須賀くんの部屋の壁になりたい

草森ゆき

須賀くんの部屋の壁になりたい

 それってもう好きじゃんとは友人の言だったが違うくて、恋愛とかじゃなくて、うまく言えないけど頑張ってほしいっていうか、元気に出社してるだけで幸せっていうか、A定食を食べたいみたいなんだけど私が食べちゃったら品切れになるからそれはいかんと思って慌ててBにして、それでA定食にありつけて満面の笑みになる姿に今日もかわいい! って喜びたいだけっていうか、生活に張りを出すための存在なんだってばと一所懸命に説明してもそれってもう好きじゃんと返ってきて違うくて、恋愛とかじゃなくて、うまく言えないけど頑張ってほしいっていうかと話がループし続ける。私は引かないし友人も引かない。友人は彼氏がいない私をもうアラサーなんだからとけっこう心配してくれているのだと理解はしているんだけど、好きじゃんには異を唱え続けるしか手立てはない。なんせ本当に惚れた腫れたじゃないのだ。同じ部署の後輩にあたる須賀くんはつまり、今の私の最推しなのだ。

 須賀くんはとてもかわいい。まず五年前の新入社員挨拶の時に喋り出した瞬間からかわいかった。関西弁なのだ。もうイントネーションがゴリゴリの関西で、よろしゅう、あっ、よろしくおねがいします、と言い直したのが左胸に刺さった。おねがいしますもゴリゴリに訛っていて私は思わず口に手を当て漏れそうなうめきを全力で飲み込んだ。その時私は都道府県を擬人化してイケメンにしてアイドルグループにして楽曲配信をしている意味不明のコンテンツにハマっていて、特に京都大阪滋賀兵庫の西グループが好きだったんだけど須賀くんは和歌山出身らしくてそれがもういじらしい、西グループに何故か入れずマイナー県グループに振り分けられた悲運の和歌山育ちであることが私の母性というか射幸心を握り締めた。私はマイナー県グループに振り分けられた新潟出身だったので親近感も湧いた。同じ部署に振り分けられた時に運命は確定して指導役になった瞬間全力でサポートすると心に決めて須賀くんは緊張を滲ませた笑顔で「よろしくおねがいします」とやっぱり訛りながら頭を下げたので、こう、込み上げた。目頭が熱くなった。ここにはかわいい後輩ができた喜びも含まれていたし指導する相手が素直そうで良かった安堵も含まれてたけどそれらを素早く大きく包み込んだマジでめちゃくちゃ訛るじゃんスーパーかわいいという尊びはホンモノだった。こうして私は須賀くんを推し始めた。仕事もばんばん覚えて部署にどんどん馴染む様子を物陰から見つめて何度も頷いた。ここまでくると流石にわかると思うけど敢えて名前をつける近い感情は「母」ないし「姉」だ。ぶっちゃけ「近所のおばちゃん」でもいい。そして「部屋の壁」でも一向に構わない。覗き趣味とかではなく須賀くんが健やかに暮らしているかどうか心配故の過保護だ。そうね壁が良いかもしれない。うんうん頷きながら私はパソコン横につまれている現場からの注文書と明細をせっせと入力し始めた。斜め前では須賀くんがパソコン横に積んだ書類をせっせと入力してせっせとプリントアウトして「いやこれ……合わへんやん……」とげんなりした独り言を呟いていて今日も寸分違わずかわいかった。


 ある日須賀くんが遅刻した。無遅刻無欠勤だと知っているので驚いた。課長代理が代理のくせに「須賀〜覇気のない顔しやがって〜仕事溜まってるからな!」とそれっぽい叱りを飛ばしているのを呪いながらみつめたけれど、なんだか疲れた様子の須賀くんは項垂れ気味にすんません、と訛って謝っていたのでめちゃくちゃ気になって来た。食堂で他部署の友人とランチ中に須賀くん疲れてるね心配なんだけどとうっかり漏らすとやっぱり好きなんじゃん!と来たのでいや違うくて、恋愛とかじゃなくて、とループ&ループ再びだったから話を切った。切ったけど続いた。友人はコーヒーをぐるんぐるん掻き混ぜながら頬杖をついて諭すように微笑んだ。

「いやね、あんたは恋愛じゃないし母親とか姉目線で心配したり世話焼きたくなったりするだけだっていうけども、そういうカップルなんか五万といるじゃん? 実際さあ、年下と結婚した友達なんかは相手の男をかわいいかわいいってまるでペットみたいにしてるしさ。年下好きなんて十中八九そういうタイプなんじゃないの? 私から見ればあんたは須賀くんを好きにならないように線引いてるだけにしか思えないわけよ、そもそもあの子フリーだったでしょ確か、あんたは指導員だったんだし、部署も一緒だし、チャンスは他より多そうじゃん。いざ須賀くんに彼女が出来てからやっぱり好きだったって気付いても遅いんだから」

 私はもう面倒になってそうだね、うん、そうだよね、わかるわかる、だよねー、しか返さなかった。その間ずっと須賀くんの様子を気にしていた。ちょうど見えるところに座っていた須賀くんは一人黙々とA定食を食べていて、誰かと話をしないのかなと思っていたら利き手側にスイッチが置かれていた。最近ハマっているらしいモンハンをやっているんだなと納得して微笑んだ。きっとモンスターを倒すたびに一喜一憂する姿はかわいいだろう。須賀くんの部屋の壁になりたい、とてもなりたい。


 遅刻の理由は思いもよらず判明した。須賀くんが自分で言ったのだ。定時で帰宅するためにバリバリ書類を作成していた私に定時ちょうどに須賀くんから話し掛けてきた。心臓が口から出て膝に落ちた。須賀くんは相談事があると本当に困っている顔で言い、私はこれはいけないと課長代理に空き会議室を使う旨を伝えて須賀くんと二人で向き合った。由々しき事態だった。相談役が私で足りるかはともかく須賀くんの困った顔はあまりにも辛いのだ、全力ケアが必要だった。

「先輩、先輩は前に、その……」

 とても言い淀むので出来る限りの優しい声で促した。須賀くんは意を決した顔でこちらを見た。

「女の人と付き合ってはったんですよね?」

 予想外の問い掛けにちょっとびっくりするけど頷いた。まあけっこう、これが理由だった。私は基本的には同性にしか性的な欲望が湧かないたちなのだ。

「そうだけど、それが?」

「あっ、よかった。……実はその……」

「うん」

「か、彼氏が出来たんですけど、おれこんなん話せる人が他に居らんくて、……話聞いてもろてええですか?」

 一瞬時が止まった。様々な感情が渦巻いて一番最後に友人の、いざ須賀くんに彼女が出来てからやっぱり好きだったって気付いても遅いんだからって台詞が蘇り、不意にものすごく泣きたくなってなんとか堪えて須賀くんの顔をまっすぐ見た。今日もかわいかった。困った顔の須賀くんは困りながらもそれは、幸福に由来する困惑なのだと実感できた。それでやっぱり、情けないと思いながらも泣いてしまった。

「せ、先輩? やっぱ気持ち悪いですか、」

「あっ違う違うごめん!!!」

 慌てて涙を拭う。そして私は胸の前で掌を合わせ、まずは話してくれてありがとうと丁寧にお辞儀をする。

「私に相談してくれて本当に本当にわりとマジで嬉しい、なんでも聞かせて!! 遅刻ももしかしてその類の……?」

「えっ、あ、ま、まあそうです……ほんま社会人としてやったらあかん遅刻でしたすみません……」

 照れ気味に申し訳なさそうに謝る須賀くんを見て、心の中で過去最大のガッツポーズをした。最高にかわいい。また泣きたくなってきた。須賀くんのハピネスは私のハピネスであると殊更強く実感して、彼女だろうが彼氏だろうができたところでやっぱり好きだったって実感するの当たり前じゃない? 元々めちゃくちゃファンで生活を保護したいくらい愛してるんだから幸せそうにしてくれたら好き!!!!! 以外の語彙が死ぬくない? それが恋愛かどうかの線引きが曖昧だったとしても理由つけなきゃ推せないならば、はじめから人間なんかに興味を持つなよとやけに攻撃的な気分に一瞬なるけど須賀くんが「そいつ西浦っていうんですけど」と話したくて仕方がないスーパーかわいい顔で言ってくれた瞬間もう全部どうでもよくなりかわいい尊い君に幸あれと今殺されても全然いいくらい最高の気分になって、須賀くんは照れながら昨日自分の部屋で彼氏くんにモンハンを手伝ってもらってハンターランクが解放されてすごく楽しかったと昨夜の思い出を語ってくれた。

 一挙一動が全て推せた。私は掌を合わせたまま須賀くんの惚気をうんうんと満面の笑みで聞き続け、是非とも彼氏くんと須賀くんの仲睦まじい様子を一生眺めさせてほしいそれが私の人生の糧だからと心底考え、でもこんな先輩ちょっと気持ち悪いかなと少しだけ反省したけどそれでもやっぱり私は須賀くんの部屋の壁になりたい。








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