……壁になったらライブ行けないな。グッズも買えないし。あの、すいません。やっぱり壁になるの、やめていいですか?」

「えっ?」

「結局、今まで通りの推し方で推すのが一番いいかなって。転生ってことだと、自分の身体に戻るのは無理なんですよね?」

「いや、できなくはないですけど……」

「できるの? じゃあそうしてください」


 なーんだ。それならそうと、初めから言ってくれたら良かったのに。

 女神はなぜか名残惜しそうな顔をしている。


「……では、ご自身の身体に戻しますね。よい人生を」


 途端、私の魂は温かな光に包まれた。

 良かった。これでまた推し活ができる。ライブはまたチケットを取ればいい。

 推しの存在が私を生かす。せっかく命拾いしたんだから、これからは気を付けて生きなくちゃ。私は推しと共に生きる——!


 ◇


 一つの魂が地上へと戻り、女神は深くため息をついた。


「あーあ、今回も布教失敗かぁ」

「あんた、がっつきすぎなのよ。そりゃお客さんも引いちゃうって」


 いつの間にか隣にいた同僚が緩く笑っている。女神はムッとした。


「だって、住宅構造の素晴らしさを知ってもらいたいじゃない? どうせなら納得した上で転生してもらいたいし」

「あんまりニッチな情報教えても逆効果だってば」

「そんなぁ」


 女神は住宅構造マニアだった。その見識は間取り良し悪しのみならず、基礎や壁の造りにまで及ぶ。

 人間界を観察するうち、さまざまな工夫の凝らされた建築の技術に興味を持ち、独学で知識を得たのだ。

 最近は先ほどの女性のように「推しの部屋の壁になりたい」と申し出る者がいるので、それにかこつけて布教活動をしているのだが。


「なかなか上手くいかないなぁ」

「あ、次の魂が来たみたいよ。また壁希望者だといいわね」

「今度はもっとお客さまのニーズを正確に捉えてみせるわ!」


 こうして女神の推し活はまだまだ続く。



—了—

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