Theme from LOST BAGGAGE

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 無言で首から下げた通行証を門番に提示すると、敬礼で通される。横にある防衛省と書かれた看板に目をやると、往来の多い靖国通りとは違う世界に入る。

 正面玄関を超えて、敷地内の奥の方に進むと、少し古い雰囲気のするF棟が見える。正面玄関を通り過ぎると、すぐにエレベーターホールに向かう。


 ボタンは、地下一階から七階しか選択肢が無いが、ボタンが並んだところから少し下が、四角形で色が薄い灰色の塗装になっている。この辺りにIDカードをかざしながら、七階を押すと、地下一階より下、限られた者しか入らぬ地下七階に降る。

 今の庁舎は十七年前に建て替えられたものだが、戦前も地下深く、作戦会議は窓がない部屋で行うと決まっていた。


 地上階は廊下にポスターを張り出したり、掲示板に書き込みや連絡で溢れかえっているが、ここはコンクリートむき出しの、夏ですら寒さを感じる殺風景極まりない廊下だ。照明は等間隔にLEDが付いているが、間が長く、明るいはずなのにどこか薄暗さを感じさせる。


 道なりに少し行くと、仏頂面で大柄な警備員が立っている区画にたどり着いた。無言で顔写真付きの許可証を出し、IDカードを再びリーダーに読み込ませると、厚さ七cmの扉が開く。


 その先も殺風景なコンクリートむき出しの通路が続く。情報室、とだけ書かれた札を掲示している扉のドアノブには、黒いリーダーがある。三度、IDカードを読み込ませると、ガチャ、と自動解錠された音がした。

 その先はありふれたオフィスのように、アルミ製で白っぽい色のオフィスデスクが並んでいる。その上は一人一台ずつデスクトップPCが並びスーツ姿の職員が勤務している。


 だが、そこに蔓延る空気は殺気だっている。市ヶ谷の地下は魔物が潜んでいて、そんな区画の底の底がここだ。表の情報室の札もダミー。実際には治安維持部隊という。超法規的措置が行使できる非公開の部隊だ。

 部屋は窓がない事を除けば、おかしいところはない。デスクに備え付けの固定電話は既製品で、呼び出し音も普通。人数は七人ほどいる。


 部屋の奥にある室長席は空席のままだ。卓上には群青色で陶器のような花瓶と、一輪の白い花が刺してある。そして、《室長 陽羽里不知火》と書かれた札が伏せられていた。

 二週間と少し前、室長は経堂にある防衛省が持っている施設での勤務の帰り道に、自ら命を絶った。遺書などなく、ここ数日の挙動も不審な点はなかった。仲間ですら裏切り者と疑い、力には力でねじ伏せるこの不法地帯を仕切る姿は、人格者として知られており、調停役とでも言うべきか、バランスを保っていた。


 しかし、先週の室長の葬式には、あまりにも簡素だった。美人だった妻は数年前に他界し、息子以外親類はいない。陽羽里室長を慕う者は多いが、仕事優先の職場では手すきの数名と、私のような物好きしかいなかった。

 一応、息子も参列したが非常に簡素な葬式だった。我々のような闇の仕事をするものは、式など行わないが、彼を慕う、私含め数名で執り行った。行うこと自体が異例だった。顔も晒すのは好ましくなく、参列者にも軽く声をかける程度で、三十分もせずに式を後にした。


 なぜ彼が自殺したのか、それは知る由もない。我々が工作員に吐かせる手段ですら、死ねば無意味なのだ。

 トップが消えれば、次点が繰り上がる。それはどこの組織も同じで、昨日から私がこの部署を預かっている。

 さて、引き続き北朝鮮と中国、ロシアの内定スパイの監視が主な仕事だが、今回はイレギュラーだ。

 イレギュラーと言ってもたまにある。私も一般構成員の頃、担当した事がある。


「影森室長代理。よろしいですか」

「なんだ」

 構成員の一人、楯山が資料を出してきた。

「室長代理の指示通り、ここ一ヶ月の部署の洗い出しを行いました。これを見てください。陽羽里前室長が亡くなる前です。籠原二曹が中央情報局の資料室を出て以来、消息を絶っております」


 彼女の姿が写っている監視カメラの画像と、その直前に彼女が閲覧した資料がピックアップされている。どれも、戦後に治安維持部隊の前身組織、旧陸軍から続く情報偵察部がGHQの動向を監視、記録した資料だった。アメリカに秘匿し続けた対米資料、二十一世紀の今日でも続く在日米軍基地内偵の礎となるものだった。


「おかしい、なぜ二曹の籠原が本殿を?」

 そうだ、あの資料室の奥の奥、本殿は階級が限られたものしか閲覧できない。

「出退ログを。監視カメラではご覧の通り籠原二曹の姿ですが、IDログは……」

「どうした、言え」

「亡くなった、陽羽里前室長のものです」


 私はずっと思っていた。あの陽羽里室長が自殺などするはずがない。品行方正、闇に生きるこの仕事で唯一の光と呼んで過言はない男だった。

「やはり、陽羽里室長は、殺されたのかもしれない」

 前に情報を持ち出し、敵国に売り払おうとした裏切り者がいた。闇の仕事。共に任務をこなした仲間であっても、背く者には死の償いをする。それが、イレギュラーだ。


「楯山、今日中に調別と連携をとる。籠原二曹の身柄を拘束しろ……いや、彼女が陽羽里室長を殺した可能性もある。見つけ次第吐かせろ。そして殺せ」

「しかし室長代理、身柄の拘束だけで良いのでは」

「籠原二曹が持ち出した資料は野放しにできない! あれは日米安保を簡単に無力化させる。その後どうなるかは言うまでもない。この国を守るために、殺す必要がある」

「……承知しました」

「そうだ、陽羽里室長に息子がいただろう。彼も監視しておけ。何かあるかもしれん」


 部屋を去る楯山を見送ると、室長席に座った。アルミ製のありふれたオフィスデスクの卓上に影森迅、と自分の名前を書いた札を置いた。個人ロッカーの中身と合わせて私物や書類はすでに回収され、機密資料は極秘として保管。関係ない私物と思わしきものは処分、と命令した。

 これから、苦しい戦いが始まる。誰も知らず、感謝も賞賛もされず、ただ深淵に消えるだけ……。

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